焔の雨の中で
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」
【二〇一八年三月十九日 トルコ共和国イスタンブール 三十三番門防御陣地】
焔の雨が、降っていた。
何百。何千。何万と言う砲弾と弾頭が、まさしく雨のごとく降り注ぐ。撃ち落とすべく、無数の対空砲火が大気を
それら全てを背景音楽としながら、五十メートルの巨体がゆっくりと歩み寄ってくる。陽炎を引き連れ、沈みつつある太陽を背に、一万トンの質量で。ビルディングのごとく林立する防御塔の合間を、まっすぐこちらに。
化け物だった。
片手で掴み上げられた眷属の巨体が痙攣している。ほんのわずか、力を込められただけで眷属は溶融。大地に垂れた亡骸は路面を溶かし、穴を作って消滅する。
それを為したのは、溶岩のごとき女神像。仮面をかぶり、巨大な斧で武装したそいつは、あろうことか厳重に防護された要塞都市の内部を歩いてくる!神々が総力を挙げて建築した無数の四角い防御塔。百二十柱もの眷属。多数のロボット兵器。それら全てを突っ切って。人類による飽和攻撃の中、天から落ちて来たのだ。こいつは。防御塔からの対空砲火をものともせずに。
門の防御の任についていた白の武神像は、怖い。と思った。竜を象った兜で深く顔を隠し、甲冑と槍で武装したこの眷属は、敵手と自らの力量の差を正確に見て取っていたのである。
肉体の脳が持つ本能的な衝動が撤退を叫んでいる。震えが止まらぬ。神格に脳を支配された眷属と言えども結局のところは人間に過ぎなかった。
攻めあぐねていた武神像だったが、しかし味方はそうは思わなったようだ。五十メートルの巨体の左右を十数もの眷属たちが走り抜ける。突進していく。同胞たちは白の武神像が止める暇すらなく、各々の武装を振り上げ、溶岩の女神像に襲い掛かったのである。
反撃は強烈だった。眷属の一体が唐竹割にされる。投げつけられた火球で溶かされる。空中から襲い掛かった者は防御塔に叩きつけられ、突き込んだ槍は指でつまみ取られた。肩口からの体当たりを食らったものは即座に切り伏せられ、背後から襲い掛かった巨神は斧の石突で粉砕された。
たちまちのうちに眷属の数は十にまで減った。溶岩の女神像が動くたびに巨神が砕け、流体が飛び散り、防御塔が粉砕された。半数を割り、三を下回り、そして最後の眷属が砕け散る。
敵手も、無事では済まなかった。全身にひび割れが走り、脇腹は砕け、頭部は半ば失われている。仮面の下から出て来た顔の半分は、うつろな瞳でこちらを見つめていたのだ。
だが、それだけだった。まだ敵は戦えるように見える。
だから白の武神像は踏み込んだ。手にした白き槍を振りかぶり、一撃を加えたのである。
溶岩の女神像は避けなかった。ただ、左手で掴み取ったのみ。
それが、仇となった。
槍が震える。否。槍の持ち主、白の武神像の全身が脈打ったのだ。まるで液体であるかのように。原子がこすれ合い、繊細な。そして極めて強烈な音が生じる。
効果は覿面だった。槍を通して伝わった音は、女神像の腕を砕いたのである。
事ここに至って初めて、女神像は無様に転がった。致命傷を避けるべく、続く攻撃に対して回避を選んだのだ。白い槍がかすめていく。斧が砕ける。大地に溝ができる。
勢いをそのままに女神像は飛び下がった。かと思えば残った腕で新たな斧を掴み出すと、受けて立つ構え。
白の武神像は踏み込んだ。一発でも受ければ致命傷となる槍をコンパクトに突き込んだのである。
斧と槍。ふたつの武器が激突する。槍が震える。斧へと振動が流れ込んでいく。斧が耐える。
持ち主同様溶岩で出来た斧。その耐久限界が訪れる以前に、二つの武装は接触を絶っていた。
「―――!」
攻め続ける。手を休めればやられる。敵手に余裕を与えてはならぬ!
女神像は斧を振るいながら後退していく。先ほどは通じた音が通用しない。都市破壊型神格である白の武神像の音響を受ければ、いかな巨神であろうとも武装ごと砕け散るはずだというのに!
この時点で眷属はようやく気付いた。流し込んだ音が、まるで吸い込まれているかのような手ごたえに。いや。事実こいつは、音を吸収して無力化している。その権能によって斧が破壊される
恐るべき力量。恐るべき
女神像の動きはどんどん加速していく。防御が巧みになっていく。戦いながら損傷を回復する余裕すら生まれた。復元した左手で火球を掴み出す。
咄嗟に身を庇うので精一杯だった。
真正面から火球を
激突した防御塔が陥没。上部より無数の破片や対空レーザー砲の残骸が落下し、内部から蒸気が噴き出す。
武神像は満身創痍だった。火球を受けた両腕は溶融。全身の損傷も著しく、そして肉体のダメージはそれにも増して酷い。更には疲労も限界に達しつつあったのだ。
ゆっくりと歩み寄る敵手に、白き武神像は自らの最期を覚悟した。
実際には、彼の予想した通りにはならなかった。先ほど、ことごとくが討ち果たされたはずの眷属群。今にも砕け散りそうな一体が、ゆっくりと立ち上がったから。
瀕死の眷属は、背後から女神像へと抱き着いた。更には、その持てる権能を解放したではないか。
火柱が上がった。
眷属の行使した
形成されていくクレーターの中に、女神像と眷属はゆっくりと沈みつつあった。
恐るべきことに、それでも女神像は生きていた。まるで外観通りの溶岩がごとく、百万度の熱量に耐えていたから。
密集する防御塔が熱量と暴風でなぎ倒されて行く。クレーターが広がる。上昇気流はますます強まり、プラズマが真上に伸びていく。
この世の終わりかと思われた光景は、唐突に終わった。
茫然とする白の武神像。彼の眼前で、溶融した大地より這い出して来る者の姿があった。
溶岩の女神像だった。
あれほどの熱量をもってしてさえ、この敵手を滅ぼすことはできなかったのだ。
無理だ。こやつには勝てぬ。
女神像は、虚空より新たな火球を掴み出した。それを掲げ、こちらに狙いを付ける。接近する危険は冒さない。と言うことだろう。
万事休す。
白の武神像向けて、火球が投じられた。
◇
【二〇一八年三月十九日
この世の終わりがごとき様相だった。
木々の合間を抜け、岩山を登り、高所より顔を出した燈火が思ったのはそんなこと。
異様な物体だった。いや、それはいかなる意味でも物質ではない。半径一・六キロメートル。海面上から覗いているのはその上半分。円盤状の存在だった。彼の知識が正しければ、あれこそが門。ふたつの世界を繋ぐ超次元構造体だった。
少年は幾多の犠牲を払い、ようやく目的地へと辿り着いたのだ。
だが、門を潜り抜ける術はない。燈火を守っていた女性はもはやいない。激しい戦闘が行われているあの場所に近づくのは不可能だろう。
だから、少年にできるのはただ、見ていることだけ。
門の向こうで繰り広げられている、この世のものとも思えぬ戦いを。
あちら側はイスタンブールだという。トルコの首都。黒海と地中海を繋ぐ海峡を挟むように作られた壮麗な都市だということを、少年はかつて見たテレビ番組で知っていた。だがその面影はもはやない。破壊し尽くされた市街地の上に建っているのはビルディングにも似た防御塔。上部にレーザー砲台が設置され、対空防御を担当する構造物が林立していたのである。上空には航空機が飛び交い、幾つもの神像の姿も見える。戦っているのだ。人類と神々が。
手近な岩に腰かける。懐から一塊の琥珀を取り出す。中身は、大切な女性の形見。
それと共に、燈火は全てを目に焼き付けた。最後になるかもしれない地球の光景を、門ごしに。
やがて、門の向こうから飛びこんで来た円筒形の物体を見て、燈火は素早く転がった。座っていた岩の裏に隠れて身を縮め、琥珀を抱きしめたのである。
直後。
閃光が走った。
円筒が起点となったそれは、地平線の彼方まで広がり全てを殺菌。強烈な熱線として万物を焼き払う。
それにかなり遅れて、衝撃波が広がった。
恐るべき威力は門のたもとに遊弋していたメガフロートを破壊。それで終わらず、無差別に拡大していく。
途轍もない威力だった。
最終的に燈火のいるあたりまでも暴風が襲い掛かるほどの威力を発揮したそれは、核融合弾頭。門の確保を断念した人類が用いたものだった。
全てが破壊されたとき。少年はまだ、生きていた。起き上がる。フードを被る。琥珀を懐に戻す。彼が海上に目をやった時、既に門は消えていた。
退路は断たれたのだ。
もう助けが来ないことを、少年は知った。
リュックを背負う。死の灰が間もなく降ってくるだろう。強化された燈火の肉体にとってそれは脅威ではなかったが、ここにはもう用はない。
生き延びねばならなかった。それが、大切な女性と交わした約束だったから。
果てのない旅路へ、少年は踏み出した。
【西暦二〇四八年三月一九日 トルコ共和国イスタンブール】
巨大な金属板が、幾つも浮遊していた。
十メートルもの長さを持ったそれらを支えているのは強力な分子運動制御。上空に坐する鈍色の武神像が保持しているのだった。
人類側神格"ジークフリート"。その巨神だった。
巨大な拡張身体を操るテオドールがいるのは市街地の北側。黒海に面した場所で、その権能を披露していたのである。
彼だけではない。モニカ。ペレ。この地でかつて戦い、そして生き残った多くの人々が集っていた。
ちょうど三十年前のこの日、イスタンブールで行われた決戦を記念する式典であった。
黒海の奥底に安置されようとしているのは、そこに沈んでいた兵器の残骸から削りだされた慰霊碑。それは加工され、磨かれ、戦死者の名を刻み込まれた上で元々あった海底へと戻されるのだ。
参列者の皆が、過去を思い出していた。熾烈を極めた戦いを。神々に支配されたイスタンブールを解放し、そして門を手にするために人類は大戦力を投入した。ペレ、モニカ、テオドール。三名もの人類側神格と、
対する神々の防備も恐るべきものだった。最後まで残った門のひとつであるイスタンブール門は、多数の眷属と強力な兵器に守られた要塞だった。門の減少に伴う戦力の集中はそれを可能としたのである。最大限の援護を受けて突入した三名の人類側神格は、門を守る防御塔群の制御中枢の破壊に成功した。ペレが敵の主力を引き付けている間にモニカとテオドールが任務を果たしたのである。統制を欠いた神々に残る全兵力が激突し、それですら完全なる勝利には届かなかった。門を確保するという当初の目的は断念され、熱核弾頭によって門の展開設備は完全に破壊された。退路を断たれて浮足立った神々相手の戦闘はそれからも続き、辛うじて人類は勝利を掴み取ったのである。
「ここに来るの久しぶりだね、ペレ」
「ひさしぶり」
「覚えてる?あの戦いでペレったら、ボロボロになってた。傷だらけで、急いで医者に診せたっけ。心配したのよ?」
「ごめんなさい」
式典の合間に、モニカとペレは語らう。
イスタンブールは遺伝子戦争最大の激戦地のひとつだ。そして最後に行われた決戦の地のひとつでもある。
ここが最後の門だったわけではない。それでもここが破壊された結果、神々が残る門の保持も諦めたのは事実だ。幾つもの門が閉じられ、それに間に合わなかった神々の残党が地球に取り残された。彼らは南下しながら合流し、最後に南極で陣を構えるに至った。
「ここが、門を手に入れる最後の機会だった。けど私たちは失敗した」
「……」
「人類はずっとおびえて生きることになった。いつまた門が開くか。開かないか。それを選べるのは神々だもの」
「だいじょうぶ」
「そう?」
「リスカム。エトナ。ドロミテ。ローザ。たくさん」
「そうね。私たちが育てて来た子供たちがいる。あの子たちが守ってくれる」
ペレはしっかりと頷いた。
ふたりがそうしている間にも式典は進み、そしてつつがなく終わった。
皆が、同じものを共有していた。
―――西暦二〇四八年三月十九日。イスタンブール門が閉じてから三十年目、都築燈火が再び門を開く四年前の出来事。
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