復活祭の卵

「誰かが思いつくことは、別の誰かがもうやっている。その"別の誰か"が自然だったのが、チューリングマシンだな」


【イギリス イングランドロンドン市 マリオン家玄関】


そこら中に卵が飾られていた。

玄関の靴箱の上。階段の脇。テーブルの真ん中。庭にもあるし、門の前にも山積みで置かれていた。いずれもカラフルな彩りを施された不思議な卵である。

特別に飾り付けられた鶏卵だった。いわゆるイースターエッグ。春を祝い、あるいは復活祭を迎えるために用意される宗教的な品物だ。そもそもはキリスト教や復活祭よりも歴史が古く、卵とウサギは豊穣のシンボルでもあったという。

春の訪れを迎える準備のできた家の中からは、何人もの声が響いている。家主であるフランシスに招待された子供たちが中で遊びまわっているのだった。

「きゃははは」

「こら、引っ張るな」

背中の毛をむしられるという災難にあったジョージは抗議の声を上げた。四足歩行する巨体の上にまたがっているのは猫のような特徴を備えた人型の生き物。チェシャ猫級知性強化動物の子供である。個体名はアラン。

「やだー。もっとー」

「…まったくもう」

道を歩けば誰もが礼儀正しく道を譲ってくれるジョージの体躯も、アランにかかればふわふわの遊び場に過ぎない。フランシスに呼び出されて手伝いに駆り出されている身としてはこれでいいのだろうが。

今日行われるのは復活祭を前にしたちょっとしたゲーム大会である。招待客はチェシャ猫の子供十二名と、ジョージやメアリー他手伝いが数名。マリオン家は一家族で住まうには十分な広さがあるが、さすがにこの人数だと少々手狭である。当の家主は数名の子供たちと共に二階にいるはずだった。

二本の尻尾でアランを掴み上げると、丁重に床へ下ろす。思えば随分大きくなった。そろそろ一歳になるだろう。人間でいうならば十歳近くにまで育っている。

現時点でも、その演算能力はスーパーコンピュータ並みかそれ以上である。もっとも生体と機械では得意分野は異なるため、完全に代替することはできないのだが。

「こんななりで僕より高性能なんだからなあ」

「こうせいのう!凄い?」

「すごいすごい。僕が蒸気機関車なら、君はスペースシャトルだな」

階段の横へよっこいしょ、とジョージは座った。更にその横へアランも座る。更にはこちらの体をつんつんとつつき始めたではないか。

「おんなじ知性強化動物なのに、こんなに違っててふしぎ」

「不思議なもんか。結局のところ、君も僕も同じ物質で出来ていて、だいたい同じプロトコルで考えてるんだぞ。人間だってそうだ。細かい部分が違うだけだよ」

「そっかなー」

「そうだよ」

「じゃあ細かい部分の違いがとってもはっきりしてるんだ。ぼくは二本足だけど、ジョージは四本足だ」

「僕だって二本足でも歩けるんだぞ。あんまりやらないだけだ」

「ほかにも、ぼくは男の子だけどジョージは女の子のところもあるよね」

「まあそうだな」

第二世代はたいてい両性具有である。第一世代は全員女性。第三世代は今のところ、チェシャ猫は男性なのに対してイタリアのフォレッティ級は女性、と性別は様々だ。もっとも生殖能力のない知性強化動物にとっては性別は大した意味を持たないし、どんな性自認でどのように振る舞おうと自由が保障されている。そもそも非常に精妙なバランスの上に成り立っている人工生命であるから、作った通りの性別になるか確かなことは言えないのだった。

もっとも、その辺は自然の産物である人間だって大して変わらない。進化は行き当たりばったりだし、生命というものはくっきり定まっているわけではない。それが世間一般で理解されだしたのは比較的最近のことだが。

「百年前なら、僕らはどういうふうに見られただろうな」

「ひゃくねん?」

「なんでもない」

ふと、ジョージが連想したのは過去の天才科学者。アラン・チューリングと言う、隣の子供と同じ名前を持つこの人物は輝かしい功績を残した数学者であると同時に、同性愛者であったために悲劇的な最期を遂げてもいる。彼が活躍した二〇世紀半ば、イギリスでは同性愛は違法だったためだ。

もっとも、チューリングが遺した功績は今も生きている。計算機の始祖とも呼ばれる彼は、チューリングマシンと呼ばれる仮想的なコンピュータを考案した。一次元の無限に長いテープと、テープの情報を読み取りまた書き込みができる、自由に移動するヘッドだけから構成された装置がそれだ。チューリングマシンはコンピュータができることは全てできる事がわかっている。たった一本のテープの上にプログラムとデータの双方を書き込まれたこの仮想的な装置の実物はどこにでもある。すべての生命が備える、ゲノムと呼ばれる物質がそれだ。

その最新の応用成果であるところのチェシャ猫は、首を傾げた。

「ジョージ、変」

「変じゃない。さ。そろそろみんなの所に行こう。はじまっちゃうぞ」

「うん」

ふたりは立ち上がると、皆のいる部屋へ歩いて行った。




―――西暦二〇四五年。チューリングマシンの概念が発明されてから八十九年、チェシャ猫が誕生した翌年の出来事。

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