犬じゃない

「極論ってのは実現不可能だから極論なんだ。それを実現可能な形に落とし込めば、妥協と呼ばれる」


【イギリス 捕虜収容所 屋外】


異様に巨大な犬であった。

茶色い毛。大きな後頭部。それを支える太い首。発達した下半身と後肢。そして特徴的な、二本の長大な尾。

軍服に身を包んだそいつの高さは、人間の胸ほどもある。

この怪物と間近で対峙するのは鳥相の幼子。

両者は、じっと見つめ合っていた。

「……いぬ?」

「犬じゃない」

幼子の発言に怪物もとい、第二世代型知性強化動物"ブラックドッグ"は反論。

「いぬ!」

「だから犬じゃない。犬に尻尾が二本もあるか?」

尻尾が伸びると、幼子の目の前でゆらゆら。よく見ればそれは掌にも似た構造を備え、平たく、両側に親指の機能を持つ骨を含んだ突起を備えている。これと全身の筋肉及び骨格の相互作用により、人間の手と同等以上の器用さを発揮するのだった。

「しっぽ!いぬ!」

「……」

確かにブラックドッグは犬がベースの四足歩行型知性強化動物だが、その体躯は犬とは似ても似つかぬ構造である。人間以上の知性と優れた身体能力を持ち、犬譲りの嗅覚を生かせるように頭部を地面に近づけた姿勢で活動することも、逆に人間以上の視力を発揮できるよう上体を起こして二足歩行することも出来る。

この明らかに犬とは異なる超生命体は、背後を振り返ると情けない声を出した。

「先生ぇ」

「どうだ。勉強になるだろ」

「そりゃまあそうだけど」

先生と呼ばれたのは銀髪の少女。フランシスである。

「なんでこいつと喋る必要があるのさ。去年までは鉄条網の向こうから見学してたじゃない」

「捕虜相手ならそれでいいが、その子はれっきとした国民だぞ。犯罪者じゃあない」

「ちぇっ」

この知性強化動物は、幼子に視線を戻した。後ろから見守っているのはやはり鳥相の神。親であろう。どんな表情をしているのかいまいちわからない。人間や知性強化動物のものともまた違う。

「…はあ」

ブラックドッグは、尻尾を伸ばすと幼子の両脇から抱きかかえた。意外と軽い。きゃっきゃと喜んでいるのを運び、母親らしい相手の前へ。

「僕は犬じゃない。この子によく教え込んどけ」

「ええ。そうするわ」

人間そのものの返答を受けたブラックドッグは目元を細めると、踵を返した。フランシスも母子へ手を振ると横に並ぶ。

「ねえ先生」

「なんだ。ジョージ」

「僕はあいつらと戦うために作られたんだよね」

「正確には違う。人類を守るためだ」

「そこにどんな違いがあるのさ」

「神々と違うエイリアンが攻めてきたらそいつらと戦うだろうし、隕石が降ってくるって分かればそいつの軌道を逸らす任務が与えられることも十分あり得る。神々だけが人類の脅威じゃない。

それにな。

戦争は相手を皆殺しにしなくても勝つことができる。相手が攻撃を諦めれば十分だ。人類は遺伝子戦争以前、同じ人間相手にそうしてきた」

「だからあいつらを僕に見せたの?遠目からじゃなく、近くで。あいつらが人間とそんなに変わらない生き物だって」

「お前だけじゃあない。お前の兄弟たちにも見せたし、ケルピーの姉さんたちにも見せた。EU各国の知性強化動物だってここや他の捕虜収容所を見学するしな。

相手は意思疎通が不可能なBEMベムじゃあない。立派に知性とコミュニケーション能力を備えた生命体だ。次があった時、お前らの任務が神々を交渉のテーブルにつかせることになる可能性は十分ある。今みたいに、人類が神々とまともに戦えるだけの戦力を揃えつつあるならなおさらだ」

「……僕は役に立てるのかな」

ジョージと呼ばれたブラックドッグは、自らの二本の尻尾を見た。本来は三本なければならないそれを。

ジョージは幾つもの発育不良と奇形を抱えて生まれた。十二人兄弟の中で一番の落ちこぼれだ。神格組み込み手術を受けた時期も兄弟たちより半年近く遅い上に調整にも時間がかかった。両性具有として生まれたはずの肉体は、著しく女性的な形質に偏っている。

「お前は自分が地球で最強の生物のグループにいるってことを忘れてるぞ。オレたち23人を除くすべての人間よりお前は強いし、第一世代よりも確実に強い。兄弟に勝てないのは半年分のハンデがあるからだ。そのうち埋まる」

「そうかな」

「そうだ。お前はちょっと最初の手札が悪かっただけだ」

「……」

「誰でも手持ちのカードで戦うしかない。オレもお前も。あの子も。神々全体だってそうだ。奴らの目的は種の存続だ。人類の絶滅じゃあない。だから遺伝子戦争で切れるカードはごく限られていたし、次もそうだろう。皆殺しは誰も得をしない。お互いにな」

「先生は神々を憎んでるんだって思ってた」

「憎んでるさ、今でも。眷属にされてからの五年間、意識があった。意識だけが。指一本動かせないし目を閉じる事すらできねえ。気が狂いそうだった。けど狂えねえんだ。精神の異常ってのは結局のところ、脳神経の異常だからな。神格の治癒力はそれすら治した。ひでえ欠陥だよ」

「そんな目に遭わされたのに?」

「残念ながらオレは正気だからな。人類全部と引き換えに奴らを滅ぼせるとして、そんな選択はしない」

「……」

「お前だって家族が死んだら嫌だろ」

「うん」

「そんだけの話だ」

そこで会話は途切れた。

ふたりはやがて施設の門へと辿り着き、守衛とやりとり。収容所を出た。




―――西暦二〇三八年。都築燈火によって門が開かれる十四年前、ブラックドッグ初期ロットの神格埋め込み手術が完了してから三年目の出来事。

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