出航前夜

「あの子が初めて月に行ってからもう十四年か。歳をとるわけだ」


【イタリア共和国エオリエ諸島サリーナ島 ベルッチ家】


「そういえばもう、そんなになるのね」

庭先でオービタルリングを見上げながら、モニカは祖父に答えた。そこには火星往還船が停泊しているはずである。それも、今年中の出航を控えた。もっとも、地平線の彼方に隠れてはいるので見えるわけではない。

そして、それにはリスカムが乗っているのだ。ライバルとの競争に勝ち、最初の船の乗員の資格を勝ち取った娘が。

「実現までえらい時間がかかったなあ。戦前は、2030年代には火星に人がたどり着くとか言ってた気がするんだが。科学技術は無茶苦茶進歩したってえのに」

「仕方ない、かな。やるべきことが多かったからずれこんじゃったのね」

宇宙関連でも人類の科学技術は大幅に進歩したが、やるべき課題は山積されていた。月に恒久基地が作られたのもそうだし、軌道上の掃除による人工衛星網の再構築も急務だった。現代の核融合エンジンは、片道だけならわずか三カ月で地球から火星までの航海を可能とするほどのパワーを宇宙船に与える。扱えるエネルギーの総量が大きければ大きいほど軌道と速度の選択肢が増すためだ。もっとも、人類の核融合技術が完成してからの歴史は浅い。宇宙での信頼性を試す期間が必要だった。火星有人飛行がここまで遅くなったのは、待っていれば高性能なエンジンが使えるようになるのだから、と言う理由が大きい。もっとも、復路や冗長性の問題があるから実際に三カ月、と言うわけにはいかない。もう少しばかり航行期間はかかった。それでも、化学反応ロケットなら片道2年以上な上に運べる荷物もずっと少ないから劇的な高性能化である。

「ま、俺が生きてるうちに火星までたどり着けそうでよかったぜ。これが成功したら、もっと遠くまで行くのかねえ」

「多分ね。木星。土星。天王星。太陽系のどこまでも行けるようになる。木星圏にも基地を作る計画だってあるの。それに今開発中の超光速技術が成功したら、おじいちゃんが生きている間に隣の太陽系まで行けるんだから」

「とんでもねえな……」

神々から得られたテクノロジーは、地道に研究を続けていけば確実にいつか実用化可能である。既に実用化した神々と言う前例があるのだから、これほど確かなことはない。

それはすなわち、人類も恒星間文明を築けるということだ。

「超新星、だったか。なんで神々は、星が爆発するってのに逃げなかったんだ?星を渡る力を持ってたってのに」

「無理だったのよ。当時の神々が行ける範囲じゃあ、超新星爆発の圏内だもの。それに星を丸ごと引っ越すなんて大事業にも程があるわ。仮に移動できたとして、時間が足りなかったの。もし門があったら別だったでしょうけど、門の技術が生まれたのはそれから何百年も後だし。

超新星爆発はとても大きな天文現象よ。太陽の十倍以上の重い星が燃え尽きて、核融合の燃料が足りなくなった時にそれは起きる。燃えている間は支えられていた自重が支えられなくなって、一気に縮むの。その反動で、最後に大きく爆発するのね。宇宙の星を1000億個くらい並べたのと同じくらい明るくなるのよ」

「たまらねえなあそりゃ」

「地球の近くじゃすぐ爆発しそうな星はないけどね。少なくとも、被害を受けるほどの近くには」

「立地はよかったわけだ。地球は」

「ほんとそれね。自然の猛威には勝てないわ。どんなに科学が進歩しても」

モニカは室内に入ると扉を閉めた。今の時期、まだまだ夜は冷える。

「長生きするのが楽しみだ。遠くの話を聞けるからな」

祖父の言に、孫は微笑んだ。




―――西暦二〇四三年。火星有人探査が開始される年、人類が初めて宇宙での対艦隊戦に勝利を収める九年前の出来事。

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