衣食足りて礼節を知る

「よかったな」


【イギリス 捕虜収容所】


ムウ=ナは顔を上げた。

いつの間にか横に立っていたのは銀髪の少女。十九年前に出会い、つい先日再会した人類側神格がそこにいたのである。

木陰から、今行われている作業を見守っていたムウ=ナの横へとフランシスは腰かけた。

「その子には普通の人間と同等の権利が与えられる。暫定的に、だが。少なくとも、すぐさま生存を脅かされることはなくなった」

「……ありがとう」

「オレは何もしてない。礼を言うなら、判断を下したお偉いさん方。あと、その子を生かすべきだと表明した科学者連中に言いな。普段お前さん方には厳しい姿勢を表明してる学者さんたちが今回の件ではこぞって、擁護する方向だったからな」

フランシスは国連総会で提言する科学者たちの顔を思い出した。自分も中継で見ていただけだが、何人かは知った顔がいた。特に戦時中は過激だったことで有名なウィリアム・ゴールドマンさえもが子供を生かすべきだと言っていたのには驚いたものだ。この十年あまりでモニカにその性根を叩き直されたのかもしれないが。ほとんど同棲していたと聞くし。

フランシスも、前方。鉄条網で区切られた荒野の内側で行われる作業に目をやった。

捕虜となった神々が従事している作業は建築である。上下水道。電気。そういったインフラの設置と、そしてプレハブ家屋の組み立てをしているのだった。

生まれてくる子供のため。適切な成育環境を提供するため、今までよりも良好な設備が用意されたのである。

「これも、その人たちのおかげなのね……

食事が改善された。住居も。医療も。書籍や嗜好品も供給されるようになったわ」

「ああ。新生児の母体に必要なものを準備した。劣悪な栄養バランス、ストレス、汚染物質への暴露なんかは特に悪影響を及ぼすからな。

まあ大したコストじゃない。気にせず享受しておけ」

「ええ。でも、私たちだけ、というのが悪い気がする」

「他の捕虜収容所か」

ムウ=ナは頷いた。

「ま、そっちもたぶん今後、見直しが入るんじゃないかとは思うけどな。住環境に関しては。国連もその構成国家も人でなしの集まりじゃない」

「実感しているわ。今、まさに」

「戦争から十六年だ。世界は復興した。人類は強くなった。自信をつけて来たと言ってもいい。ようやく余裕が出て来たところだ。妊娠したのが今でよかったな。もっと前だったら、どうなっていたか分からなかったぞ」

「ええ……」

ふたりは、頭上。枝葉の隙間の向こうに存在する、巨大な物体へと目をやった。

南天を走る、長大なオービタルリングへと。

人類の復興の象徴が、そこにあった。

もはや人類はかつてとは比較にならないほど強くなった。科学技術は発展し、経済は膨れ上がった。人口もかつての水準に徐々に近づきつつある。

フランシスは、よっこいしょ、と立ち上がった。

「じゃ、もう行くわ。オレも本職が忙しいんでな」

「ありがとう。フランシス」

「あばよ、ムウ=ナ。また今度な」

そうして、ふたりは別れた。




—――西暦二〇三五年。地球で初めて神々の子供が生まれた年。第一次門攻防戦の十七年前の出来事。

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