牧草地とパン焼き窯

「貴女は残酷だ。その行いを私は、永遠に忘れないだろう」


【西暦二〇一二年 神々の世界南半球の古城】


「焼きたてだそうよ。あなたも食べる?」

従者は、主人より差し出されたものを見た。

焼きたてのパンである。小麦を引いた粉を酵母で膨らませ、そして窯で焼いた、ふっくらとしたパン。ごく普通の食品である。

ここが、地球であったなら。

そうではなかった。青空に照らされた範囲。見渡す限りには青々と茂る草が伸び、それを様々な生物。馬や、牛や、羊と言った家畜の群れが自由にんでいる。にもかかわらず、ここは地球ではない。神々の世界であった。

「……ご命令とあらば」

「命令じゃあないわ」

「ならば不要です。お気遣いなく」

従者にすげなく断られた主人は、気分を害することもなくパンを自ら食べ始めた。むしゃむしゃと。身体機能が著しく衰えて動力骨格すら使えず、車椅子が必要な老人とはとても思えぬ様子である。

鳥相を備えた主人。神々の世界を統べる十二柱の一柱であり、そして地球侵攻計画の最高責任者でもあるという大神は、パンを食べ終わると包んでいた布を丁寧に畳み、従者へと手渡した。

「美味しかった。この城のパン窯が使われたのは二百年ぶりのことだそうよ。穀物が世界から失われてしまったから」

「そうですか」

「ええ。今日は特別。薪を使い、地球由来の小麦と酵母を使って作ったパン。心尽くしのもてなしだわ。視察に来た私のために、わざわざね。どれほどのコストがかかるか分かるかしら」

「想像を絶するものであるということしか」

「そうね。ものすごい贅沢品。けれど、あと何年かすればみんなが好きなだけ食べられるようになる。この世界の同胞たちみんながね」

「……」

大神は、自らのいる城壁。その胸壁へと手を伸ばした。それは古代の戦争のための工夫である。凹凸した形状は矢から兵を守るための構造なのだった。

その向こう側に広がっているのは、実験的に再生された広大な牧草地とそこに放たれた様々な生き物たち。種は違えども、本来の光景をここは再現していたのだ。

「正直なところ、私は別に不老不死なんてどうでもいいの。この九百年あまり好き勝手をして生きて来た。たくさんのひとに迷惑もかけたわ。思い残す事なんてない。わたし自身に関してはね。

けれど、この世界に残される同胞たちについては、別。

私達の種の命運は尽きつつある。後千四百年で文明が維持できなくなるほど人口が減少し、そして滅ぶの。それを想像するだけで胸が張り裂けそうになるわ。

破局は一気に訪れるんじゃない。少しずつひとは減っていき、そうして維持できなくなったものから放棄されていく。各地の同胞たちは次第に分断されていく。物流は途絶え、連絡も取れなくなる。機械は止まっていき、やがては生活すらままならなくなるでしょう。残された子供たちは絶望の中で短い人生を生きる事になるわ。とうとう最後の機械が止まった時が、その子たちの最期になるの。その頃には世界から、樹木すら消えてなくなっている。自然に還るという選択肢さえないのよ。文明の産物なしに生き延びることはできない。食糧生産プラントがすべて停止し、備蓄食料が尽きた段階で、我が種族最後の子供たちは飢えて死ぬのよ。あるいは病に倒れるのが先かも」

「だから……だから、私達から略奪する、と?」

「そうね。必要なものを最低限分けてもらうわ。もちろん滅ぼすような真似はしない。あなたたちが何万年もの間続けて来た争いと略奪の生業に、私達も混ぜてもらうだけ。それほど多くは必要ないわ。一億人くらいで済むでしょう。たった、七十分の一。それと、各地の遺伝子資源。これも必要最低限でいい。実際は多少のロスも出るでしょうから、余裕は見積もっておかねばならないけれど」

「……何故それを私に聞かせるのですか?そんな話を聞かせたいなら、どうして他の眷属ではなく、わざわざ心を消していない私に話すのですか、ミン=アよ?」

問われた大神は、従者へ。忠実なる眷属へと作り変えられた、地球生まれの少女に対して振り返った。

「そうね、デメテル。貴女にはお礼を言いたいと思ったからかしら」

「―――!」

「私は感謝しているの。貴女たちの存在に。これでわたしたちの種族は延命できる。文明を維持できる。人類にとって辛い時期はそれほど長くはないわ。私達全員、数百億人に不死化処置を施した肉体を提供し終えた時点でその役目は終わるもの。私達の種の遺伝子を復活させるプロジェクトは一度頓挫した。けれど数千年の歳月があれば実現可能かもしれない。何なら人類のこどもを赤子の頃から育ててもいい。後継者としてね。その頃には私たち全員が、ヒトの肉体を持っているんですもの。文明は甦り、それどころかより拡大していくことすら夢ではなくなる。滅びるはずだった私たちが。

これはとても素敵なことよ。だからね。ありがとう」

大神は相手に微笑んだ。豊かな金髪を備えた少女。この地域古来の神々の民族衣装を体形に合わせて仕立てたものを身にまとい、車椅子を押す彼女の姿は美しい。

視察に訪れたミン=アが相手役にこの眷属を指名したのは、ヒトの心が残っていると聞いたからだ。色々話をしてみたいと。

「私には貴女が理解できない。故郷より連れ去られ、破壊兵器に作り替えられ、友人の心を消され、そして自分自身も操り人形にされた私に対して感謝の言を述べる、貴女のことが」

「そんなに難しい事かしら。私は種族を代表している。それが、人類の心を残したままの貴女へ、私たちを助けてくれてありがとう。そう言っているだけなの」

「その言葉を受け入れる人間はいないでしょう。それは。それだけは私にも断言できる」

「構わないわ。コミュニケーションとは難しいもの。ましてや異種間ですものね。

私がお礼を言った相手は、貴女が初めてじゃあない。今までこの世界にやってきた人間たちみんなに言うことにしている。もう百五十年近く前になるのかしらね。最初にこちらへ連れて来たヒトは混乱し、神に救いを求めていた。彼は天寿を全うしたわ。晩年はとても穏やかに過ごしていた。そのうち、あなたたちを使った神格を作り出す技術が生み出された。何百人、何千人の人体実験の上でね。記憶移植や不死化技術についてもそう。たくさんのヒトが協力してくれたから実現できたの。貴女は幸運よ。完成した技術で肉体を強化され、永遠の生命を得た。知性も増強されている。今はまだ、その境遇に慣れていないだけ。いずれ慣れる。最初にこの世界に来たヒトのように、穏やかな心持ちで過ごす事ができるようになるわ」

「……」

「こんなおばあちゃんの長話に付き合わせてごめんなさいね。そうだ。これも何かの縁。何か願いはあるかしら。ささやかなものなら叶えてあげられるわ」

「……消してください。私の人間としての心を。他の眷属たちと同様に」

「ごめんなさい。それは無理。貴女に施された思考制御は他の神格とは違うタイプなの。その方式を変更するより作り直す方がずっと簡単だわ。別の願いにしてくれるかしら」

「……なら。せめて、友達と一緒にいたい。もう彼女の中に人間だった時の心が遺されていないにしても」

「いいわ。それくらいなら叶えてあげられる。貴女の上司に言いつけておきましょう」

「感謝します。このことに関してだけは」

「ええ。どういたしまして」

大神は満足そうに頷くと、城壁の向こう側に広がる牧草地へと視線を移した。従者はそれ以上何も語ることなく、役目を果たした。



【西暦二〇四三年 東京 捕虜収容所】


ふっくらとした、焼きたてのパンだった。

朝食の時間に出されたそれを上品に食べているのはヒトの肉体をまとい、漆黒の眼球を備えた一柱の老女。ミン=アである。

パンへと視線を落とす。

窯で焼かれた食品。故郷のものとは異なる仕上がりであり製法の産物であるが、最終的な出来上がりは同じようなもの。やはりこういった部分でも人類と神々は非常によく似ている。

ふと、昔を思い出す。あの時言葉を交わした眷属は生きているだろうか。ギリシャ神話をモチーフとした神格。彼女が言っていた友人は北欧神話をベースにデザインされていたから、本来ならば配備される場所が異なるものとなるはずだった。それぞれの神話が根付いていた地域へと。命令通りならば両者は同じ門に配備されたはずだが、最終的にどこになったのかまではミン=アも把握していなかった。

あの時彼女に語った言葉は全て本心だ。ミン=アは感謝していた。その身をもって自分たちを救ってくれる、人類に対して。

朝食を食べ終える。

「ごちそうさま」

この、日本の言葉も大神は気に入っていた。滋養となったものたちへの感謝の言葉。毎食後、必ず言うようにしている。

大神は、すべてに感謝していた。




―――西暦二〇四三年。神々が人類を発見して二百一年、遺伝子戦争開戦から二十七年目の出来事。

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