続・犬じゃない
「人間は何かに縛られる。使命。寿命。能力。知性。宿命とは結局、そういったものの集合体に過ぎない」
【イギリス イングランドロンドン市 マリオン家玄関】
メアリーが玄関を開けたら犬がいた。
異様に巨大な犬であった。
茶色い毛。大きな後頭部。それを支える太い首。発達した下半身と後肢。そして特徴的な、二本の長大な尾。
カジュアルな服装に身を包んだそいつの高さは、人間の胸ほどもある。
「……」
「……犬?」
「犬じゃない」
犬じゃないらしい生物の口から出てきたのは否定の言葉。というか服を着て喋る動物が民家にいるとなればこれは知性強化動物であろう。よく見ればテレビで見た記憶がある。
「
「ブラックドッグだが犬じゃあない」
「……ごめんなさい」
メアリーは素直に謝った。
というか何なのだろう。合鍵を使って玄関を開けたらこの生き物がぬっと出てきたのである。悲鳴を上げるかどうか一瞬迷ったくらいだ。
「いやまあ伯母さんの家に知性強化動物がいてもそりゃおかしくはないけどさあ。何年も出入りしてて初めて」
「僕もびっくりだ。呼び鈴がならなかったし、先生が帰ってきたのかと思って出てきたら君がいたんだからな。こんな時間じゃ家政婦というわけでもないし、フランシス先生は一人暮らしと聞いてたんだが」
「私はメアリー・ランサム。フランシス・マリオンの姪よ」
「なるほど。確かに先生にそっくりだな」
「ほら。名前教えてよ。名乗ったでしょ」
「……ジョージ。ブラックドッグ級、ジョージだ」
「OKジョージ。じゃあちょっとお願いがあるんだけど」
「なんだ」
「通して。そこにいたら入れない」
ジョージは、言われた通りにした。
「で、どうしてあなたはここにいるの」
「許可は貰った。家族と喧嘩して家出中だ。鍵は分子運動制御で開けた」
「転がり込んだの?」
「……そうだ」
「知性強化動物も喧嘩するんだね」
「うるさいな。僕らも人間とそう変わらないんだぞ」
入り口で靴の泥を落とし、メアリーは奥へ。上着を脱ぎ、鞄を置き、手と顔を洗う。勝手知ったる叔母の家である。
「なんで喧嘩したの」
「……仕事の事。向いてないんだよ。僕は」
「向いてないって……軍人するのが?」
キッチンで冷蔵庫を開け、牛乳を取り出す。この知性強化動物にも飲むか聞くとかぶりを振られたので自分のぶんだけコップになみなみと注ぎ、メアリーは居間へ。
「でも知性強化動物って、軍人やるもんじゃあないの」
「そうだ。僕には選択肢がない。やりたくなくてもやるしかない」
「それはつらいね」
よっこいしょ、とソファに腰かけるメアリー。対するジョージはカーペットの上に座り込む。
「訓練がきつかったりする?戦うのは怖い?」
「……僕は欠陥品だ。尻尾が二本しかないし、体もこんなに小さくて女の子みたいだ」
「……」
ジョージの巨躯は十分に猛獣に見えたが、メアリーは賢明にも口に出しはしなかった。
代わりに別のことを質問する。
「でも体に欠陥があるのはあなたのせいじゃないでしょ?そもそも知性強化動物をきちんと作るのはとっても難しいって聞いたよ」
「そうだ。今でも世界中で、百人に一人くらいの割合でどこかに障害を持った知性強化動物が生まれてる。僕みたいに初期ロットなら、不良率はさらに高い。そんな欠陥品でも、知能に問題がなくて自力で生存できるなら神格は組み込まれる」
「だから、嫌なんだ。自分が他より劣ってるって思ってるから」
ブラックドッグは、ゆっくりと頷いた。
「君が羨ましい」
「私が?」
「君は健康そうだ。知能も人並みに見える。将来を選ぶ自由もある」
「あー。まあそりゃそうだなあ」
メアリーは頭を振った。自分は確かに自由だ。9月からはこの家に下宿して大学にも通う。将来を好きに決められるし、就いた仕事が気に入らなければ辞める権利もある。
「こういう状況は想定してなかったなあ」
「まあ君には関係ないことだ」
「関係ないことはないよ。だってあなたは、私たちを守るために生まれたんでしょ?」
ジョージは、虚を突かれたような顔をした。たぶん。
「だから、ありがとう。そしてごめんね。やりたくもない仕事をさせて」
「……謝罪は求めてない」
告げると、ジョージは丸くなった。更には目を閉じる。
「ねえ」
「なんだ」
「人間に生まれたかった?」
「……意味のない仮定だ。僕もまた、人間なのだから。ちょっと姿が異なるだけだ」
答えたジョージは、今度こそ寝息を立て始めた。
それをしばし見ていたメアリーは、玄関の鍵を閉め忘れたことを思い出して立ち上がった。
居間には、眠りに落ちた知性強化動物だけが残された。
―――西暦二〇三九年。再び門が開かれる十三年前、ブラックドッグ級知性強化動物が誕生してから六年目の出来事。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます