天を舞う妖精
「なんとか格好はついたか」
【イタリア共和国ラツィオ州ローマ ローマ市】
アルベルトは空を見上げながら呟いた。隣でゴールドマンも頷く。
「ああ。ギリギリだがクリスマス・イヴには間に合った。モニカ達がうまいことやってくれたよ」
南方から飛来しつつあるのは十二柱の神像。獣相の備わった頭部から角を生やし、冠をつけ、軽装の甲冑をまとい、弓と矢筒で武装し、そして背面には十数本の大剣を翼のように浮遊させた巨体を小麦色に輝かせているのは先ごろロールアウトしたばかりの"フォレッティ"。
クリスマスにあわせてのお披露目だった。もっとも、彼女らの練度はまだなんとか隊列を組み、一直線に飛んでこれるかどうか、と言ったところである。ドラゴーネとは異なり第三世代はわずかな初期訓練が済めばすぐ戦闘に投入できるというわけではない。第一世代と同等の訓練期間が必要と見込まれていた。
周囲を見回せば多くの人々が空を見上げ、タブレットやスマートフォン、サイバーアイ、ウェアグラスや一眼レフなど様々な道具でこの光景を記録しようとしている。
遺伝子戦争後、復興から三十年近い歳月を経たローマの街並みには戦争の痕跡がほとんど残っていない。ところどころに残された戦災遺構や慰霊碑にその名残を見ることができるだけだ。コロッセオやバチカンのサン・ピエトロ大聖堂と言った歴史的遺産も慎重な復元が行われ、全く同じと言うわけにはいかないものの往時にかなり近い姿を残している。ところどころで見かけるフォレッティに似たボナ・デア女神の像もそういったもののひとつだ。
それでも、ローマは一度。ほぼ完全に消滅した。都市破壊型神格の音響兵器によって、開戦当日に。
「アルベルト。あの日、君はどこにいた?」
「ミラノだ。出先でね。ホテルのテレビで門が開いている様子を目の当たりにして最初、面白そうな映画だなと思ったんだよ。もう夕方だったしな。ヘリからキャスターが叫んでる様子がえらく興奮してた覚えがある。けれどいつまでたっても場面が進まないんで切り替えたら、どのチャンネルでもローマに開いた門の話題で持ち切りだ。門と言う名前を知ったのはどのタイミングだったか。そこまではさすがに覚えてないな」
「しょうがないさ。もう三十年も前のことだ」
「そうか。もう三十年か。歳をとるわけだ」
ナポリ方面から飛来したフォレッティたちは、ゆっくりと青空を横切っていく。深夜にはバチカンでのイヴのミサも行われることだろう。
「ローマに戻れなくて途方に暮れてた時に軍から声がかかった。紹介してくれた研究者がいてな。軍の飛行機でローマ近辺を飛んだこともある。信じられないようなデータが取れたよ。門からな。壊滅した市街地や、我が物顔で飛び交う神格の姿も見た。無視されてたんだ。人間風情では何もできないだろうってな。まあそれも、4月22日までのことだったが。
"天照ファイル"が公開されてからは、それの解析作業にどっぷりだった。寝る暇もなかったよ」
「軍はよくナポリ以北で食い止めてたもんだ」
「まったくだ。ありゃ一種の奇跡だよ」
アルベルトは当時を思い出した。開戦当時のまま、ミラノにとどまっていたら自分はどうなっていただろうか。4月22日、天照による神戸門の陥落によって神々の軍勢は本格的な攻勢に出た。イタリアの北半分はほぼ陥落したのだ。そこにミラノも含まれる。巻き込まれれば恐らく死ぬか、運が良くても難民となっていただろう。まだ移動の余地がある時期にナポリに移ることができたのは幸運という他ない。
それが、ローマに残した妻子を失った上でのことであっても。
戦後、同様の境遇の未亡人と結婚した。彼女の連れ子を育て、更には二子をもうけた。この二年間には、夫婦でローザも育てたのだ。
「また門が開いたらどうなるだろうな」
「大丈夫だ。イタリアのどこに開こうが、今なら開き始めた時点で予兆をキャッチできる。門が開いた時には気圏戦闘機と神格の部隊が待ち構えてる。何より、全人類が知っている。"神々"が神でも何でもないということを」
「分かっている。だが神々だってそんなことは百も承知のはずだ。門を開くならな。だから次に同じ開き方をするとはとても思えない」
「厄介なもんだ。僕らの仕事はいつも後手か」
「門を開く選択権が相手にあるからな。結局、俺たちにできるのは巨額の予算をつぎ込んで、子供たちに最良の環境と最高の武器を与えてやることだけだ」
ふたりは、飛び去っていくフォレッティらを見送った。彼女らが仕上がれば、その戦闘力は標準的な眷属の数倍にもなる。もちろんすべてがうまくいけばの話だが。
「あの子たちはペレの洗礼にどこまで耐えられるかな」
「まあ戦績は年々よくなってはいる。リオコルノが十二人がかりでペレに勝てるようになるまで二年。ドラゴーネでも半年かかった」
「フォレッティなら三カ月か」
「どうだろうな。あの娘たちは部分的にペレを参考にはしたが、全体としてはペレと大きく異なる。結局のところ、神格の性能を決めるのは扱う人間の意志と経験だよ」
「違いない」
アルベルトは頷いた。
やがてフォレッティが見えなくなると、二人の男はその場から立ち去った。
―――西暦二〇四六年クリスマス・イヴ。遺伝子戦争開戦から三十年、国連軍神格部隊が蛇の女王と交戦する六年前の出来事。
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