死との戦い

「人類はかつて、死を逃れられない運命だと考えていた。だが今は違う。人間は死に打ち勝つ手段を手にした。多くの死の果てに」


【イギリス イングランドロンドン市 マリオン家】


「伯母さん、歴戦の戦士なのに傷ひとつないね」

「そりゃまあ、どんな傷でも痕一つ残さず完治しちまうからなあ。胴体が真っ二つになったって再生するんだぞ。さすがにそこまで重症なら何週間もかかるが」

フランシスは、己の肌をまじまじと観察する姪に苦笑した。

自宅のバスルームでのことである。イギリスの家屋にしては非常に大きいバスタブは、フランシスがこの家を購入したまさに理由そのものだった。メアリーと二人で入っても余裕が十分にあるほどだ。

「私、なんとなく服の下はものすごい傷跡だらけだとばっかり思ってた」

「万が一そうなったらオレの命はそう長くないな。生理機能を神格が管理できてないってことになる」

「う……ごめんなさい」

「まあ大丈夫だ。昔ならともかく、今の技術なら神格がもし故障してもなんとかなる。たぶんな」

以前会ったモニカの祖父も同じようなことを言っていた。自分たち一家が国家の知性強化動物プロジェクトに協力しているのは、万が一モニカの身に異常があった時に備えてのことなのだと。驚くほど知的で賢明な男だった。ペレに懐かれていたのもうなずける。

フランシスは賢い男が好きだった。強ければなおよい。

「神格は望みうる限り最高の医療システムだ。危険性を考慮に入れても、頭の中に住みつかせておく価値はある。前の戦争じゃ神格は愚か、最低限の医療も受けられないで死ぬ奴がたくさんいた。消毒薬や抗生物質も不足しててな。もし手足を怪我をしたらどうしたと思う?」

「え?えーと……死んじゃう?」

姪の答えに、伯母は頷いた。

「軽い怪我でもそうなる。傷が化膿して、しまいには壊疽するんだ。それを防ぐには切り落とすしかなかった」

「……手足を?」

「ああ。それも、麻酔なしにな。四人がかりで抑えつけて、のこぎりで切り落とすんだよ。十九世紀以前に逆戻りだ。それですら、まだマシなんだ。助かる可能性がある。実際、そういう理由で手足を失って機械義肢を付けてる奴はたくさんいる。今じゃ考えられないだろ?」

「うん」

「人口の七割が失われるってのはそういう地獄が出現するってことだ」

「モノ不足って怖いね」

「ああ。怖い。今どころか戦前でも軽傷で済むような怪我がそんな惨事になる」

人類の寿命は徐々に延び始めている。神々由来のテクノロジーは、戦前では治す事の出来なかった多くの病気を根絶しつつある。悲惨な戦争の経験は、医療福祉を世界中に行き渡らせる原動力になった。発展したナノテクは脳の血管の詰まりを直したり、癌細胞と戦う事すら可能になった。痴呆も不治の病ではなくなったし、パワーアシスト技術は高齢で弱った人間でも他者の手助けなしに日常生活を送ることを可能にする。更には遺伝子操作による非常に安価な不死化技術すら人類は実現していたが、その大々的な導入だけは今も足踏みしていた。神々の二の舞となることを恐れているためだ。

恐らく、不死はこれからも知性強化動物と人類側神格だけのものであり続けるのだろう。

「さ。そろそろ上がれ。のぼせるぞ」

「はーい」

促されたメアリーは先に風呂から上がった。




―――西暦二〇三七年。人類が不死化技術を手にして二十年、フランシスが傭兵を廃業して十八年目の出来事。

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