有責性の意味

「……なんか妙な気配、しない?」


【イギリス ロンドン マリオン家】


がさごそ。がさごそ。

メアリーが帰宅して最初に聞いた音がそれだった。二階から聞こえてくる。

「?」

伯母は仕事でアメリカにいるはずである。というか実のところフランシスは家に滅多にいない。長期休暇を取った時に集中的に家に帰ってくる。

頭に疑問を浮かべたメアリーは、同行してきたジョージと視線を交わした。二本の尻尾を備えた猛獣も首をかしげる。

ふたりは階段を静かにのぼると、音のする部屋の扉の前に立った。

メアリーがノブを回し、ジョージが踏み込むと。

「あ」

部屋を物色していたのは目出し帽をかぶった地味な服装の男である。まさかこの格好で、知らぬ間に手配されていたハウスキーパーということはあるまい。

侵入者は、入ってきたに硬直したようだった。無理もない。拡張身体無しでも装甲車を容易く引き裂ける超生物が、そこにいたのだから。

「ひぃ!?」

踵を返して逃げ出そうとする男。

対するジョージは尻尾をひとふりしただけで事足りた。

侵入者が。分子運動制御で宙に固定されたのである。わけのわからないことを叫びながら見苦しく四肢を振り回しているが、もはや何の意味もないことは明白であった。

「……泥棒かな」

「たぶんね。警察を呼んでくれるかな」

「あー。そりゃそうだ。ちょっと待ってね」

スマートフォンを取り出すと、言われた通りにするメアリー。すぐに応えた警察へと状況を伝える。知性強化動物が犯人を捕まえた、というところだけは少々説明にてこずったが、警察を呼ぶという目的は達成する。

「すぐ来るって」

「そうか。よかった。これ結構面倒なんだよな。浮かべたままにするのは」

男は既に涙目だったが知ったことではない。迂闊にぶん殴って過剰防衛になると厄介であるから、宙づり続行を決定するジョージ。

「しかしシュールだね。伯母さんはよくやってるけど人間を浮かべてるのは初めて見た」

「まあ普通、人間を浮かべるもんじゃないしなあ」

泥棒が物色していたのはクローゼットらしい。散乱しているものの中には礼服や勲章もある。

「ありゃガーター勲章か」

「あー。まあ伯母さんなら叙勲されててもおかしくないかあ」

普段人のクローゼットなど見ないからなにが入っているか知らなかったが、まあ伯母の功績ならイングランド最高位の勲章が入っていても何らおかしくない。そのほかにも色々と値の張りそうなものが散らばっている。警察が来るまで触るわけにもいかないだろうが。

しかしどうやって防犯装置をかいくぐり侵入してきたのやら。

「なんで泥棒なんてするんだろうね」

「当人に聞いてみたら?」

「いや気絶してるし」

ジョージが見れば、なるほど泥棒は泡を吹いて気絶していた。それほど恐ろしい体験だったか。

「……何年前だったかな。ウィリアム・ゴールドマンの話を思い出した」

「誰それ」

「知性強化動物開発の第一人者だよ。ノーベル賞の有力候補の一人だぞ」

「ふーん。で、その人はなんて言ってたの?」

「そうだな。『科学的な視点で言えば有責性を問うことに意味はありません。犯罪とはそれ自体が脳の異常性の証拠なのです。ですから、我々がするべきなのは前に進むこと。犯罪者が将来どういう行動を取る可能性があるかを知らねばならない。そして、その社会復帰を助けるために目指すべき倫理にかなう目標は、本人をできるだけ変えずに、その社会に適応させることと言えるでしょう』だったかな。確か。

捕まえた犯罪者を牢に放り込むにしても、何のために隔離するのかが重要だというわけだ。社会に戻ってきた時にまた同じことの繰り返しになっちゃ意味がない」

「過激だねえ」

「そりゃ戦時中から過激なことで有名だった科学者だしな。でもまあ一理はある。同じ環境でも犯罪をする人もいればしない人だっている。それは脳の微妙な個体差に起因している部分だってあるだろう。自制心が未発達というわけだ。もちろん他にも原因はあるだろうけども」

「なるほどなあ。

ま、この人が二度とうちに悪さしないでくれればそれでいいんだけどね」

「違いない」

やがて警察が到着。ふたりは、泥棒を引き渡した。




―――西暦二〇四〇年。フランシスが帰国して二十一年、罪刑法定主義の概念が出現してから三千八百年あまり経った日の出来事。

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