猫たちの大脱走

「くぉら!何やってんだチビども」


【イギリス ハートフォードシャー イーストベリ 知性強化生物研究所敷地内】


星がきれいな夜だった。

イーストベリに設置された知性強化生物研究所は首都ロンドンに近い。幾つもの軍事施設やそこに務める人々の住まう街が隣接するこの研究所は、しかし自然に囲まれるように設計されていた。子供たちの遊び場となるスペースが整備され、良好な生活環境が確保されていたのである。

今。その敷地内をこっそりと抜け出ようとしていた二匹の猫。もう青年ともいえる年頃にまで成長したチェシャ猫たちが捕まったのは、そんな施設内と外との境界付近であった。

「……ちょっと街まで行こうかな、と」

「こんな夜中に駄目に決まってんだろ。馬鹿たれ」

「ちぇっ」

「参考までに聞くが、街で何やるつもりだった」

「そりゃあパブで飲んだり遊んだり…」

「未成年の自覚を持てよ」

捕まった片割れ、アランは相手の顔を見た。十代後半の少女。銀髪を持った人類側神格の顔を。

「フランシス先生のけちー」

「どっちにしろ通報されるだろ。向こうも未成年の、それも知性強化動物相手に違法営業なんざできるか。

というかお前ら、よく警備に引っかからずにここまで出て来たなあ」

「コツがあるんだよ」

フランシスは頭を抱えた。この新型の知性強化動物たちは今までの知性強化動物とは根本的に異なる。従来のコンピュータに頼った警備システムや人間の歩哨の複雑にしか見えないパターンの観察から、十分に役立つモデルを算出・利用することが可能なほどの能力を持っていた。見つからないよう外出するくらい簡単だろう。標準的な人間以上の社会性が与えられているから一見分かりづらいが、悪用すればこの有様だった。

子供が自発的に自らの能力を開発していくのは望ましいものだが、第二世代の運動能力とは別の意味で厄介ではある。

「あんまり、アランを責めないで……」

ささやくような声で呟いたのはもう一人のチェシャ猫。個体名をアイザックと言った。

「僕が元気がないから、遊びに連れてってくれようとしたの……」

「そうは言うがなあ、アイザック。ルールと節度は守らなきゃいかん。な?」

「うん……」

両者の言い分を、フランシスも理解はできた。アイザックは脳に障害がある。去年発症したウィルス性脳炎の後遺症だった。知能の発達に遅れが生じていたのである。それでさえ、人間並みを上回る水準ではあったが。

人造生物である知性強化動物は、一歩間違えればたちまち死んでしまう脆弱な生命でもあった。人間と比較して、病気や先天性の異常に悩まされる可能性は極めて高い。

「さ。アイザック、先に戻ってろ」

「アランを叱る?」

「叱らねえ。ほら」

戻っていくアイザックを見送ると、フランシスはアランに向き直った。

「あいつが心配か」

「うん。そりゃ兄弟だもの」

フランシスの問いに、アランは頷いた。

「時々思うんだ。不公平だよね。なんで人工生命だからって僕らばっかりリスクを背負わなくちゃいけないの?」

「そいつは昔っからの課題だ。オレたちは議論を重ねているが、いまだに答えは出てこねえ」

フランシスは知っていた。今アランが発した問いかけは、古くは九尾級からのものだということを。知性強化動物たちの、魂の叫びであるという事実を。

「それは今の僕らの救いにはならないよ」

「ああ。だから、すまん」

「……もういいよ」

アランの呟きは、諦めだったのだろうか。

「気休めになるかは分からんが。この道何十年の科学者が頭を突き合わせてあいつの脳を補う方法を進めてる。国外の研究者の協力も得て。

それにな。あいつはお前が思ってるより、ずっと強い」

この手の先天的・後天的な障害は毎年のようにどこかで発生している。過去には致命的だったこれらの症状も、テクノロジーの進歩とともに年々緩和されつつあった。

それに、最新モデルである第三世代型は、このような状況でもリカバリできるだけの機能が備わっている。人間よりもずっと可塑性に富んだ脳神経系と、それに対して相互作用する複雑で洗練された肉体の組み合わせによって。時間をかけて回復していくだけの能力が。

人類も無策だったわけでは、ない。

「お前たちの弟や妹たちはもっといい環境で生まれてくることができるだろう。更に未来にはよりよい環境で。

人類はお前たちを必要としているが、それと同じくらいお前たち自身にも幸せになってもらいたいと思ってる。それだけは信じてくれ」

「……知ってたよ」

呟くと、アランは研究所へと戻っていった。

一方、もっとも心配していた子供たちの様子を確認し終えたフランシスも帰途に就いた。駐車場に向かうという形で。




―――西暦二〇四六年。初の人類製第三世代型神格が完成する二週間前、第一次門攻防戦の六年前の出来事。

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