互換性

「人類はゲノムを迂回してここまで早く進歩した。その結果としてゲノムを自由自在に操るようになったんだから皮肉な話だ」


【イギリス イングランド北西部湖水地方 ランサム家】


「遺伝子は遅い。地球における歴史の大半では、生命の起こす社会の変化や新しい技術の発明。異なる環境への移住と拡散。そういったものは全て遺伝子の突然変異か環境の変化によってもたらされていた。進化には時間がかかった。遺伝子の変化は完全にランダムで、淘汰圧で有用なものが選別されるのに何十万年とかかった。そんな状況が変わったのは人間が虚構を信じ、言葉でそれを伝えられるようになったからだ。人類はゲノムに頼らず進歩する手段を手に入れた。なのにゲノムを頼って僕らを作り上げたわけだ。皮肉なことに」

ランサム家の食堂は、奇妙な緊張に包まれていた。

食卓に着いているのは四名。

家主であるランサム夫妻。

そして、都会で働いているメアリーが戻ってきて食事を共にしている。これはおかしなことはない。

その娘が交際相手を連れて来た。これ自体もおかしくはない。ごくありふれた事例だろう。ただ一つ異常な点があるとすれば、それが四本足で歩き、二本の尻尾を備え、人間を遥かに上回る熊のごとき巨体の猛獣である、と言うこと。

知性強化動物だった。服を着ていなければ怪物かと勘違いされるだろう。実際に話してみれば、極めて礼儀正しかったが。

とにかくでかい。彼のために用意されたマットの上にちょこんと座り、長い尻尾を駆使して食事を器用に取っている様子は不可思議だった。

その、人間とは全く異なる口を用いてまるで人間のように喋っているのだ。この生き物は。深みのある、しかし中性的な声であった。

「まあ、でも。僕らは体はアップデートされても、精神はそんなにアップデートされていない。人類は人間と異なる知性を作れなかった。どこまで高性能化しても、人間の言葉を使い、人間と同じルールでものを考え、人間の虚構を信じる。そういうふうに、僕らは作られた。

人間と同じですよ、お母さん」

「……どうやらそのようね」

マーサは頷いた。どうやらこの知性強化動物。ジョージと言うらしい彼?は、場を和ますために今の話をしたらしい。本当に頭はよく回るのだろう。

隣で一緒に話を聞いていた夫は目を回していたが。彼は昔ながらの伝統的な羊飼いである。頭の回転は悪くないが、良くも悪くも古い男だった。

「虚構は遺伝子と違って子孫を残さなくても存続することができる。例えばカトリックの聖職者。古代中国の宦官。仏教の僧侶。古来様々な、子孫を残さないエリート層が出現した。彼らは独身主義の遺伝子を持っていたわけじゃあない。子供を残さないことを自ら選択した。それも、食料不足や配偶者の不足といった要因ではなく。幾らでも補充の効く人民と言う遺伝子プールから供給された人材に聖書や教会法、仏教の経典や律令と言った虚構をインプットすることで何百年も存続してきたんです。

僕だって似たようなものだ。遺伝子的には僕は人間とかなり違っているけれど、人類と同じ虚構をインプットされているからあなた方と価値観を共有することができる。こうして同じ家の中で、食卓を囲み、互いに理解できる話題を探り合いながら晩餐を一緒にすることができるんです。これは凄いことだ。人類史上最大の発明と言ってもいい。異なる生物間でも通用するプロトコルを、人類は何万年もかけて発展させてきたということなんだから」

「なるほどね。フランシスの生徒だけのことはあるわ。知性強化動物は、みんなあなたみたいなのかしらね」

「恐縮です」

ジョージは縮こまった。オーバーアクションだが分かりやすい。これも彼の頭の良さの表れなのだろう。人間と異なる体形であるから、ジェスチャーを使うときは大仰な方が伝わりやすい。

「安心したわ。ものすごくたくましいから最初はびっくりしたけれど。ジョージさん、とても理知的ですもの。

ねえ、あなた」

「お、おお」

急に話を振られてしどろもどろになる夫。この場では頼りにならないらしい。腕っぷしと度胸で世を渡ってきた男だからか、相手が圧倒的に生物として格上なのを悟って固まっているようだ。これでも遺伝子戦争のときは驚くべき危機管理能力を発揮していたのだが。この地方の酪農家たちは外部からのインフラがほぼ途絶えた中でも自活し、昔ながらの方法を蘇らせ、家畜と生活を守った。

「それでジョージさん。娘とはこれからどうしていくつもり?」

「将来は一緒になろうかと」

「そう。あなたたちのことだから熟慮したんでしょう。娘の決めた事なら反対はしないわ。けれど色々聞きたい事があるの」

「僕で答えられることならなんでも」

「これは純粋に好奇心から聞くんだけど―――肉体関係は持つの?それともプラトニックな関係?」

「か、母さん!」

黙って聞いていたメアリーが口を開いた。さすがに今のマーサの質問は看過できなかったらしい。

「だって気になるんですもの。お腹を痛めて産んだ娘が、こんな逞しい方とベッドを共にしたらどうなっちゃうのかしら?って」

「うう……」

下を向くメアリー。ジョージの方も苦笑しながら口を開いた。

「まあ、無理にならない程度に」

「そう。安心した。

じゃあこれについてはここまでとしておきましょうか。メアリーが真っ赤になっちゃうし」

「もう……」

一家と客はその後も雑談を続け、そして互いの理解を深めた。




―――西暦二〇四六年。ブラックドッグ級が誕生して十三年、知性強化動物の人権が認められてから二十五年目の出来事。

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