広々としたケージ

「問題は、ヒトが本来の生活様式とかけ離れた環境下に置かれる事です。生まれながらの本能や衝動を抑え込み、攻撃性を無効化させ、動きの自由を削減する。ヒトを家畜化するとはそういうことです」


【西暦一八五〇年 樹海の惑星グ=ラス軌道上宇宙都市】


ドワ=ソグは周囲を見回した。列席しあるいは通信回線経由で参加しているのは多数の同胞たち。これから提案する事業を実現するには、彼ら全員の協力と同意が不可欠だ。自分たちのチームが作った試案はあくまでもたたき台に過ぎない。具体化していくには膨大な時間と調査、労力が必要だろう。

「サンプルの調査から判明している通り、ヒトは我々に酷似した生命です。違うのは外観だけと言ってもいい。その脳への人格移植が可能であるという事実も既に実証されています。ヒトを用いれば、かつて生み出され、倫理的問題よりもむしろコスト上の問題によって忘れ去られたこのテクノロジーを利用するのが可能なのです。不死の時代が到来します。もちろん、現実にはヒトに合わせて技術も修正していく必要はあるにせよ。

ですが、そのためには十分に発達した脳と肉体が必要になります。先に述べた通りヒトは我々と非常に近い。つまりそれは、健康なヒトが育つには我々の子供が育つのと同様の環境がなくてはならないと言うことです。開放的な世界で、愛情あふれる幼少時代を過ごさせ、比較的ストレスのすくない状況に置いてやる必要がある。身動きも取れない狭いケージに閉じ込めで肥育するようなわけにはいかない。ヒトを食い物とするのであれば話は別ですが」

脇へと眼をやる。そこに座るのは上司。老いてなおカリスマ性を研ぎ澄ませている大神は、ドワ=ソグへと頷いた。

話を続ける。

「最盛期の我々は何百億と言う家畜を狭いケージに閉じ込めて資源の供給源としていましたが、一方で伝統的な別の手段も用いていました。このような伝統は家畜の絶滅と共に失われつつありますが、地球では今も見る事が出来ます。放牧と呼ばれる形態がそれです。管理下に置きつつも非閉鎖的環境でのびのびと過ごさせることでストレスを最小限に抑える事が出来るでしょう。手法としてはさほど難しくはありません。彼らを無知な状態に置き、一か所に定住させてやればいい。食糧も彼ら自身によって生産させるのがよいでしょう。農耕は定住のための動機を生みます。作物を栽培するには長い時間が必要になります。永続的な村落が形成され、食料が多く供給されるようになれば人口は増加するでしょう。穀物があれば赤ん坊はすぐに離乳できるようになります。粥が乳の代わりとなるからです。彼らの女性は毎年子供を産めるようになるでしょう。畑では多くの働き手が必要となり、それも人口増加の圧力となるはずです。このような定住は疫病の発生や自然災害による食料難と言った試練とも隣り合わせですが、そこは我々が手助けをしてやることで乗り越える事が可能です。

農耕自体による環境改造の効果も見逃すことはできません。膨大な人口が生み出すこの作用は、惑星に破滅的なまでの影響を及ぼします。自然環境が残っていればこれは破壊でしょうが、現代の状況ではプラスに働くでしょう。土壌と自然の回復のための前段階となります」

端末を叩く。用意していた資料を聴衆へと送り出す。

「無知な状態に置かれた彼らを支配するのは可能です。人類自身がかつて用いていた方法に倣えばいい。"神"を演出してやるのです。彼らの神を用いて。人類は非常に多様で複雑な神話体系を持っていることは既に判明しています。ヒトの脳を使い、ヒトの神に似せた神格を作るのはよい方法です。副産物として、従来よりも極めて廉価に、かつ高性能に神格を作る事が可能となるでしょう。

それは、彼らを我々の管理下に置く際にも極めて大きな力を発揮してくれることでしょう。もちろん、そのためには神格を組み込まれたヒトの脳を安全かつ確実にコントロールする必要がありますが。

成功の暁には、我々はもはや寿命におびえる必要はなくなります。文明を永続させる事すらできるのです」

ドワ=ソグは一旦間を置いた。周囲の反応を確認する。不安になる。明らかに巨大な事業だ。自分の発言は彼らの心に入り込むことができただろうか?

答えは、すぐに出た。多くの聴衆たちの賛同と言う形で。

「皆さんのご賛同に感謝します」

勇気づけられたドワ=ソグは。この神々の科学者は反応に満足すると、引き続いて環境回復に関するプランの提示を開始した。



【西暦二〇四四年 イギリス コッツウォルズ地方 捕虜収容所寝室】


目を覚ませば、深夜だった。

ドワ=ソグは地球侵攻計画の中心にいた神のひとりだ。この事実を人類は恐らく知らない。捕虜になった時に一言も漏らさなかった。あくまでも一科学者で押し通したのだ。南極からの仲間はおおむね知っていたが、彼らも沈黙を守った。人類もようやく終わった戦いに浮かれ、そして戦災復興に頭を悩ませていた時期だったから捕虜からの聴取はそこまで厳密なものではなかったのも幸いした。あの時ほど、自分のごく平凡な名前に感謝したことはない。面識のある"天照"に鉢合わせしなかった幸運にも。

知られていればどうなっただろう。分からないが、ロクなことにならなかった可能性は高い。

ドワ=ソグは、隣で眠る息子。そしてそれを挟んでベッドの反対側に眠る妻の顔を、順々に見た。

皮肉にも、かつて自分が言った通りの環境に置かれている。管理されつつもストレスの比較的小さい、繁殖に励むであろう生活。無知な状態に置かれているわけではないが、しかし与えられる情報は一定の制限を受けている。

恐らく自分は、ここで生涯を終えるのだろう。あの日。天照が反乱を起こしたのを知った日から覚悟を決めていたことだった。だからこそ一旦は帰還を果たしたにもかかわらず、地球へと舞い戻ってきたのだ。同胞たちへの責任を果たすために。

ずれた息子の毛布を直してやる。自分は幸せだ。戦争を最後まで見届け、生き延び、こうして家族にも恵まれたのだから。

自らの幸運をかみしめながら、ドワ=ソグは再び眠りについた。




―――西暦二〇四四年。第一次門攻防戦の八年前、地球侵攻計画が本格的に始動してから二百年近く経った日の出来事。

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