第二部 炎と風の島々―――西暦2023年

少女と猛獣と一角獣

「ねえ、おじさん。人間と違う構造の知性強化動物って作れるの?」


【イタリア エオリア諸島サリーナ島】


問われたゴールドマンは、ノートパソコンから顔を上げた。石造りの壁が印象的な、古い農家の一室でのこと。

「作れるさ。すぐには無理だが、そのうち必ず実現する。その時こそ君たちは、真の意味で過去の存在になれるだろう」

「本当?」

「本当だとも。僕が君に嘘をついたことがあったかい、モニカ?」

「色々と。ひとつひとつ数え上げていってあげようか?」

「まいった、降参だ」

ゴールドマンは苦笑しつつも両手を上げた。モニカ———この、ローティーンに見える金髪碧眼の少女との付き合いは、そろそろ6年ほどになる。下手なごまかしは通用しないと考えてよかった。

ゴールドマンは体ごと相手に向き直ると、うん、と伸びをする。厨房からはいい匂いがしてきた。普段ハイテクに囲まれて仕事をしていると、自然豊かなこの土地はよいリフレッシュになる。

すっきりとさせた頭で、ゴールドマンは少女に問いかけた。

「そもそも知能とは何だと思う?」

「論理的に考える。物事を予想する。計算する。計画を立てる。認識する。問題を解決する。抽象的な上に範囲が広すぎて何とも言えないよ」

「そう。何とも言えない。だから最初の知性強化動物―――"九尾"は人間の構造をベースにしつつ知的成熟の速度を大幅に増強した動物を作り上げるという形を取った。僕らの"リオコルノ"や台湾の"虎人"、アメリカの"エンタープライズ"、その他もろもろの知性強化動物も今のところは同様だ。素早く知的生命体を作るにはこれはいい方法だ。新しいものをなるべく取り入れずに済む。何より、僕ら人類はまだまだ不慣れだからね。知的生命体を1から作り上げるということについて。まずは既にいる知的生命体の模倣から始める方がいい」

「うん」

「実際に作ってみて、いろいろな知見を僕らは得た。例えば今隣の厨房で料理をしている"リスカム"。彼女の脳を僕らは毎週こまめに検査して、その発達をつぶさに観察してきた。設計通りに発達している部分もあったし、予想と違っていた部分もあった。彼女だけじゃない。リオコルノ十二人全員、いろいろと面白いデータを取れたよ。同様の報告は世界中の知性強化動物の研究者から上がっている。こいつを元に、僕らは新しい知性強化動物をどうデザインするべきか検討していく」

「それは分かるわ、おじさん」

モニカの言にゴールドマンは頷いた。

「幸いリオコルノは全員、素晴らしい知能の発達を果たした。皆が既にいくつかの博士号を持っているくらいだからね。現時点でも人間より、神格の宿主としての適性は高いんじゃないかな。脳の性能だけなら明らかに人間より優れている。知能だけじゃなく、認知能力や反射速度なんかも含めてね。

もちろん実戦の洗礼を経てみないことにははっきりとしたことは言えないけど。これは君には言うまでもない話か」

「筋はいいとは思う。まだ神格が組み込まれてないから、何とも言えないけど」

「ああ。

さて。脳の仕事は情報を集めて正しく行動するよう判断を下すことだ。こいつは多くの生物が持っている機能だが、それゆえに比較することができる。人間のどこが優れていて、どこが他の種と共通するものなのかを知ることができるんだ。

例えば言語だな。人間のそれは他の動物のコミュニケーションよりもはるかに複雑だし、構造を備えている。身振り手振りや単純な音なんかよりもね。だがこれがどのような脳の機能から生み出されているかの説明は実は結構難しい。何故なら、言語を生み出すための機能はいくつものプラットフォームから生じているからだ。人間だけじゃなく、多くの動物の脳でその素養は備わっている。ベルベットモンキーは危険の種類に応じて単語———単語に似た警戒音を幾つも使い分ける。キンカチョウの歌には複雑な構造がある。イルカは単純な単語の序列を理解できる。ハチでさえ数を4つまで数えられる。人間の脳は特別じゃない。特別だとするならば、それはより巨大なシステムの一部である、ということさ」

「巨大なシステム?」

「そう。人間の言語は複雑な構造を持っている。おかげで、知らない単語の含まれる文章でも、僕らはその意味を類推できる。それは多くの言語が繰り返し使われ続けた結果構造が生じたからだ。言葉で考えを伝えられた者は、それを理解した上で改変を加えて別の者に話す。それを同じコミュニティのメンバー間で繰り返す。こうして生じたループは洗練されながら、世代を超えて受け継がれていくんだ。文化だよ。脳を仲介して伝達され、進化していく文化こそが言語の本質なんだ。言語は思考に秩序と論理構造をもたらし、知的な活動を可能にする。情報を共有し、より発展させていくことができる。

文化とそれに内包される脳という巨大なシステムこそが、僕らの知能を支えているんだよ」

「なるほどね」

「ここまで分かれば後は何を取捨選択すればいいかがわかる。生物の脳は単一のシステムじゃなく、全身との相互作用によって情報を処理する代物だ。知的な能力を担保する仕組みを維持しつつ、より戦闘に向いた肉体と脳を作り上げてやればいい。人間は直立二足歩行で自由な2本の手と大型の頭脳、優れた持久力を得たが、代償にスピードや運動能力を失った。体重が同じなら、猟銃を持たない人間が犬に勝てるか?」

「無理よそんなの」

「僕が考えているのもそれだよ。より戦闘向きの生物に巨神を制御させるんだ。

もし次があったら、神々に思い知らせてやる。僕らのようなひ弱な生き物よりずっと恐ろしい猛獣が、地球にはたくさんいるんだ、ということを」

「……無茶だけはしないでね、おじさん」

「分かってるよ。

ところでいい加減、おじさんはやめて欲しいんだけどな。"ニケ"」

「その呼び方はやめてって言ってるでしょ」

「はいはい、モニカお嬢様」

「もうっ。おじさんのばか」

モニカが———人類側神格の一人、"ニケ"が部屋を出ていく。

それを温かい眼差しで見送ったゴールドマンが立ち上がろうとしたとき、手元のパソコンにメールの通知が来た。

内容を確認した彼は眉を顰めると一言、呟いた。「都築トツキ……」と。




—――西暦二〇二三年、ウィリアム・ゴールドマンとモニカ・ベルッチのやり取り。人類製第一世代型神格"リオコルノ"が完成した年、ゴールドマンが第二世代型知性強化動物を誕生させる九年前の出来事。

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