欠けたる座
「結局のところ、我々には原因究明の機会すら与えられなかった。すべてが闇の中、手探りで戦い続けるしか他にはなかったのだ」
【西暦二〇一六年五月十八日
広大な空間であった。
半円状となったスペースに並ぶ座席は十二。うち一つは空席となっている。その向こう、窓の向こうに広がる光景は雲海だった。
この都市は、雲の上にあるのだ。遥か上空にテザーで吊り下げた小惑星にかかる遠心力に引っ張り上げられることで、重力と釣り合っているのである。
恐るべき技術力であったが、神々にとってはいかほどのものでもない。
とはいえこの空間は神々にとっても特別なものだ。何しろ集っているのは、神々の世界においても最高位の力を持つ大神たちなのだから。
これは、神々の首脳部の通信会議であった。一名を除き物理的には誰もいない。遠隔地からの映像を投影しているのだった。
「―――この一月の被害は想像を絶するものだ。死者、行方不明者の集計すらできていない。ネットワーク回線上に広まった戦略情報は我々の弱点を赤裸々にしている。人類の学習能力は恐るべきものと言わざるを得ない」
「彼らの兵器は我々のものと比較すれば著しく劣るが、それでもいまだに凄まじい数が残存しています。なにしろ惑星ひとつ分の兵力なのです。対処しきれません。もはや無事に撤収出来るかどうかと言う段階です」
「撤退は論外だ。未だに我々は必要な遺伝子資源の確保をし終えていない」
「同感だな。今兵を引けば取り返しがつかなくなる。一度門を閉じてしまえば、次は奇襲も通用しないとみて間違いない。どころか、時間を置けば彼らは手が付けられないほど強くなるだろう。収奪を続けるには今しかない」
「とはいえ、地球に致命傷を与えず戦い続けるのがどれほど困難かは皆、ご理解いただけることかと思います。事故後、人類の核分裂炉を破壊した際の始末すらいまだに終わってはいないのです」
「あれは痛かった。現場の混乱はいまだに収拾がついていない。人類の反撃は極めて精妙なのもあるが、最大の問題は―――」
「神格の反乱。天照以降同様の事例が頻発していることからも、これが天照の神格単体の欠陥ではなく、神格というシステム全体が持つ異常なのは明らかです。何しろ反乱を起こした神格は、いずれも製造元や設計局の異なるモデルなのですから」
「何故今になって神格の故障が頻発するようになったかも追求するべき点だ。神格の思考制御システムは非常に入念に安全性の確認を繰り返した上で設計されてきた。万が一にも今回のような事態が発生すれば取り返しがつかないからだ。にもかかわらず事故は起きた」
「いくつか上がってきている仮説のひとつは、実戦がもたらすストレスが原因になったのではないか。ともありますが検証は不可能です。何しろ、当の故障した神格は例外なく我らの手の届かぬ場所にいる」
「とりあえず、代替手段はあります。反乱が起きているのはいずれも神格によって直接脳を支配させ、疑似人格を構築させる形式の思考制御です。ドーパミン報酬系を改変する方式のものは今のところ反乱が起きる予兆はない」
「とはいえそちらの方式では急場には間に合わないでしょう。時間と手間がかかり過ぎる。そもそもそのような神格は、絶対数があまりに少ないためにいまだ反乱が発生していないだけかもしれない」
「原因不明ではあるが、戦力は必要だ。既存の設計の神格の生産は続けざるを得ぬ。危険と分かっていようとも」
「同感だ。しかし戦略級神格については、生産凍結を解除するわけにはいかん。今度反乱が起きれば、次は都市が破壊されるやもしれんのだ」
「ひとまず神格の運用は、ごく慎重に行わざるを得ないでしょう。片時たりとも目を離さずにおくしかない。それが神格の利点を大きく制限することとなっても」
紛糾する会議に、出席者の一柱。自身も大神に数えられる神王は、空席へ目をやった。
その席に座るべき神はもはやいない。何故なら彼女は、神戸の門が破壊されたまさにその場所にいたからだ。
今回の計画。地球侵攻のために尽力し、誰よりも種族の将来を考えていた彼女は、今回の事故の最初の犠牲者のひとりとなった。混乱の中、後継者もいまだ定まってはいない。
古き血を引くその貴神の名を、ミン=アという。
やがて、出席者の一柱が告げた。
「神戸の件、遅れていた証人がようやく到着したそうです。通してよろしいか」
出席者らからは同意の声。それに応じて、すぐさま画像がひとつ、増えた。
皆の中心に映し出されたのはごく平凡な容姿。身なりからすれば科学スタッフであろう。
「ドワ=ソグ、参りました」
「此度は大義であった。よくぞ生きて戻った」
「は。私などにはもったいないお言葉です。お心遣い、痛み入ります」
やりとりが進む合間にも、神王は資料を確認する。ドワ=ソグ。ミン=アの家臣に仕える科学者であり、異世界探査計画にも最初から従事していた人物。天照反乱時には遺伝子資源回収の現地調査に従事していたために難を逃れ、台北門より派遣された救援部隊に辛うじて救助された数少ない生き残り。今問題となっている天照とも非常に近しい位置にいた。これまでの経緯を考えれば驚くべき強運の持ち主と言えただろう。
「最初に断っておこう。これは査問ではない。そなたは問われたことを事実のままに述べればいい」
「はっ」
「我らが知りたいのは天照について。そして事件の前後に何があったか。それらを、そなたの視点で語ってもらいたいのだ」
「承知いたしました」
科学者は語り始め、そして大神たちはそれに耳を傾けた。
【西暦二〇三七年 日本国 淡路島民宿】
よく知った顔が、こちらを覗き込んでいた。
「志織ちゃん。おはよう」
「……おはよう、
志織は身を起こす。カーテンのかかった薄暗い室内は畳敷きだ。並んでいる寝床は二つ。志織とそしてもう一人。友人である希美のものだった。
周囲を見回す。
転がっているのは食品トレイやアルコール類を含む様々な飲み物の空き缶。志織は酔えないから、アルコールの消費者は基本的には希美である。
「志織ちゃん、うなされてた」
「夢を見てた。あの日の」
「そっか」
ふたりにはそれで通じた。門が開いた時、志織と希美。そして、今はもう二つの世界のどこにもいない
遺伝子戦争開戦からあの日まで、まさに激動の一カ月あまりだった。
志織は、友人の顔を見る。
彼女はあの日から随分と歳をとった。自分は全く歳経ていないというのに。
カーテンを開ける。ここ、淡路島にある民宿からは対岸がよく見える。復興した神戸の姿が。
「志織ちゃん」
後ろから抱きしめられる。
これは、鎮魂の旅。生き残った友とともに、生き残れなかった友を偲ぶ小旅行だった。宿を淡路島に取ったのは距離を置くためだ。神戸の全景を目に収めるために。
「どうして、私だったんだろう」
「……たまたまだよ。そういう巡り合わせだっただけ。ひょっとしたら"天照"になっていたのは私だったかもしれないし、光ちゃんだったかもしれない。私たちに目を付けたミン=アの気紛れ以上の意味なんてない」
「そっか、な……」
恐らく後数日違っていれば、希美も死んでいたはずだ。彼女もそのころには眷属として改造される予定だったから。志織が神々の世界を脱出するならば殺す他なかっただろう。いや。そうなっていれば、志織が勝てた保証はない。
「何にせよ、もう終わった事。気に病まないで」
「うん」
希美は、しばし親友を抱きしめた。
少女の姿をした英雄も、されるがままにしていた。
―――西暦二〇三七年。焔光院志織と高崎希美が神々の世界からの初の生還者となって二十一年、志織が第一次門攻防戦に立ち会う十五年前の出来事。
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