生命なき大地
「この世で最も火星に近い場所、か……」
【南極点より480キロ シャクルトン氷河地域】
凄まじい暴風だった。巨神の中にいなければ、まともに立っているのがやっと、という有様になるだろう。
眼下には山の尾根。地球上最も過酷な環境であるそこは、生命の痕跡すら存在しない極地である。
リスカムは、運んできた荷物を下ろした。今回試験する火星探査装置を巨神の中から取り出し、氷点下17度の地表に設置したのである。
「機材設置完了。テレメーターは正常。そっちは?」
「届いてる」
無線の向こうにいる
機材が起動。地表の土壌の採集試験を開始する。
採取された土に含まれるのは、過塩素酸塩、塩素酸塩、硝酸塩。そういった、有毒物質の結晶である。乾燥した南極の山々では、このような物質が洗い流されることなく蓄積していくのだ。
だから、ここは地球上で唯一と言っていいほど、生命が存在しない。南極の厚さ800メートルの氷の湖の下でも。高度3万7千キロメートルの領域でも。93度の熱水孔ですら、生命は存在しているというのに。
この事実が発見されたのは近年だ。遺伝子戦争後、長らく南極大陸は放置されてきた。その研究が再開されたのは比較的最近のことだ。ここ、シャクルトン氷河地域の山々も調査の手が及び、そして驚くべき結果が得られた。生命が全く存在していない、という。
有毒物質と高い標高が生命の存在を阻むのだ。
それは、火星の環境とも似ている。少なくとも火星の地表から数センチ以下には、地球の生命は存在できない。
「それにしても酷い環境……」
「そのおかげで試験ができるんだから贅沢言わないの」
「まあねえ…」
人類製神格が実用化されてから、このような極地での試験や研究は容易になった。水陸空、そして宇宙。極めて高い汎用性と環境適応能力を備え、作業能力に優れたこの超兵器はそういった分野でも威力を発揮したのである。いや、そもそもの神格が文明再建用の拡張身体であることを鑑みれば、このような用法こそが本義であるともいえる。人類文明の急速な復興が進んだのも人類製神格あってのことだし、いかに強力とは言え極めて高価な神格を量産し続けられるだけの体力を人類にもたらしたのは、その優秀な能力であることは疑いようもなかった。
周囲を見回す。
南極の気温は二十年以上前、著しく上昇した。遺伝子戦争によるものだ。氷は溶け、海面上昇の危機に瀕し、気候は著しく乱れた。それがようやく収まりつつあるのもこの数年のことだ。既に万を超える数となった人類製神格は力を合わせ、時に破壊された地形を復元し、時に生態系回復の事業に従事し、時に災害救助にも出動した。だから今は危機の面影はない。成果が南極にも表れているのだ。
「…どうしたの?ぼーっとして」
「うん。ちょっとね」
物思いにふけっていたリスカムは気を取り直すと、機材をチェック。正常に稼働していることを確認すると、そのまま試験を続行した。
この日の作業はおおむね順調に終わった。
―――西暦二〇四一年。初の有人火星探査が行われる三年前、門が開く十一年前の出来事。
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