袋詰めの農場

「遺伝子戦争が終わった時、人類にはもう宇宙開発の力は残されていないと思われていた。だからこれは、奇跡としか言いようがない」


【太陽系火星 北半球アルカディア平原】


袋詰めだった。

透明なシートで覆われた棚、と言った姿の機械である。その中にぎっしりと詰まっているのが透明な袋と言う組み合わせ。

水耕農場だった。

袋は植物から蒸散する水分を逃さない再利用を可能とし、また他の苗から病気が移るのを阻止する役割も持つ。収穫すれば分解してまた新しい袋の材料にリサイクルされる。大事に保護された野菜の種子はまだ根が伸びたばかりだが、すくすくと育っているように見えた。

「よしよし。ちゃんと大きくなるんだよ」

リスカムは、天井を見上げた。三重のシートならなる巨大なドームは、内部の気圧によって支えられている風船のようなものだ。それを透かして入ってくる太陽光は弱い。それだけでは植物の糧となるにはあまりに足りないだろう。

周囲を見回す。

さながら、ビニールハウスだった。

リスカムたちが運んできた実験室。酸素供給源兼食料生産設備、でもある。ここは水耕栽培用だが、別の用途に用いる同じドームが他に幾つもあるのだ。いずれも二酸化炭素を分解し、新鮮な酸素を供給してくれることだろう。そのためにも、非常に重要な設備だった。

ここは、人が持ち込まぬ限り酸素が存在しない土地だったから。

火星。太陽系第四惑星の地表に、リスカムはいたのである。

着陸してからもう二日になる。事前に無人機が運び込み、ロボットによって設営されていたこのベースキャンプのチェックの最終段階だった。

「そっちはどうだー?」

「順調に野菜たちは生育中。この分なら最初の収穫は三週間後になるよ」

「そいつは何より」

無線の向こうにいる仲間に答え、リスカムは笑顔に。見慣れない人間が見たら表情を歪ませたようにしか見えないだろうが。この辺は人間と顔の構造から違う知性強化動物全般の問題である。

栽培される野菜は様々だ。アブラナ科の植物が多いが、マメ科の植物も重要だ。タンパク質が多いこの作物からは、代用肉類を作ることができるからだった。ここでの任期は一年もあるから、食の彩りは士気にかかわる。

もっとも、農耕はリスカムの得意とするところだった。何しろ実家が農家である。人類製神格の中でもその方面での経験はトップクラスだろう。まるで今回の事業のためにあつらえたかのような能力だった。

そして、この経験。人間の間で二十年あまりに渡って培って来た膨大な実体験こそが、第一世代の知性強化動物の持つ比類なき価値なのだった。人間を遥かに上回る知能と学習能力を備えた彼女らの人生は、常人よりも遥かに濃密だ。それでもそそっかしいのは相変わらずだったが。

「よっこいしょ」

水耕栽培棚の傍らから立ち上がったリスカムは、隣のドームへのドアを開けると慎重に潜った。引っかけたら厄介だ。宇宙用設備は脆い。角をぶつけた程度でも何度も繰り返せば致命傷になるかもしれない。実はこれも神経が通った高密度の感覚器なのでぶつけた方も滅茶苦茶痛い、という問題もある。

中に入ると、そこはやはりドーム。とはいえノートパソコン型の端末や各種モニター、人数分の二段ベッド、電熱調理器具、冷蔵庫、ホワイトボード、デスク等が所狭しと並べられた事務及び生活スペースだったが。ちなみにトイレは先ほどの水耕栽培用のドームにある。宇宙では排泄物も貴重な資源だ。野菜たちの栄養分になるのだった。

「お疲れさん」

「外の様子はどう?」

「そろそろみんな終わるんじゃないかな」

問われた船長、ジョン・タイソン博士が振り返った。彼の前に置かれたモニターでは外の様子が幾つにも分割されて映し出されている。

そこは見渡す限りの赤茶けた平原。緩やかな起伏が遠方に幾つも見える荒野である。そんな中にあるのは幾つものドームやアンテナ。少し離れた場所には大型のトレーラーが二台と、そして四本の脚を伸ばして着陸している宇宙機が鎮座している。翻っているのは国連のマークが描かれた旗。

火星の地表であり、そこに設営されたベースキャンプだった。

「やっとここまで来た。遺伝子戦争が終わった時はもう、人類に火星有人探査をするだけの力は残っていないと思ったもんだが。そうじゃなかった。

君たちがいたおかげだ」

「わたしたち?」

「ああ。君たち知性強化動物が活躍したから地球は復興できたし、人類は勇気づけられた。我々の技術でもここまでできると自信が持てたし、守られているという安心感もあった」

「そうなのかな…」

「そうだとも。君と共にこの地を踏みしめる事が出来てよかった」

タイソン博士は頷くと、モニターに視線を戻す。

「さあ。点検が終わってもやることは山積みだ。頑張ってもらうから覚悟しといてくれ」

火星での一年の始まりは、慌ただしく過ぎて行った。




―――西暦二〇四四年。人類が初めて火星に到達した翌日、神々による小天体投下攻撃が実行される八年前の出来事。

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