リハビリは続くよいつまでも
「ふみゃあ……」
【イタリア共和国カンパニア州ナポリ ナポリ海軍基地】
情報の洪水だった。
神格によって強化された五感は人間のそれを遥かに上回る。通常は無意識的にそれをセーブし、処理するべき情報を制限することができる。しかし普通でない状態の場合、それはすさまじい不具合を引き起こした。今、ペレの身に降りかかっているもののように。
施設の屋根の上で猫のようにひっくり返っているペレは、腕で陽光を遮った。
手術は成功だった。らしい。らしいというのは、成功したからと言ってすぐさまペレの言語能力が健常者並みの水準になるわけではないからだ。二週間近く水槽のようなポッドの中で脳に修正を加えられ、その後も病室で厳しい管理の中治療を受け、ようやく医療棟の中を歩き回る許可が出たのがしばらく前。それと同時にリハビリも開始された。現在は基地の官舎と医療棟を往復する毎日だ。辛い。辛いが、入念に説明を受けた上で(もちろん非言語的な手段で、である)同意したのはペレ自身であるから文句のつける先はない。そもそも神格の脳は常人よりもはるかにややこしい。機能回復が一筋縄でいくはずもなかった。開いた口から声を出しているところに指を突っ込んだり、指示通りに一音ずつ声を出したり、歌を聞いたり、と言った基礎的な訓練がずっと続いている。医者や理学療法士の指導にどんな意味があるのかはまだ分からないが、無意味ではなかろう。恐らく習熟が必要なのだという事は分かる。途方もない話ではあった。一音ずつが終われば音の連なり。それが終われば単語や会話、と続くのだろうことは想像がついた。
そして厄介なことに、リハビリの効果は確かに出てはいるのだ。今まで認識できなかった人々や機械の出す音声。それらが単なる音以上のものとして意識にのぼるようになったからだった。同時に、そこかしこに書かれた文字や記号についても。問題は、ペレが初心者以前の状態と言うことだった。意味は分からなくても意味があることは分かる。今まで意識に上らなかったそれらがペレを押し流そうとするようになったのだった。これはキツい。
よっこいしょ、と身を起こす。
辛いが、ペレのために色々と手を尽くしてくれた人たちの事を想えば無下にはできなかった。何十人もの優秀なスタッフと最新の機材が治療に投入されているのだ。莫大なコストがかかっているはずである。
それに。
今年中には、新たな子供たち。あの不思議な、言葉を話す生き物たちが生まれるという。
挨拶くらいはしてやれるようになりたかった。
立ち上がると、地面を見下ろす。誰もいない。飛び降りる。
古参の兵隊に手を振り、部屋に戻る道を行く。休憩時間は終わりだ。午後からは更なるリハビリが待っている。
ペレは、信じた。いつか自在に言葉を操れるようになると。
―――西暦二〇四四年。ペレの治療が開始されて二か月、フォレッティ級知性強化動物が誕生した年の出来事。
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