宗教画の中で

「寒くないの?」


【イタリア共和国カンパニア州ナポリ ナポリ海軍基地敷地内】


問われた客人は振り返った。座っているベンチのすぐ後ろにいたのは、尖った角が下向きに伸び、毛が生えた二足歩行のいきもの。

知性強化動物の子供。いや、年頃からして少女、と呼ぶべきだろう。

彼女の疑問はもっともだ。海に面したこの基地の敷地内は冷える。十二月ともなればなおさらだ。現に少女は厚着だが、客人はごく軽装と言えた。

「寒くないの。私はもう、死んじゃってるから」

「死んじゃうと寒くないの?」

客人は手袋を外すと、手を差し出した。おずおずとそれを取る、知性強化動物の少女。

「……つめたい」

「代謝がほとんど止まってるの。細胞の構造もかなり変わってる。浸透した保存材が劣化を抑えるし、皮下循環材に含まれたマイクロマシン群が必死で修復してるけど、もって二週間くらいかな。定期的な整備とクリーニングをしないとこのまま崩れちゃう。逆に、大きなエネルギーを作ったら百度を超える。長い事熱を出し続けたら脳が壊れるわ。そうならないよう、末端に熱を移すんだけどね。腕から塩の柱になって崩れる仲間を何人も見た」

「……」

「こんな都会に出てきたのは久しぶり。だからびっくりしちゃった」

客人は空を見上げた。つられて少女も上を見る。

もし千年前の人がここにいれば、神話の世界に迷い込んだと思うだろう。

飛び交っているのは何体もの青白い巨人リオコルノや鈍色のドラゴーネたち。それ以外にも様々な他国の神格が離着陸していた。ナポリ海軍基地は北大西洋条約機構NATOのナポリ統合軍司令部、ナポリ海上部隊司令部の所在地でもあったから。遺伝子戦争以降もその役割に変わりはない。人類の保有する神格の絶対数が増えたことで、その姿をより頻繁に見ることができるようになったのだった。

天にかかるオービタルリング。そして、昔ながらの姿が保たれた市街地とも相まって、それは荘厳な宗教画のようにも見えた。

神話の中で死者と獣神の少女は語らう。

「死んでいるのは、嫌?」

「昔は嫌だった。どうしてこんな体にされなきゃいけないんだって。わたしを生き返らせた人を恨んだこともある。

けれど今は違う。

これは、絆だから」

「絆?」

「そう。もういなくなった仲間たち。そして、今も生きている仲間との」

少女は、客人の隣に座った。そのまま海へと視線を向ける。

「お姉さんは、今日お話ししてくれる先生と一緒に来たの?」

「ええ。あなたがフォレッティならその通りね。私は付き添いできたの」

「ローザはフォレッティだよ。お姉さんは?」

「私はリュボフ。リューバって呼んで」

「うん」

少女は―――ローザは頷いた。

「リューバお姉さん」

「なあに?」

「先生の力はどんなもの?」

「うーん。そうね。……あ」

ふと、客人。リューバは足元に目をやった。そこで起きつつある異変を注視する。

「これを見たらわかる。…かも」

「?」

ふたりが視線を向けた先は、ベンチの下。敷石の隙間からにょきり、と顔を出しつつある小さな芽だった。

それはたちまちのうちに伸長し、成長し、葉を伸ばし、そしてつぼみを形作り、最後には花開いた。

奇跡のような光景に目を丸くするローザ。

対するリューバは、これがどのような力によってなされたものなのかを知っていた。環境管理型神格の権能の一端。生物を操作する力によって、石畳の間で眠っていた種子が目を覚まし、急成長したのだ。

花はしばしの間咲き誇り、そしてしおれていった。

「……枯れちゃった」

「仕方ないわ。まだ真冬だもの。でも」

枯れた花のあった部位。そこから幾つもの種子が零れ落ちる。そのうちの一部は、再び敷石の隙間へと。

「時期が来ればまた芽吹くわ」

「うん」

「さ。ここは寒いわ。私はいいけれどあなたが風邪を引いたら大変。建物におはいりなさい」

「わかった」

とてとて、と屋内に戻っていくローザ。それを見送っていたリューバは、建物の合間に知った顔を発見した。

はこちらの方を向くとバツの悪そうな顔をした。今のイタズラを怒られる、と思ったらしい。

こちらが頭を振ると彼女は安心したか、自らも建物の中へと戻っていく。

それを見届けた死者は、自らも立ち上がった。よっこいしょ、と。まるで生きているかのように。




―――西暦二〇四五年十二月。ナポリ海軍基地にて。フォレッティ級神格が完成する前年の出来事。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る