第三部 最後の海賊―――西暦2034年

過ちと祈り

「我々が過ちに気付いた時、もはや取り返しがつかなくなっていた。だがどうすればよかったのだ?私たちに、過ちを犯す以外の選択肢はなかった」


【西暦一六三二年 神々の世界のどこか】


木々の葉が、光を乱反射していた。

それは、幾何学的な葉脈が浮き出る半透明。まるで硝子のようにも見えるが、それは多段的に下の方の葉まで光を届かせる、この星の樹木独自の工夫であった。そのおかげか、繁る葉は地球のそれと違って上の方まで密集している。そして樹皮。その表面は柔らかく、一枚はがせば硬質の内部は真っ白だ。根はある種の原始的な粘菌が共生し、どれほどに痩せた大地からでも栄養分を交換して得ている。

ここは、三十メートルあまりの巨木が形作る樹海だった。

ドワ=ソグは、前を見据えた。その先には樹海の外がある。

一見するとかつてと変わらぬ世界。しかし樹海を一歩出れば、そこは死の世界と化していることを彼は知っていた。超新星爆発によるガンマ線によって、オゾン層が破壊し尽くされていたから。

母なる太陽の恵みたる陽光はもはやその凶暴性を隠そうともしない。強烈な紫外線は容赦なく降り注ぎ、生命という生命を今も痛めつけ続けている。それを逃れうるのは地中深くに住まう微小生物か、あるいは水の奥底に潜むわずかな生き物たち。そして、紫外線の多くを受け止める樹海の枝葉の下に住まう者たちだけであろう。災害を予測し、備えていた神々ですら壊滅的な被害を被った。多くの宇宙都市はガンマ線の被害に耐えられずに沈黙したし、地表の文明もその通信網を破壊され、送電網は燃え上がった。自然がなす、恐るべき猛威であった。

それでも。この星の生命はしぶとかった。どれほど痛めつけられようとも草花は芽吹いたし、陽光を逃れる事を覚えた多くの蟲や動物、鳥たちは木々の下に隠れ、あるいは夜行性となった。神々も文明を再建するべく、安全な避難所シェルターから現れては、陽光におっかなびっくりしつつも活動を始めていた。

ドワ=ソグは思う。ひょっとすればこの星の生命たちは、自分たちが手を加えずとも生き延びていたかもしれない。大規模な遺伝子操作をはじめとする生態系の改造を施さなくても大丈夫だったのかも、と。

空を見上げる。ちょうど、そこを鳥にも似た頭部を備えた灰色の巨体が飛び去って行った。

巨神。文明再建の切り札たる高能力作業機械。専門に育成されたクローン体である神格の拡張身体として建造されたそれは、インフラが破壊されるであろう世界に残された、先人たちからの贈り物だ。永遠の生命を備えた彼ら神格は着実にこの星の生態系と文明を復興しつつある。破壊されたオゾン層も、いずれは元に戻ろう。

世界の再生が終われば、そこから先は輝かしい未来が待っているに違いない。ドワ=ソグはそれを信じて疑わない。神々の一員としてまだ若い彼は、信じていたから。自らの種の強さを。

若者はまだ知らない。これは終わりの始まりなのだと。世界の黄昏が訪れる、ほんの少し前の猶予期間が今なのだと。

ドワ=ソグはまだ、知らなかった。




【西暦二〇三四年 イギリス 捕虜収容所】


ドワ=ソグは目を醒ました。そこは相も変らぬ収容所の寝床だ。夢を見ていた。世界の終わりが始まる、そのほんの少し前。まだ未来への希望があった頃の夢。絶望が世界を覆い尽くすより以前の記憶。

身を起こす。粗末な木造の家屋である。この地に収容された捕虜たちが最初に従事した作業は、自らの住居を作ることだった。鉄条網と監視塔で外部から隔離された中、彼らは幾つもの家屋を建てたのだ。今では三十名ほどがここで暮らしている。

最後の戦いからもう十五年。門がすべて閉じた時、地球に取り残された神々はごくわずかだった。そのほとんどが自ら殿しんがりを選んだ者たちである。それは絶望的な撤退戦を続け、合流し、南極大陸に最後の拠点を作った。最後の日、わずかばかりの戦力―――とはいっても21柱の眷属が残っていたが———は、18柱の人類側神格によってあっけなく蹂躙された。この時点で生き残っていた人類側神格の練度はもはや、並みの神格では太刀打ちできない水準に達していたのである。敵である国連軍に損害らしい損害を与える事すらできず、神々は降伏したのだった。

捕虜に対する人類の態度は慈悲深かった。少なくとも、ドワ=ソグはそう捉えた。想定していた最悪の扱いよりも遥かに快適な———あくまでも想定と比較してだが———環境で、生存を許されたからである。

ここに収容されている捕虜は、皆が南極からの仲間であった。幾つかのグループに分散させられ、各地に収容されているようだが他はどうなっているか分からない。だが、ここより著しく不愉快な環境にはいないだろう。そう、ドワ=ソグは願った。

傍らで眠る妻に目をやる。

彼女と契りを交わしたのはここにきてから何年も経ってからだった。不自由な暮らしの中、精一杯の祝福を仲間たちはしてくれた。このようなカップルは幾つも生まれ、人類も干渉らしい干渉はしてこない。

今までのところは。

明日は大丈夫だろう。明後日も。だが、その先は分からなかった。明確に人類の態度が変化するであろう要因が、生まれていたから。

ドワ=ソグは、妻の下腹部に手をやった。新たな生命を宿した、そこへと。

絶望的なまでに低下した神々の出生率を鑑みれば、ここで起きた事実は奇跡と言っていいだろう。

今はまだ隠していられる。だが、いずれ人類も知ることになるはずだった。

その時どうなるのか。中絶されるのだろうか。それとも、生むことを許される?無事に出産できたとして、ここで育てられるのか?それとも子供を取り上げられるのだろうか。

分からない。ドワ=ソグには分からなかった。ただ、祈るよりほかはない。人類の慈悲を。

この神はただ、祈った。真摯に。




—――西暦二〇三四年。樹海の星を超新星爆発が襲ってから四百年あまり。遺伝子戦争が終結して十五年目の出来事。

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