閃光のもたらす悪夢

「次があれば、子供たちはうまくやってくれるでしょう。私などよりも、ずっと」


【二〇一六年八月 中華人民共和国 天津市】


嵐が吹き荒れていた。

高層ビル街に挟まれた巨大な道路は既に冠水している。豪雨は視界を遮り、空を見上げれば分厚い暗雲が立ち込めていた。

大地が水没しつつある様子を見下ろし、男の子は座り込んだ。高層ビルの一角。逃げ込んだ建物の中層階。避難の途中親とはぐれ、ここに入り込んだのだった。

戦争は最初遠い場所でのことだと思った。軍隊が敵を食い止めているから大丈夫だと。違った。予兆は生活が不便になったことだ。食料品。医薬品。衣類。蛍光灯。電池。ものが値上がりし、すぐに商店から姿を消した。停電が多くなった。テレビで映らないチャンネルがどんどん増えた。映る番組も戦いを呼び掛けるものばかりだ。ネットは繋がらない。街中を戦車が走っていくようになった。たちまちのうちに生活は悪化していった。

それですらまだマシなのだと、男の子は今日、知った。海から敵が上陸してきたのだ。それも複数。それと同時に晴れ渡っていた空は暗雲に包まれ、嵐が巻き起こった。まるで魔法のようだった。

「……お父さん…お母さん……」

まだ十に満たない男の子がふさぎ込んだのも無理のないことであったろう。

俯いていた彼が顔を上げたのはだから、間近に雷鳴が鳴り響いたからだった。

「―――!?」

一瞬、なにが起きたのか理解できなかった。向こう側にある高層ビルが消滅していた。いや違う。その姿を覆い隠すほどに巨大な物体が、出現していたのだ。何十メートルもある、驚くほどに精緻な赤銅色の妖怪像が、男の子の眼前で側面を晒していたのである。

そいつだけではなかった。

妖怪像といたのは、仙女。翼を持ち、鳥を象った仮面で顔を隠した、限りなく黒に近い翠の女神像が、じりじりと妖怪像を押し込みつつあったのである。窓からほんの、十数メートル向こうで。

ダンプトラックほどもありそうな頭部のあまりにも精緻な構造は、男の子に本能的な畏怖を覚えさせた。

鍔迫り合いが続いたのはほんの一瞬。女神像が剣で妖怪の矛を、上へ。強烈な斬撃が、妖怪像をにする。

真っ二つになった巨体は、左右にゆっくりと倒れていく。その様子を呆然と見ていた男の子は、妖怪像の片方。左半身がこちらに倒れてくるのを目の当たりとした。

男の子は、絶叫した。

そのままであれば、彼の生命はなかったであろう。妖怪像に押しつぶされて無惨な最期を迎えたに違いない。けれどそうはならなかった。絶叫を聞きつけ、救いの手を差し伸べた者がいたから。

妖怪像を支えたのは翠の手。動きが止められた巨体は砕け散って落下していく。かと思えばそれは、大気に溶けて消えて行った。

それを見届けた女神像は、背を向けると立ち去っていく。男の子へと仮面ごしの一瞥だけを残して。

一部始終を、男の子は見ていた。


  ◇


「―――志織。市民がまだ逃げ遅れています。気を付けて」

「分かってる。とはいえどう気をつければいいか」

市街地を守備する二柱の女神像は言葉を交わした。志織とサラ・チェン。彼女らに操られた"天照""九天玄女"は、天津市に上陸した敵眷属群の迎撃に当たっていたのである。この地に集結する予定の多国籍連合軍の先遣隊として。

高層ビル群が林立する大都市の市街地は障害物が多い。悪天候によってセンサー性能も低下する。必然的に接近戦が多発した。中華人民解放軍も海中から侵入してきた眷属群相手に応戦しているが、嵐の副産物である洪水に足を取られ、効果的な反撃が出来ているとは言い難い。

それでも、この都市を守らねばならなかった。敵勢もすぐに天津市自体を破壊し尽くすつもりはないようだ。恐らく奴らのターゲットは、二名の人類側神格。神々は市街地を人質に取ることで、目の上のたんこぶである二人を始末する気なのだ。嵐も神々の差し金であろう。

受けて立つしかなかった。天津市以北は人類が保持している貴重な工業地帯であり、そして大慶油田から送られてくる石油をはじめとする資源を極東の人類圏に供給する重要な港としての役割を持つ。この地域に展開する人類軍の継戦能力を支えている戦略拠点のひとつなのだ。

「次はどこ?」

「待って。―――南東に二柱」

志織の問いにサラは答えた。ふたりは人民解放軍の無線をモニターしているが、中国語がわかるのはサラだけだった。

「志織。下がって。替え玉デコイを置きます」

先行しようとした天照を制した九天玄女。その袖から飛び出した符は、即座に伸び、ヒトの形をとり、透き通り、そして膨らんで完成。硝子ガラスの女神像となった。天照と寸分たがわぬ姿をとったのである。中身は空っぽの風船同様な上、単純なルーチンで動き回ることしかできないが。

自らの替え玉も出したサラ・チェンは、それらに移動を命じた。市街地を進ませ、つられて出てきた敵を始末する作戦である。

「便利よね、それ」

「私としては貴女の火力が羨ましいのだけれど」

「隣の芝は青い、か」

両名とも苦笑。神格の能力は用途ごとで異なるから、自分にないものは相棒に頼るしかない。

先行する替え玉は市街地を抜け、運河に突き当たった。―――その途端、一方は水中から飛び出した銛を受けて破裂。もう一方は、ビルの陰から放たれた矢に貫かれて機能を停止、砕け散った。

それを為したのは二柱の敵神。そやつらがいると思われる位置に向けて、サラ・チェンは腕を振るった。と同時に十数本の矢が現れ、音速の三十倍とで一直線に道路沿いを飛翔。敵が隠れるビルの直前で二手に分かれた攻撃は、一方は運河へ。もう一方はビルの陰へと軌道を変え、襲い掛かったのである。

確かな手ごたえ。直後、巨神が砕け散る反応が二つ、捉えられた。

志織が何かする暇もない。一瞬の早業である。

こと市街戦に関しては九天玄女は、人類側神格屈指の実力を持っている。元々が航空戦用のこの神格は、サラ・チェンと言う優れた遣い手を得たことで恐るべき戦闘力を発揮していた。

「あなたが倒したのと、沖で対潜部隊に撃破されたぶんを合わせてこれで五柱。何とかなりそうですね」

「だといいけど。―――!サラ!!」

"天照"の手が"九天玄女"を次の瞬間。

強烈な光が飛び去っていった。ふたりのいた場所を通り抜けて。

それは、ビル街を貫通して遥か向こう。海上に達した時点でを開始。質量をエネルギーに転換し始める。

それはたちまちのうちに膨れ上がり、巨大になり、そして閃光と熱をまき散らしながら消滅した。

その閃光の威力はふたりの位置からでも確認できた。何しろ、あまりにも強烈な破壊力は天にも届きそして、厚く垂れこめた雲に穴をあけたのだから。

差し込んでくる陽光に、ふたりの人類側神格は戦慄した。山脈のひとつや二つ、あの爆発ならば容易く吹き飛ばすことが可能だろう。破壊力そのものよりも、神々がそれを戦闘に投入するという決断を下したことに彼女らは驚愕したのである。

―――戦略級神格!!

敵神は黒の仙人像。長衣をまとい、仮面の下からでも分かる長いひげを蓄え、禿頭で、巻物を手にしている。

爆発の衝撃波が遅れてやってくる中、そいつは手にした巻物をこちらへ向けた。

「!?やめ―――っ」

九天玄女が手を伸ばすより、黒の仙人像の方が早い。

巻物が再び、閃光を放つ。

天津市はこの日、消滅した。



【二〇四七年 中華人民共和国 新北京市 中国科学院新北京生命科学研究院】


くしゃくしゃな顔をした赤子だった。

尻尾を生やし、毛のない猿。と言った姿の赤子は、実際猿がベースの生命体だった。第三世代型知性強化動物、その名を"斉天大聖"。

保育器に入れられ、看護師たちの甲斐甲斐しい世話を受ける子供たちの様子を、サラ・チェンは窓ごしに見ていた。

過去を思い出す。天津が消滅した日を。戦略級神格"元始天尊"のマイクロブラックホールを前に生き残ることのできたのは、強靭な巨神に保護された志織とサラだけだった。二人が元始天尊を斃したのはあれからずっと後のこと。それからも地獄は続いた。中国大陸での戦いに、何体もの戦略級神格が投入されるようになったからだ。遺伝子資源を収奪し、ユーラシア大陸の西へ西へと後退していく神々の行いはまるで焦土戦のようだった。都市が吹き飛び、山脈がえぐり取られ、大河が湖となった。最終的には中国大陸の三割が失われたのだ。戦後、中華人民共和国は自力での再建が可能なだけの体力が残っていなかった。国連の支援を受けながらゆっくりと復興してきたのである。

この施設とそして斉天大聖たちは、再建の証だ。つい最近までは、中国で運用される知性強化動物も台湾の施設で生み出された上で中国に連れてこられていた。この施設が完成した後は違う。共同開発する体制はこれからも続くだろうが、知性強化動物はそれぞれの母国で生み出されることになった。

「抱いてみますか?」

看護師に頷くと、サラは室内に入った。赤子のひとりを受け取り、すやすやと眠る様子を観察する。

この子供が成長すれば、もはやサラより数段上の戦闘力を発揮するはずだった。斉天大聖は市街戦を前提としている。プラズマ制御型でもあるこの知性強化動物用の神格は、過去の戦訓をふんだんに取り入れられた設計が為されているのだ。

今のサラの役目はだから、この子供たちが健全に育つことのできるよう、見守ることだった。国連に身を置き、知性強化動物の権利を守るために働いているのもその目的のためだ。

次があった時。子供たちは、サラよりずっとうまくやってくれるだろうから。

赤子を看護師に返す。退出する。

最後にもう一度振り返ると、サラは微笑んだ。




―――西暦二〇四七年。天津市が消滅してから三十一年目、斉天大聖級の知性強化動物が誕生した一週間後の出来事。

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