トランスヒューマンのいる生活

超人トランスヒューマンはどこにでも当たり前のようにいる。戦前と現代との違いを一つ挙げろと言われたら、僕はそう答えるね」


【埼玉県 公立高校 教室】


「先生は、昔と今じゃどこが一番変わったと思いますか?」

生徒に尋ねられた刀祢は首を傾げた。咄嗟に答えが出なかったからである。

「そうだなあ。……右を見ても左を見ても、超人がいる。ってことかな」

超人トランスヒューマン、ですか」

「ああ。例えば代表的なのは人類側神格。彼らは不老不死で、人間離れした身体能力を持っていて、強力な拡張身体を備えている。超人だろう?」

「確かに」

居残り勉強である。明日の近代史や情報の試験に備えた自主的なものだった。他にも数名の生徒が教科書とにらめっこしている。

「彼らだけじゃない。知性強化動物だって人間とは比較にならないくらいの知能と神格による超人的な能力が備わっているし、最近の全身義体者のアスリートは馬より何倍も早く走ったり、走り幅跳びで二十メートルも飛び越えたりする。今じゃあオリンピックよりパラリンピックの方がずっと注目されてる始末だよ。軍隊や自衛隊の特殊部隊とか、あるいは極限環境で働く人の中にはマイクロマシンと薬物、生体部品を用いた強化人間ブーステッドマンも普通にいる。いわゆる強いAI。意識を持った高度知能機械だってある意味では超人トランスヒューマンだ。今じゃあ誰でも、知り合いの知り合いの知り合いくらいまで辿ればそういったひとびとまでたどり着けるんじゃないかな」

そこまで辿らなくても超人トランスヒューマンの知り合いが二ダース近くいる刀祢は内心苦笑。いちいち生徒に話すようなことではないが。

「超人になってみたいかい?」

「別に。凄い能力があったって使い道がないですし……」

「無欲だなあ」

「だって当たり前にいるんじゃありがたみがないじゃないですか」

「そりゃそうだ」

刀祢は納得。スーパーヒーローは実在しないからスーパーヒーロー足りえるのだ。実在するならばそれはただの現実でしかない。

現代の若者の価値観を実感する刀祢だった。

「昔は超人トランスヒューマンを作る手段がなかった。まだその可能性が見えて来たばかりの頃だったんだ。だから色々と議論もあった」

「どんな?」

「人間を強化する技術は、人類に危機をもたらすだろう。っていう警告とかだな」

「……危機なんて起こるんです?」

「昔はそれを真剣に論じる人もいたんだよ。例えばスタンフォード大学のフランシス・フクヤマはこう言っている。子孫のDNAが改変されれば人間の行動を変える。それは不平等を生み出し、民主主義の根幹を揺るがすだろう。このような奇跡のテクノロジーを用いることのできる富裕層と、そうではない貧困層の分断を招く。とね。不老不死もそうだな。老化の問題を解決したら深刻な人口爆発を招き、地球の資源やエネルギーをたちまち食いつぶしてしまうんじゃないかと言う懸念があった。

だが実際に人類がDNAの改造を知性強化動物や医療にしか用いていないのは別の理由だ。長期的な影響が読みきれない。神々と言う失敗例を見ているからに過ぎない。人口爆発もさほど問題にはならないだろう。人類は宇宙進出に意欲的だ。地球だけに住んでいたら、致命的攻撃を受けた時に全滅しかねない。何百年も未来には、幾つもの星に移り住むようになるだろう。神々のテクノロジーの全てを解き明かし、更に発展させているだろう。幾ら人口が増えても、移り住む土地だってたくさん増えているはずだよ。

あるいは、フランケンシュタイン・コンプレックスと言う概念がある。人類の作ったものがいずれ反旗を翻すんじゃないかと言う恐怖だな。だが実用化された知能機械や知性強化動物は、人間と仲良く共存できている。誰も恐れていない。これにはお互いが尊敬し合い、認め合う努力を怠っていないから。と言う理由はあるにせよ。

もちろん、悪用される可能性のある技術も存在する」

「ボディビルダーが不正な遺伝子操作で筋肉を増やしてた、ってニュースでやってましたね」

「そう。今じゃそういう犯罪も実行できる。発覚しにくいからな。

まあ筋肉を増やす程度ならかわいいもんだが、凶悪犯罪だってたくさんある。思考制御をはじめとする知的生命の自由意思を奪う技術は治療目的の研究以外制限されているし、デジタルな不死なんかもそうだ。

個々人の脳のニューロンの結合を調べて再現する事さえ今じゃあさほど難しくはない。そいつを当人の脳を使わず動かすならスーパーコンピュータが必要になるが、現実的じゃあない。実用するなら他人か、あるいはクローンなんかで作った肉体を奪うしかない。

だが、こういった問題は単に、技術の進歩で犯罪の種類が増えたというだけの話に過ぎない。遺伝子戦争より前からあることだよ。

……ちょっと脱線しすぎたかな」

「あー」

刀祢と生徒は顔を突き合わせ、苦笑。テスト勉強のはずがえらく長い無駄話だった。

「まあいいです。先生の脱線、好きだし」

「そう言ってもらえると助かるな」

苦笑した刀祢は、生徒の席から離れた。

そのまま彼は、自習する生徒が皆帰るまでその場にいた。




―――西暦二〇四五年。最初のトランスヒューマンが出現してから二十九年目、パラリンピックで全身義体者の級が初めて出現してから九年目の出来事。

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