複雑な構文

「知性が今の形をとっているのは当たり前だと思われている。けれど、それは本当に普遍的なもの?」


【イタリア共和国カンパニア州 ナポリ海軍基地 講義室】


「知性とは、地球上においては普遍的なものよ。あらゆる生物の脳には共通点が見られる。原始的な知能。自己認識や問題解決、コミュニケーションと言った知能。ヒトは持っている。猿ももっているし、ゾウやイルカだって持っている。一部の頭足類さえある種の知性があるわ。だから、人類が高い知能を発達させたのは驚くに値しない。犬が嗅覚を、ゾウが鼻を、鳥が翼を発達させたように、人類はもともと備わっていた知性をより発達させた。ランダムな遺伝子の変異と、そこに加えられた淘汰圧。そして文化の伝達が言語の発達を促し、構造をもたらしたことによってね」

リスカムは室内を見渡した。かつては自分たちの座っていた場所に座っているのは二期ロットのドラゴーネたち。ずいぶんと古びて来た講義室は、リスカムら初期の人類製神格と同じだけの歳月を越えて来たのだ。もはや講義を受ける側ではなく、行う側としてリスカムはここにいる。

「この特徴は人類固有のものか、あるいは収斂進化によって似た環境では同様に発達してくるのか。それは従来分からなかった。神々の侵攻を受けるまではね。彼らによって人類はユニークな存在ではないことが実証されたの。けれど、だからと言って次に遭遇するであろう第三の種族が、人類と似た知性の形態を備えているとは限らない。

他にも問題はあるわ。文明の社会規範は時と共に変化する。そして、未来を予測することは著しく難しい。もし第三の種族が人類に似た種だったとしても、その規範は大きく異なっていても何もおかしくはない。一例を挙げれば、クジラが陸に打ち上げられていたら、昔だったら人は食べるために殺到していたでしょう。けれど現在では、クジラを助けるために人間は集まる。この変化はほんの数百年で起きたわ。そして次の数百年。私たちの規範がどう変化していくかは誰にも予測がつかない。今は当たり前だとされていることが、未来では野蛮な行いだったとされることもあるでしょう。私たちは恐らく、それを直に見ることになるでしょうけど。

私たち自身がこうなのに、まだ見ぬ異種族がどのような考え方をしているかなんて想像をすることも難しいわ」

室内を見渡す。ドラゴーネたちはまじめに聞いているように見える。彼らを教えるリスカムは遺伝子戦争を自ら体験したわけではない。実際にそれを体験した教官もまだ多数いるが、それでも将来的にはいなくなるだろう。その時、自分が感じているこの危機感を未来の後輩たちに伝えることはできるだろうか?

「幸いな事に、推測の材料になるものもある。現在各国で行われている新しい知性強化動物の研究なんかはそのひとつ。それらの中には、社会性を備えつつも人間と異なる思考形態を備えた知性を作る研究も含まれている。一例を挙げるならば、規則性をもつ構造すなわち規則構造を備えた言語を扱う能力の高性能化。コピー機を使って単語がひとつ消えても、私たちは文章の意味を推測することができる。ふたつでもなんとかなるかもしれない。みっつ。よっつと続けば難しいけれど、規則構造は文章のエラーを訂正する能力を与えてくれるの。ヒトの場合は九語消えれば規則性は失われて、ほぼ意味をなさなくなるわ。情報理論的には九次のシャノンエントロピーを持つ、と呼ぶ。

でも、十次や二十次のシャノンエントロピーを持てないという決まりはないわ。そんな言語は私たちの想像を超えた複雑性を持つでしょうね。あなたたちの後輩は、そういう複雑怪奇なことばで思考するかもしれないの。彼らは、私たちがまだ見ぬ異種族と接触した時のための参考になってくれるはず」

リスカムはそこで言葉を切った。間もなく時間だった。次の教官と交代する準備をせねばならない。

幾つかの質疑を受け付けた後、講義は終了。リスカムは退室し、その後も講義は続けられた。




―――西暦二〇三九年。第一次門攻防戦の十三年前、人類製第五世代型神格が実戦投入される二十八年前の出来事。

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