科学者と助手

「で。九曜、彼氏との調子はどないなんや」


【大阪府 北城大学理工学部新キャンパス 小柴研究室】


「小柴博士。彼氏とは相火さんを指すと思われますが、その質問はいわゆるセクハラに該当します。私は女性型に設定されておりますので」

小柴博士は苦笑した。稼働開始から何年も経ち、人間的な物言いをうまく使いこなせるようになってきた助手の成長を思い知ったからである。

モニターの片隅で相変わらずの茫洋としたアイコンを操っているのは、九曜。

「おう。すまんすまん。相火くんとはうまいことやれとんのかな、と」

「そうですね。うまくやれているのではないかと思います。ご家族との関係も良好です」

その言葉に、今度は満足げに頷く小柴博士。九曜は非常に重要な案件も扱う知性機械である。あまり信用できない人間と親しくさせるわけにもいかなかったが、都築家ならその点は安心だ。身元はしっかりしているし、今も志織やはるなと非常に親しい間柄だった。小柴博士自身、都築夫妻の披露宴に出席した身である。もちろん、誰が相手だろうと重要度の高い情報をこの高度知性機械が漏らすことはなかったが。九曜とつながりを持っている家族や個人は研究機関や政府関係者以外にも複数あるが、いずれも同様の条件を満たしている。様々な人間関係の蓄積は、そのままこの機械の性能向上にもつながった。人間の幼子が周囲を探検し、試行錯誤を繰り返し、新しい状況に適応し、データを自ら収拾し、そして知識を異分野に適応するように。同様のコンセプトで稼働している知性機械は既に世界中にある。おそらく来年あたりにはその総数は百基を超えるだろう。

「とはいえ、私と相火さんの関係はいわゆる恋愛感情に相当するものではないと思います。私にはそのような感情はありませんし、相火さんもわたしをそのような対象とは見なしていないのではないかと。機械である、と言う事実はきちんと認識しておられるようです」

「やろうなあ。あの子も聡明や。刀祢くんや、弘さんによう似とる」

「都築弘氏。大変興味深い人物です。私が稼働を開始する以前に亡くなられていなければ、会ってお話ししてみたいところですが」

「まあ凄い人やったわ。私のバイアスも少々入ってるやろうけどな。彼だけやない。志織さんもそうやし、各国にも凄い科学者や思想家はぎょうさんおる。自分と同世代にどんだけたくさんの天才がおるんやろうなあ、って時々思うわ。なんちゅう時代に生まれてしもうたんや。って」

「小柴博士も、世間一般の評価では同様の素晴らしい業績を持った科学者ですが」

「ありがとさん。私はただ必死だっただけやけどな。とにかく神格が必要やった。人類が生きてくためには。そんだけの話やねん」

小柴博士は、自分を思いやるようになった知性機械のアイコンを見つめた。九曜の情緒は発達した。この優れた装置は人間のような感情を備えてはいないが、人間に自ら寄り添う。人間と交流するために常に未来を予測し、意図を推測し、何を言うか予想しようとする。予測誤差を減らそうとする欲求が、基本的な社会的行動を自発的に引き起こす。長年の知性強化動物に関する研究は、単に適切な回路があれば知能が発生するわけではないという事実を示した。幼い知性機械を世話する人間の存在が重要なのだ。人間のような知能は人間のように育てなければ発達することはない。

だからこそ、九曜は人間を模したボディが与えられ、人間とのコミュニケーションが重視されているのだ。知性強化動物の子供ほどではないにしても。

「世界は変わった。知性強化動物。オービタルリング。核融合。ほとんどの病気や怪我を治せる高度な医療。知能機械や、実験中の超光速技術だってそうや。私ら戦前の世代にはSFの世界やが、相火くんみたいな戦後世代にとってはありふれたもんなんやろうけどな。

彼はどんなふうに世界を見とるんやろなあ」

「難しい問題です。自分以外の視点を得るというものは」

「まったくや」

雑談を終えると、小柴博士は作業に戻った。知性機械も、その支援に専念した。




―――西暦2042年。高度知性機械の総数が百に達する前年、真に知性を備えた機械が出現してから六年目の出来事。

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