重ね重ねの世界

「1対1。いや、10対10でも我々はチンパンジーと大した違いはない。だが、1000を超える個体数となった時、我々は真の意味で知的生命体となる」


【イギリス イングランドコッツウォルズ地方 捕虜収容所 ゲート付近】


「お父さん!ただいま!!」

学校から帰ってきた息子を、ドワ=ソグは抱え上げた。地球時間で五歳となった息子はだいぶ大きくなったが、抱えきれないほどではない。

「おかえり。外はどうだったかな」

「たのしかった!明日からたのしみ!」

「そうか。よかった」

ドワ=ソグは本心から言った。想定していた最悪の状況は免れたらしい。学友やその保護者達から、著しく不当な扱いを受ける、という状況は。

同時に、人類の強さをも思い知る。全人類の総意として下した決定を、末端まで徹底させるのに成功するほどの強固な結束について。

「さ。家に帰って荷物を置いてきなさい」

「はーい」

息子が駆けていくのを見送ったドワ=ソグは、外と内とを隔てているものを見上げた。収容所の出入り口となっている建造物へと。息子を送迎した職員は最低限のやり取りを済ませるとそそくさと扉を抜けて行った。彼がグ=ラスを送迎するのはあくまでも仕事だからであり、神々に対してよい感情を持っているわけではない。

しばしそちらを見ていたドワ=ソグは、隣の妻へと視線を向けた。

「うまくいったようだ」

「ええ。それもあなたたちが頑張ったおかげ」

「模範囚として振る舞っただけだがね。とはいえ、皆には苦労をかけた」

この五年間、人間たちは頻繁に捕虜たちを外での作業に従事させた。周辺住民にその姿を慣れさせ、過剰反応させないためである。その目論見は功を奏したのは、先ほどの息子の様子を見ても明らかだ。グ=ラスをちょっと変わった隣人、と言った程度の印象を抱かせるのに成功したのだ。少なくとも、村の子供たちに対しては。

知性強化動物が普及したこともその一助となった。この戦闘生命体に関してテレビで見ない日は存在せず、そして彼らが人類の一員であるというアピールは常に一貫している。多種多様な姿を持つ知性強化動物になれた子供たちは、神々の異相について受け入れるだけの準備ができていたのだ。

もっとも、彼らが成長してくれば話は変わる。過去に何があったかを十分に理解できるだけの時間が経ったときこそ、疎外が始まるだろう。

「数十人の小集団では人間は動物と大差ない。より上位の法より、その集団のローカルな倫理が適用される世界だ。それは我々も同様だが。

これからあの子は幾つものレイヤーに重なった、様々な集団に属する事になる」

「30名ばかりの同胞のいるコミュニティ。学校。このイギリスという国家。人類全体。子供同士の仲良しグループにも入れるかしら?」

「どうかな。あの様子なら当分の間はうまくやっていけるかもしれないが、油断は禁物だ。もっとも、ここから私たちにできることは大してないが。

大集団とその中のローカルグループではルールが変わってくる。小さな集団では生物学の法則はより支配的だ。それは能力に制限があるからだな。感覚。情緒。家族の絆。これらの動物的な側面が顔を出してくる。一方で多数の個体が集まれば、単独では生み出しようのない整然とした動きを取り始める。共有する神話を接着剤のようにして、ね。

だから千人を超えるようなグループは、単なる動物とは違う。古代の人類でさえ巨石を運んでストーンヘンジのような巨大建造物を作ることができたし、交易によって青銅器を作るだけの材料をそろえることもできた。その能力は現代ではより拡大されている。熱核兵器を作るには理論物理学者から地中深くのウラン鉱石を掘り出す労働者まで何百万人の協力が不可欠だ。

そして、集団での祭典や政治組織の結成。これらは神話によって成立すると同時に、共有する神話を強化する。下位の小集団へと神話を共有させていく。だから属する社会の中でも、様々な矛盾するルールがぶつかり合うと言ったことが起きる」

「あの子を守るルール。傷つけるルール。それらとどう向き合っていくかということね」

「その通り。あの子を守ろうとする集団はふたつ。私たちと、人類全体だ。私たちは無力だが、は違う。

皮肉なものだ。人類の結束を生み出したのは、私たちの行いなのだから」

「ほんと、未来はどう転ぶか分からないものね」

ふたりは、空を見上げた。そこを横切っていく、何柱もの巨神像たちの姿を見つめたのである。

人類結束の象徴ともいえる超生命体たち。

「さ。戻ろう。あの子が待ってる」

「ええ」




―――西暦二〇四〇年九月。すべての門が閉じてから二十二年、知性強化動物誕生から二十年目の出来事。

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