文学少女
「ねえ母さん。伯母さんって子供の頃はどんな人だったの?」
【イギリス イングランド北西部湖水地方】
問われたマーサは考え込んだ。
やがて答えは出た。
「そうねえ。おとなしい子だったと思う。行きつけの古本屋さんがあってね。そこで何時間も本を見てた。おこづかいで何を買うべきか思案してたのね。最後に一冊だけ選んで買って帰ってくるのが常だった。文学少女って言うのかな。今のフランシスを見たら全然そんなことはないように思うかもしれないけど」
「うん。意外」
ここはメアリーら家族の住居。居間での会話だった。外はもう雪がちらつき始めているが、薄い
「何でも読んでたかな。"アナバシス"や"ガリア戦記"を図書館から借りてきてた。孫氏も読んでたし、かと思えばホーキングもお気に入りだったわ。"原論"も。アラビアンナイトや指輪物語みたいなファンタジーも好きだった。けれど現代の小説なんかは全然興味がないの」
「前言撤回。意外じゃないかも」
「そう?」
メアリーは伯母の博学さを思い出した。あの知識量は神格としてのものと言うより、豊富な読書量に支えられているのではなかろうか。
「昔のあの子はこう言ってたわ。『図書館こそ人間の本質だ。私たちが消えても、ここにある知識は何千年も先にも残る』って。あの子の言った通りになった」
「図書館かあ……」
遺伝子戦争で多くの図書館は失われたが、生き残った人類はそれを再建した。焼け残った本を探し出し、記憶を突き合わせ、新たな本を印刷し、図書館へと収めたのである。人類がそれまでもやってきたように。
「だから、戦後にフランシスが生きているのを知った時は驚いたわ。姿が変わってなかったのもそうだけれど、あんな堂々とした子じゃなかったから。荒くれものを大勢まとめ上げていたからなんでしょうけど。別人かと思ったくらい。
ニュースであの子の事を知ってね。まさか、って思いながら、政府に問い合わせたの。向こうもこっちを探してたから、すぐに会えた」
帰国したフランシスは英雄として迎えられた。遺伝子戦争の初期から、すべての門が閉じた後も。神々最後の残存勢力が降伏する南極に至るまで戦い抜いたのがその大きな理由だ。戦後、自らの傭兵団が保有していた神々の兵器を各国へと売却し、事業を始めた彼女はまた、イギリス政府に協力して知性強化動物の開発にも携わった。輝かしい経歴は途切れることなく今も続いている。
一方、マーサの運命は幾つかの幸運にこそ恵まれてはいたが、ごくごく平凡なものだ。元々ロンドンに居を構えていたマリオン家は都市破壊型神格によってすべてを失った。マーサ以外の家族も失われたものの中に含まれる。辛うじてこの地方に逃げ延び、そこで知り合った男性と結婚して住み着くようになったのだ。今は学校で教師をしている。
消滅したロンドン市街が現在のように再建されるまで、途方もないエネルギーが注ぎ込まれた。
同じように消滅した都市は無数にある。門が開いたローマ。ケープタウンや神戸。イスタンブール。神格をはじめとする超兵器の攻撃を受けたニューヨーク。パリや大阪のように激しい市街戦の舞台となった場所もある。
「あの子がいたのは男社会だった。男社会、というか、強い結束と目的意識の求められる場所に男性が多いから男性的なもの、とみなされているだけでしょうけどね。だからあんな風に振る舞う癖がついたんだと思う」
「神格にならなかったら、伯母さんどうなってたんだろう」
「さあねえ。一つだけ言えるのは、フランシスの秘めていた才能は、神格になったからこそ発揮する機会がもたらされたということ。ただの人間のままだったら、あの子は普通の一生を送っていたでしょうね。たぶん。
人類が今まで手にした事のない武器を手に取って、最後まで戦い抜くなんて誰にでもできることじゃあない」
「うん」
その時だった。家の呼び鈴がなったのは。
「噂をすれば。メアリー。お出迎えをしてあげて」
「はーい」
とてとて、とメアリーが駆けていき、やがてドアが開く音。続いて、今でも若々しい姉の声を聞いて、マーサは微笑んだ。今年もまた、家族そろってクリスマスを迎えられるから。
―――西暦二〇三七年、クリスマスイヴ。メアリーとマーサの会話。ロンドンが壊滅してから二十一年、フランシスが神格となってから二十六年目の出来事。
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