家族の形
「充実した人生を送るコツは、良い家族に恵まれることだ。その点では君も私も運がよかった」
【ドイツ連邦共和国 ベルリン州ベルリン クルツ家】
「いやはや。お美しい奥方だ」
「君が言うと違う意味に聞こえるな、ゴールドマン君。まあいい。言葉通りの誉め言葉、と受け取っておこう」
「まあ、僕が言うと確かに誤解を招くかな」
テオドール=クルツは客の言葉に苦笑した。相手は古いなじみ。ゴールドマンをディナーへと招待した席でのことである。
対するゴールドマンは、夫と共に食卓の準備をしている奥方の顔を見た。
犬にも似た顔立ち。知性を認められる瞳。直立二足歩行に尻尾を備え、エプロンを身に着けた姿は知性強化動物
そして、ゴールドマン同様既に席についている若い女性。どことなくテオドールに似ている彼女は娘のハンナ。しかしその顔は彼女本来のものではなく、精巧な人工物である。シャツの裾から覗いている手や、首筋から分かるのは機械仕掛けの肉体。全身義体者だった。
人類側神格であるテオドールを筆頭に、世界でも最先端を行く生き方をしている一家がクルツ家と言えた。
すぐに配膳が終わり、晩餐が始まる。
一家と客との間で話題は弾む。話すことはたくさんあった。近況。互いの家族。仕事。政治。スポーツ。気候。
やがてゴールドマンは、食堂の内装に視線を向けた。家主の性格を表したものだろう。質実剛健なそこには、国内各地で撮影されたのであろう写真が幾つも飾られている。
「それにしても、久しぶりにこちらへ来て驚きました。数年前に来たときはまだまだ復興が終わっていなかったのに。もうすっかり、かつての活気を取り戻している」
「確かに、この国はEUでも復興が遅れ気味だった。酷い有様だったからね。人が住めなくなった地域が多すぎた」
「奥様が活躍されたと聞きましたよ」
ゴールドマンが視線を向けたのは、奥方。"ケルン"は普通の知性強化動物ではない。戦後復興のため、EUと国連での認可を経て作られたという経緯がある。
彼女の脳に組み込まれた神格は、先の戦争で確保された眷属のもの。環境管理型神格の思考制御機能を停止させた上で組み込んだものだった。
人体構造を取り入れた九尾級の脳ならではの事例である。そこまでせねばならない理由があったのだ。ドイツ国内は、放射性物質による深刻な汚染が進んでいたから。
遺伝子戦争初期の混乱によるものだった。原子力発電所が神格の攻撃を受けて吹き飛んだのである。その被害はヨーロッパ全土に及んでもおかしくないほどのものだったが、拡大を抑えていたのは皮肉にも神々だった。地球の遺伝子資源の奪取を目的とした彼らは汚染を防ぐべく、環境管理型神格と気象制御型神格を用いて被害を最小限に抑制したのである。
とは言え、ドイツ連邦が受けたダメージは大きかった。居住不能地域の拡大に伴い多数の難民が出たし、政府機能も瀕死となった。混乱の中で死者も急増した。遺伝子戦争では人類の七割という数の命が失われたが、ドイツでの人口減少率は八割近いという試算もある。
ケルンは、撤退した神々に代わって環境再生の任を引き継いだ。彼女は組み込まれた神格"ペルセポネ"の機能を最大限に発揮し、何年もかけて放射性物質汚染をほぼ、取り除いたのである。
任務を果たしたケルンは、求めに応じて時折その能力を発揮する以外ではここで静かに暮らしているらしい。
ケルンは、目を伏すと、呟くように言った。
「……神格の前の持ち主。"ペルセポネ"の記憶を、時々夢で見るんです。私のものではないと分かっているのに。自分の体験と区別がつかなくなる」
神格には宿主の記憶を保存しておく機能がある。新たな肉体に移植された場合には、その脳へと前の宿主の記憶を書き込む機能も。眷属の視点からは肉体を交換しても自己の連続性は保たれているが、もちろん思考制御を受けていない宿主にとってはそうではない。
ましてや、以前の肉体の推定年齢は二十代半ば。二歳で神格を組み込まれたケルンにとっては、人生の総量を遥かに超える記憶の奔流だった。
「そんな私がおかしくなってしまわなかったのは、たくさんの人の助けももちろんありました。けれど一番大きかったのはテオドール。彼とハンナが支えてくれたから、今の私があります」
「うん。けど、だからってケルンとお父さんが結婚するって聞いた時はとっても驚いたかな。ずっと年下のおかあさんになる、ってことだし」
ケルンに続いて言葉を挟むハンナ。彼女自身、かつては幾つもの障害に苦しめられていたはずだったが、そんな素振りは全く見せない。
強いな。と、いうのがゴールドマンの抱いた感想である。
「噂では聞いていましたが、テオドール。素晴らしいご家族に恵まれたようで何よりだ」
「それはお互い様だな。君も周りの人には恵まれているようだ。最初に知り合った頃の危うさがなくなった。老成したというのかな。立派になったよ、ゴールドマン君」
「そうかな。自分では変わったつもりはあまりないですが」
「そうだとも」
ふたりは微笑んだ。
「さ。改めて乾杯と行こうか」
「いいですね」
「よし。
—――家族に捧げよう」
「家族に。乾杯」
グラスが打ち鳴らされ、そして皆がワインを飲み干した。
やがてディナーは終わり、ゴールドマンは見送られながらクルツ家を後にした。
—――西暦二〇三三年。ケルンの誕生から十二年、テオドール=クルツが再婚してから四年目の出来事。
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