美と子竜

「人間は昔から、美に支配されてきた。それは現代文明を作り上げた重要な原動力だったんだよ」


【イタリア共和国カンパニア州ナポリ ナポリ国立考古学博物館】


歴史を感じさせる内装だった。

ドロミテが歩いているのは化粧された床。両脇には様々な彫像が並び、訪れた者の目を楽しませていた。

そのうちの一体、大理石から削り出された女神像の前で、子竜は顔を上げた。

「美人さんだ」

「気に入ったかい」

「うん」

あとからついてきたのはゴールドマン。休日にここへ寄ったのだった。

ナポリ国立考古学博物館は、南イタリアで最も重要な考古学博物館と言われている。旧市街地に存在するその建物は、騎兵隊の宿舎として建てられたものが18世紀になり、ファルネーゼ家の財宝を展示するようになったのが始まりとか。

「ねえ、お父さん」

「なんだい」

「ドロミテは人間とは違うのに、なんで人間の顔を美人だってわかるの」

「ふむ。そうだな」

問われたゴールドマンは、眼前の女神像に目をやった。今にも槍を投げよう、としている構えのアテナ像である。その彫刻は精緻で、とても大昔に作られたものとは思えないほどだった。

「僕たちはドロミテをそう作ったから。というのが大きいな。人間社会で生きていく以上、美的感覚は人間と共通している方がいい。

そして、ドロミテ達にも人間を好きになってもらいたい。というのも理由のひとつだ。知性強化動物は一般に、人間に好かれるような姿にデザインされている。ドロミテたち、ドラゴーネも含めてね。人間は美しさが善だというステレオタイプに囚われている。それを利用して、人間の側に知性強化動物を好きになってもらうための作戦なんだな。

それと同様に、ドロミテ達にも、人間や人間の作り出したものを好きになってもらいたかったんだ。

ここまではいいかい」

「いいよ」

休憩するヘルメス。ダナオスの娘。様々な彫刻の間を抜けながら会話は続く。

「人間の美的感覚は、進化と密接な関係がある。子孫を残す能力に優れた者を判断するために発達したんだ。

コンピュータでいろんな人種の顔を掛け合わせ、平均的な顔を作るという研究がある。顔の好みは人それぞれだが、それを差し引いても平均的な顔は魅力的に見えるんだ。人種をまたいでね。人種をまたいで平均的、ということは、遺伝的多様性を持っていることを示している。それは、様々な環境に適応して生き延びる能力が優れていること伝えているんだ。美しい身体的特徴は、環境適応能力の証なんだよ」

「なるほどなあ」

「対称性に美しさを感じるのもそうだな。発達に異常があれば、多くの場合は左右非対称になる。免疫系の指標でもあるか。寄生された生物は非対称になることが多いからね。免疫の強い人は寄生されにくいから、対称性の強い人は免疫も強いだろう、と判断できるわけだ。

逆に、免疫系を抑制する特徴に魅力を感じる場合もある」

「そうなの?」

「ああ。男性の顔。角ばった顎や、こけた頬。眉毛の濃さ。こういった男性的特徴を生み出すテストステロンは免疫系を抑制する効果があるが、このような外見は魅力的とみなされる。こいつは一種のハンディキャップ原理によるものだな。元々強い免疫系を持つ者だけが、この負荷に耐えられる、というわけだ。クジャクの雄が派手な姿をしているのと似てるな。不利な条件でも生き残れる能力のアピールなんだよ」

「そっかあ」

「最も、人に感じる魅力は付き合いの深さでも変化する。好きな相手なら、知れば知るほど強く魅力を感じることもあるだろう。脳の意味―知識系が美的経験を調整するんだな。

ただ、気を付けないといけない点がある。これらの美的感覚は、200万年近い歳月を通して形成された。けれど現代では環境は激変している。文明によってね。子孫を残したり、生き残ったりするのに必要な能力は大きく変化した。それに、美の感覚がもたらすバイアスは僕らを支配しようとしていることも注意点だな。人を公平に扱う時、これは邪魔になるときがある」

「難しいね」

「そうだな。難しいよ、本当に」

一通り室内を巡ったふたりは、次の展示室へと向かった。

他愛ない会話を続けながら、父子は美術観覧を楽しんだ。




—――西暦二〇三三年。ナポリ国立考古学博物館が開設して二世紀半、ドラゴーネが誕生して一年後の出来事。

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