簡単なことも難しい

「人間すべてに同じことをさせるのは難しい。それが多様性というものです」


【埼玉県 都築家】


37.6度。

布団でダウンしている相火の体温である。

「ぅ~~」

うわごとを言いながら氷枕で頭を冷やしている少年。風邪であった。現代であっても人類はこの病気を根絶はできていない。圧倒的な物量と急速な突然変異の合わせ技で人類の対策をすり抜けてくるからだ。

「じゃあ、しっかり寝てるのよ」

「はあい」

氷枕を取り換えた玲子が仕事に行くと、相火はもぞもぞと動き出した。タブレットをタップ。ホーム画面が浮かび上がり、そして右上に緩やかなウェーブを描く髪を持った少女のアイコンが出現する。九曜だった。

「大丈夫ですか、相火さん」

「あんまり……」

最近は病院に出向かない遠隔診療も可能である。つい先ほどまでそれを受けていた相火の顔色は明らかに悪い。医師の診断とビッグデータの支援を受けたAIによる画像診断は非常に優秀である。薬は家族が取りに行くこともできるし、何ならドローンで届くのだった。

「……不老不死も出来る時代なのに、風邪の予防はできないんだなあ」

「身体に改造を加えないのであれば難しいですね。風邪を引き起こす病原体は数百種類存在しますが、大半はウィルス性です。地球上の人類皆が、マスク手洗いうがい。そして消毒を徹底すれば大部分は根絶できると思われますが」

「それだけでできちゃうの?」

「はい。それだけで感染はほぼ遮断できます。ウィルスは人体を用いなければ増殖できませんから、感染者全ての病気が治った時点で人間のみに感染するタイプのウイルス性の風邪は絶滅するでしょう。

もっとも、人間工学的には非現実的と言わざるを得ません。人類すべてにそれらの行動を同時に徹底させるのは極めて困難です」

「方法は分かってるのにどうにもならないのか……」

「それが多様性ということでしょう」

相火は、傍らに置いてあったペットボトルの中身を口にした。味があまり分からない。

「……九曜がちょっとうらやましい」

「私がですか?」

「うん。病気にならないじゃない」

「確かに人間の病気にはかかりません。しかし私たち知能機械も様々な問題に直面します」

「問題?」

「はい。例えば悪意のある電子的な攻撃。地球上の通信量の半分がそういった他者を害する意図によるものです。単純ないたずら。腕試しと言ったものから、重要なデータを奪ったり、破壊や身代金を確保するのが目的の場合もあります。ワームやコンピュータウィルスといった、自己複製するプログラムによる攻撃は日常茶飯事です。この会話自体も脆弱性になりえます。私だけではなく、世界中の知能機械がこの脅威に晒されているのです」

「大変だ」

「大変です。しかし生まれた時からこうですから。さ、相火さん。寝てください。治りませんよ」

「うん……そうする」

やがて相火はすやすやと寝息を立て始めた。

それを見届け、九曜は接続を切った。




―――西暦二〇四四年。強化身体による病気の根絶が可能となって二十六年、自己複製するプログラムについて初めて言及されてから九十五年目の出来事。

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