進歩する翼
「信じられない。凄いわ。彼らを発見した時はまだ帆船で海を渡っていたというのに!」
【西暦一九一〇年十一月十四日 アメリカ合衆国 軽巡洋艦バーミングハム上空】
酷く稚拙で、不格好な機械だった。
骨格に布張りされた翼は揚力を稼ぐためだろう。二段重ねとなっており、パイロットは剥き身で外気に晒されている。動力であろう内燃機関も恐ろしく原始的な代物である。何の役にも立たないだろう。今はまだ。
だが、将来どうなるかは、分からない。
動力を始動されていた機械は、設置された場所から徐々に進み始めていく。それは船の先端。そこに設けられた平坦な甲板上を、ゆっくりと動き始めたのである。
船の前進。風速。機体の速度。それらの合成が翼にぶつかり、上下で異なる速度を得た。結果として生じた揚力を受けながら、不格好な機械は船首より飛び出した。
それは海面にまるでつんのめるかのように激突しかけながらも、なんとか安定。まっすぐに飛翔していく。
この惑星で初めての光景。
航空機が、船より飛び立った瞬間だった。
「信じられない。たったの半世紀でここまで進歩するだなんて!」
一部始終を隠れ場所より見下ろしていた鳥相の女神は、まるで子供のようにはしゃいでいた。無理もない。異種知的生命体が技術的ブレイクスルーを突破する瞬間を目の当たりにしたのだから。艦艇からの航空機の離艦は非常に難しい技術である。
「見てみたい、とおっしゃっていたものはこれですか」
「ええ。ありがとう。おかげで素敵なものが見られたわ」
ミン=アは笑顔で答えた。相手はいつもの
「とはいえ、相談役殿を置いてきてよかったのですか?今頃お
「いいのよ。仕事は先にだいたい片づけてきたもの。残っているのは彼や他のスタッフたちで処理できるものばっかり」
「いつもながら大したバイタリティです。昔から変わらない」
若い女神は苦笑を浮かべた。彼女はミン=アに仕えて長いが、この主君は昔から無邪気で周囲の者を振り回す。それでもどこか憎めない、絶妙なバランス感覚の持ち主だった。
「あら。あなただって変わらないわ。子供の頃から」
「恐縮です。
さて。そろそろ戻りませんと」
「ええ。お願い」
若い女神は隠れ場所から顔を出した。自らの肉体の、ではない。組み込まれた神格を通してコントロールする流体の塊で出来た拡張身体の頭部。
それを、雲の中から突き出させたのである。さらには流体のエネルギー効率を低下させ、代わりに光を透過する。現時点での人類のテクノロジーでは、音速の三倍で飛翔するステルス中の巨神を捉えるのは極めて困難である。という事実が長年の調査で分かっていた。彼らが高エネルギーのレーダー波をぶつけてくるようになればまた別だろうが。
雲から身を乗り出した巨体は、異形の女神像。鳥の頭と細長い四肢を持ち、着物を思わせる装束の上から軽装の防具を身に着けた巨神だった。背負っているのは和弓にも似た弓と、矢筒。灰色の女神像―――神のクローンを素材として建造された文明再建用の神格である。その名を人類の言語に訳せば、"
巨神の内部に偏在しながら、主君と神格は言葉を交わす。
「空を征服することは大きな意味を持つ。利用方法はたくさんあるわ。発展すれば宇宙進出の道すら開ける。文明に空は必要なの。飛ぶことができなければ、地上と海にへばりついて生きていくしかないもの」
「とはいえ彼らはいまだごく初期の段階にいます。空気より重い航空機を飛ばせるようになって、十年しか経っていません。我々の段階には遠く及ばない」
「そうね。例えばあなたの巨神。これは彼らの最大の船舶並みの質量を備え、第二種永久機関で駆動し、分子運動制御で推進剤なしに飛び、宇宙にだってこのまま飛び出せる。情報科学と生命工学の極致だわ」
「はい。私の神格はもう六百年も前のものですが、それでも彼らと勝負になれば一蹴できます。この状況は今後百年経っても変わらないでしょう」
「ええ。私も同意見。けれど問題はそこじゃあないの。
彼らを見て、どう思った?」
「向こう見ずに見えました。あのような危険な機械で、冒険を行うとは」
「そう。そこよ。彼らは向こう見ずで、冒険心に溢れ、そして未来に何の不安も抱いてはいない。種の存亡なんて気にしたこともないの。だからいろんなことに挑戦できるんだわ。
停滞している私たちとは大違い」
「ミン=アよ。我が主よ。あなたは、ヒトが私たちの停滞を打破する鍵になるとお考えですか?」
「ええ。何十年も彼らを観察してきたことではっきりした。彼らがもたらしてくれる未来が、私達本来の冒険心を蘇らせてくれる。きっとね」
「それは予言ですか」
「どうかしら。ただの老人の世迷いごとかもしれない。けれど、そうなったら素敵だわ。あなたもそう思わない?」
「同感です。
さ。そろそろ門に着きます。帰還しましょう」
鳥相の女神像は急降下。海面へと飛び込み、そして海底に開いた小さな門を抜けた。
【西暦二〇四三年 硫黄島航空基地 施設屋上】
「また描いてるの?」
"ちょうかい"は、声のした方へ振り返った。そこにいたのは制服を着込み獣相を備えた、自分と同年代の女性。"あたご"。ちょうかい同様、九尾の姉妹である。
「まあね」
「どれどれ。相変わらず上手ねえ」
ちょうかいが手にしているタブレットに描かれていたのは基地の上空。降下してくる気圏戦闘機と、その向こうにうっすらと見えるオービタルリングの姿だった。
「描いてないと不安になる」
「どうして?」
「時代の変化が速すぎる。こうして記録に残しておかないと、忘れちゃうんじゃないかと思って」
「そっか」
「あたごだって歴史を塗り替えるところだったじゃない」
「まあねえ」
あたごは苦笑。ちょうかいのいう通り、本来なら自分は歴史を塗り替えていたはずだった。火星往還船に乗った知性強化動物第一号として。予定が変わったのは演習中の事故のせいである。不幸な事に、誤射で負傷したあたごは新開発の治療用ポッド―――安定した状態にすることで神格の自己治癒を最大限に助けるタンク―――の実用第一号の栄誉を得た。引き換えに、次席だったリスカムがあたごのいた場所に座ることになったのである。
「生まれた時、気圏戦闘機なんてごくわずかな鹵獲されたもの以外なかった。オービタルリングも。けど今は当たり前のように視界に入ってくる。慣れるのは悪いことじゃあないけど、当たり前になったら昔を思い出せなくなるから」
「相変わらずね、ちょうかいは」
ふたりは笑い合う。
「じゃ、戻るね」
「うん」
告げると、あたごは階下へ降りていった。それを見送ったちょうかいは、手元の作業に戻った。
―――西暦二〇四三年。焔光院志織が初めて巨神を撃破してから二十七年、人類が空気より重い航空機を飛ばしてから百四十年目の出来事。
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