宇宙樹とブドウ

「私の夢はね。宇宙の果てまで行って、そこに農園を作る事なの」


【太陽系地球近傍 火星往還船】


異物だった。

蒼い惑星を背に伸びているのは、木。そう呼ぶより他ない、何百メートルもある物体が、真空の宇宙空間に浮かんでいるのだ。

異様な光景であった。

木が生えているのは、巨大な機械の塔。それは地球を一周する巨大なリングに連なり、そしてリングは一定間隔で地上へと長い糸を垂らしているようにも見える。

オービタルリングと、その付帯設備であった。

「ほんとに生えてる……」

地球を出発する前には存在しなかった巨大な樹木をモニター上で拡大しながら、リスカムは呟いた。

火星往還船ブリッジでの事だった。船内は慌ただしい。地球到着に向けて最後の減速中である。メインエンジンのある船尾を地球のある側に向けているから、進行方向とは逆向きにブリッジは向いている。

「みんな、見て。宇宙樹だよ」

カメラの映像を皆の端末に送る。各々がその、一種異様ともいえる物体に目を奪われていた。

宇宙樹。宇宙進出技術のひとつである。

宇宙進出における最大の課題は、脆弱な生命をどうやって生かし続けるか。と言う点にある。それ以外の課題。星と星を隔てる莫大な距離や、そもそもの重力圏を脱出することも、この命題と比較すれば些事に過ぎない。

惑星の生態系は極めて巨大で精緻な積み木細工のようなものだ。生態系のピラミッドの一部分を抜き出しただけで、全体が致命傷を負うことすらあり得る。機械で実行するのは不可能ではないが、しかし長期間ともなれば困難だ。宇宙樹は、その解決のためのものだった。

樹木を中心とした生態系を利用する、というアイデアはそんな前提があって生まれた。樹木とはそれ自体が完結した生態系である。陽光をエネルギーに変え、酸素を作り出し、大地より吸い上げた栄養素を変換して生きる。他の生物種に対して様々な資源を提供する。だから、改造した樹木自体を宇宙に浮かべてはどうか。そんな結論にたどり着くのは必然だったのだろう。

もちろん通常の方法では不可能だ。実現するとなれば、極めて高度な生命工学が必要となる。戦前、科学者フリードマン・ダイソンは彗星に根を張り、最終的には育った枝葉が彗星そのものをすっぽりと覆い尽くして気密構造を創り上げるダイソン・ツリーを発案したが、もちろん当時は思考実験の枠を超えるものではなかった。

しかし神々のテクノロジーを人類が我がものとしつつ現代では、違う。

今見えているものは実験用のモデル生物であり、すぐに実用できるわけではない。だが近い将来には何らかの形で実際に用いられる水準のものが生み出されるだろう。

「いつかは、宇宙でブドウを栽培できる日がくるのかなあ」

それは、夢だった。今はまだ実現できない。しかしリスカムが生きている間には現実のものとなっても何らおかしくない夢。

「また始まったぞ。リスカムのいつものやつだ」

「もう。子供扱いしないで」

皆が一緒に笑う。もはやこの二年で定番のネタとなりつつあった。

「さて。宇宙樹は後で幾らでも見られる。それより今は目先の仕事を頼むぞ。事故は車庫入れの直前が一番多いんだ」

船長の一言で、空気が引き締まった。各々が作業に集中する。

船が無事、オービタルリングの宇宙港に接舷したのは、それから数時間後のことだった。




―――西暦二〇四六年。宇宙樹の大気圏外での栽培に成功した翌年、人類が初めて宇宙における対艦隊戦を行う六年前の出来事。

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