補い合うもの
「正しい判断を下すには、結局のところ人間の熟慮が必要だ。機械はしばしば、予測不能の間違いをするのだから」
【西暦二〇一七年五月 イタリア共和国ラツィオ州マドンナ・デッラ・パーチェ】
『―――今近くにいる。場所を教えてくれ』
「南に教会が見える。三方向が畑の農家。二階」
夜の帳が訪れようとしていた。
身をひそめる民家の外は静かだ。住民が逃げ去って久しい小集落は、そこかしこに乗り捨てられた車両が見られた。燃料切れで放棄されたものだろう。火災で焼けた建物も見受けられる。住民が逃げ出す時の火の不始末か、電源がショートしたか。
あるいは、戦闘によるものか。ここは戦略上の要衝だったから。
幹線道路沿いという高価値な立地で、モニカは息をひそめていた。
左腕がない。脇腹には大穴が空いているし、目もよく見えない。止血はしたが血を失いすぎた。歩くことすらできない。
撃墜されたのはこれで何度目だろうか。救助が来るまで、隠れているしかなかった。幸いにもすぐ近くにいるようだ。無線で詳細な場所を聞いてきた以上そのはずだった。
懐に手を伸ばす。ちっぽけな拳銃。武器の携帯を許されたのは先週のことだった。いらないと思ったが、この体調なら指先の力だけで引ける引き金があるのはありがたい。最悪、自分の頭を撃てばいい。口に銃口をねじ込めば、強化された頭蓋骨に守られた神格と言えども吹き飛ぶ。再調整を施され、思考制御が復活するよりはよっぽどマシだった。神々がこんな状況の自分を見つければ、殺さず連れ帰るだろう。見た目十二歳の瀕死の女の子が、迷彩服を着て転がっているのだ。奴らにも人類側神格とひと目でわかる。そもそも連中は戦果確認のために自分を探しているだろうから。
「早く来てね。あんまり持ちそうにない」
『―――安心しろ。すぐにつく。―――!?』
銃声。
幾つものそれが外から聞こえて来たのを、モニカは認めた。敵のロボット歩兵どもだろう。姿を思い浮かべる。前後に二本の手を伸ばし、鳥のような脚をしている。背中には火器。高さは人間の胸ほど。シルエットだけなら二足歩行の恐竜にも似たそいつらは、実際に同じ歩行原理を採用していることをモニカは知っていた。
激しい銃声はしばし続き、唐突に止んだ。
「大丈夫?」
『―――すまんがトラブルだ。敵もそっちに向かってる。何とか身を守ってくれ』
「……がんばるわ」
モニカはずいぶんな苦労をして、身を起こした。無線を聞かれたか。やむを得ない。救出部隊はロボットどもに勝てるだろうか。分からない。彼らを信じるしかない。
再び銃声が聞こえてくる。どんどん近づいている。更には怒声。地球由来の言葉ではないが、意味は分かった。神々の指揮官による音声入力。制御が妨害されているからだろう。最近は人類もロボット妨害用の機材を装備する。電磁波による遠隔操作が為された機械に対し、筒状に取っ手がついたこの兵器は、曲がりなりにも一定の効果を発揮する。まだ無事な地域の工場ででっちあげられたものだった。
神々のテクノロジーであろうが、結局のところ人力がなければ戦闘はできない。敵も生身を危険にさらしているのだ。
這いずる。ソファの裏に隠れる。遮蔽物としては心もとないが他に選択肢がない。階下で扉が蹴破られる音。駆け上がってくる。ソファの陰から様子を伺う。一瞬の緊張。
扉が開いた時。室内に飛び込んできたのは、ロボット歩兵だった。
そいつ目掛けて即座に発砲。初弾は外れた。修正。二発目。命中。弾かれる。構わない。全弾叩き込む。
モニカが弾倉を使い切った段階で、ロボットは擱座。脚の関節に弾丸が食い込んだらしい。脚を引きずりながら起き上がる。発砲。銃弾がモニカをかすめた。更に連射してくる。当たらない。挙動を修正しきれていないらしい。
相手の機種は分かった。脳内無線機を起動。偽の信号をロボットへ送り込む。
誤った標的を認識したロボットは前進。損傷の許す限りの速度で、窓の外へと飛び出していった。わずかな間を置いて落下音。あの分ならもう、使い物になるまい。
一息つく暇はない。ロボットの後ろに控えていたのは、鳥相を戦衣で包み、銃で武装した異形の兵士だったから。
神々。人間同様の知的生命体であるそいつに、今使ったようなトリックは通用しない。弾丸も使い切った。瀕死のモニカに抗する術はない。
頭をひっこめたモニカに向けて、銃弾の雨が降り注いだ。何発か体を貫通。頭蓋にぶつかって止まった弾もある。もはや悲鳴すら出ない。
銃撃が止んだ時、モニカは力尽きかけていた。
辛うじて顔を上げる。敵兵と目が合う。もはや見慣れた異形。突きつけられた銃口。これまでか。
覚悟を決めた時だった。敵が弾かれたように下がったのは。
そこを通り過ぎていく、銃弾。モニカのかすんだ眼にはそれははっきりとは見えなかったが、あとから続いてきた銃声は味方のものだった。
そして、多くの事が一気に起きた。神が扉の方へ連射。たちまち銃弾が底をつく。弾倉交換の隙をついて突入してきたのは、拳銃を連射する人間の特殊部隊員。撃ち込まれる銃弾を見切り、躱す敵兵。両者の距離はたちまち詰まり、そして激突した。
神の体躯が宙を浮く。なんとか着地。生じた隙で特殊部隊員は銃を投げ捨て、ナイフを抜く。鋭い斬撃とパンチの応酬。激しい攻撃が交わされ、たちまちのうちに両者の傷は増えていく。絡み合う人と神。床に転がる。
静寂が訪れた。
モニカには、どちらが勝ったか判別がつかなかった。目がまだぼやけている。まもなく見えなくなるだろう。
立ち上がった者がこちらを振り返った時。その顔は、人間のものだった。
「―――よく頑張った。もう大丈夫だ」
神を、ナイフで倒すとは。
周囲ではいまだに銃声が響き渡っている。されど、彼が言うのであれば大丈夫なのだろう。
モニカは相手の言葉を信じつつ、意識を喪失させた。
【西暦二〇三三年 イタリア共和国ラツィオ州 ハイウェイ】
「―――あれは確か、モニカ嬢が十一体目の眷属を倒した後だったな。もうすぐ教会が見える。その向こうであった話だ」
言われて、エトナは車窓の向こうへ視線を向けた。
ハイウェイから見えるのは緑豊かな田舎の風景。今は人が戻り、営みを取り戻している場所で起きたという戦いに、この知性強化動物の少女は思いを馳せた。
「お父さん、どうやってナイフで勝てたの?神々は銃弾も見てから躱せるって聞いたけど」
「世の中には、ナイフでヒグマを倒した例もあるからな。身体能力の差は決定的な違いじゃないのさ」
イニーゴ・カンピオーニは運転しながら答えた。遺伝子戦争期、乗る船が不足して陸戦隊を率いていたというこの海軍士官はエトナの里親である。
「結局のところ、働く物理法則は神々も私たちも同じだからな。体重だってそんなに差はない。連中の強化身体は確かにパワーはあるし俊敏だが、白兵戦ともなればいかにして無茶苦茶に戦えるか。それも冷静さを保ったままに。ということの方が大切なんだ。神格ほど極端になればまた別だが」
「そっかあ」
「ロボットだってそうだ。"天照ショック"以降、人類はすぐできる対策からとりかかった。人工知能を騙す様々な方法。今も更新されている、対ロボット迷彩服。アルミ箔を使ったチャフ弾」
イニーゴは懐かしそうに話した。遺伝子戦争はまさしく科学戦だった。神々のハイテク兵器に、いかにして人類の技術力で対抗するか。様々な工夫が凝らされ、多くの新戦術が生まれた。それらは効果を発揮したものも失敗したものもある。もちろん、敵の手の内がわかっていたからこその話ではあったが。
現在では戦訓を元に新たな戦術や兵器が生まれ、運用されている。
「ロボットは、信じられないような失敗を時折やらかす。神々のものですらそうだった。奴らは後方でふんぞり返ってロボットに命令してればいいわけじゃあなかったんだよ」
「エトナたちが生まれた理由もそれだよね」
「そうだな。機械任せじゃ結局、戦闘なんてできやしない。知的生命体だけが戦えるんだ」
「お父さんがハンドルを握ってるのもそれが理由?」
「そうだな。自動運転も悪くはないが、機械は人間のサポートをしている方が性に合うんだろうな」
イニーゴは自動運転のレベルを引き上げた。前方では渋滞。どうやら事故らしい。こういうゆっくりした、人間の注意力が緩慢になる走行では自動運転がぴったりだ。
「ま、機械と人間はお互い、補い合えばいいのさ。今みたいに」
「そうだね」
ふたりは微笑みあうと、用意していた軽食を取り出した。
—――西暦二〇三三年。軍事用ロボット兵器が世界的に普及してから十年あまり。真に知的な知能機械が出現する三年前の出来事。
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