仙女と女神

「私たちには当たり前のこと過ぎて、二足歩行の欠点に意識が向きにくい。にもかかわらず祖先がこの歩行様式を取り入れたのは、たまたま環境にマッチしていたからに過ぎない」


【鹿児島県 屋久島】


ねっとりとした大気に包まれて、緑がどこまでも続いているかのようだった。

屋久島。急峻な山々が伸びあがったような地形と、九割を占める森林が特徴の自然豊かな島である。かつては観光客の絶えない美しい土地だったが、現在は忘れられつつある。

「それも都築博士の受け売りですか?」

「ご想像にお任せするわ」

整備されなくなって久しい道を行くのはふたりのバックパッカー。先を行くのは志織。その後に続いているのも女性だった。凛とした雰囲気。東洋人の特徴を備えた、黒髪の美しい少女である。

「それにしても、志織。別に台語を話せとは言いませんが。もう貴女は自衛隊セルフディフェンスフォースの士官なのでしょう?もう少し英語を勉強したらどうです」

「仕事なら話しますけどね。仕方ないでしょう、苦手なんだから。発音。

サラ、あなたみたいに四か国語ペラペラじゃないわ」

「だからと言っていい加減、神々の言葉で会話するのもどうかと思うのだけれど」

サラ、と呼ばれた少女の語る通り、二人の交わす言葉は人類由来の言語ではなかった。神々の用いている言語。人類にとっての英語にも匹敵する覇権言語で、彼女らは会話していたのだった。ふたりに共通するある特徴が、それを可能としている。

神格を組み込まれた者は、各種の知識や技能とともに幾つもの言語を脳に書き込まれる。神々の命令を理解し、会話するための措置だった。自ら習得したのではない言葉で、二人は会話していたのである。

後続の少女の神格名を"九天玄女きゅうてんげんにょ"。本名陳淑樺チェン シュウファー、英語名サラ・チェン。遺伝子戦争の英雄であり、史上二十三名しか存在しない人類側神格の一人であった。

倒木を軽く飛び越え、二人は進む。

進みながら、志織は口を開いた。

「今私たちはひょい、と木を飛び越えた。その気になれば助走無しでも十メートルの高さまで跳べるし、何なら分子運動制御で浮くことだってできる。けどそれは効率的なの?」

「効率的、の定義にもよりますね。分子運動制御ならエネルギー効率は百%です。第二種永久機関ですからね。それを実現するため、わたくしたちにかけられたコストまで含めれば、とても贅沢な力の使い方だとは思いますけれど」

「そう。贅沢。生物は本来、経済的であろうとするシステムなのに」

「神格というシステムそのものが不経済、ということでしょう。ある意味では。けれど別の側面で見ればとても安上がり。そのまま、先ほどの話に繋がりますね」

「ええ。

二足歩行はとても遅いし不安定。急には曲がれないし、力も弱い。それでも、従来の人類の祖先がとっていた歩行よりはるかにエネルギー効率に優れていたから、遠くに食料を探しに出る時に有利だった。結局、それだけの差でしかないものが、今の人類を形作っている」

話している間にも植生はどんどん変わっている。屋久島は高度によってその姿を著しく変えるのだった。

「見えてきましたね」

サラの言う通りだった。山の頂上。巨大で丸い岩がふたりの視界に入ってきたのである。

「あらゆる環境に適応できる生物なんて存在しない。知的生命体を除いて。いえ、知的生命体であろうとも、大自然の猛威の前ではただ翻弄されるだけの弱者に過ぎない。

超新星爆発に抗おうとした神々は、失敗した。どんな叡智も数十億年の自然進化には及ばないのよ。

それを確認するために、わたしはここに来た」

最後の一歩。十メートルの高さを跳躍し、志織は山の頂上へと降り立った。浸食されて丸くなった花崗岩の上へと。

隣にサラが並ぶ。

広がっていた光景は、絶景———ではない。いや、ある意味ではそうか。

何十、何百メートルものブロック状に各所がえぐられた奇怪な地形が、島の山間に出現していたのである。

先の戦争時、神々が遺伝子資源を持ち去った跡だった。分子運動制御型神格によって、地盤ごと生態系が運ばれたのである。環境への配慮が気休め程度にでもあったのか、一定間隔おきに、ではあったが。

遺伝子戦争期、神々の手は屋久島にも及んだ。島民は連れ去られ、居住施設は神々が撤退するまで宿舎や拠点として用いられたのだった。

「見て」

「……」

破壊された地形はしかし、甦りつつあった。色とりどりな植物によって埋め尽くされ、傷跡を覆い隠されようとしていたのである。戦争終結からほんの数年とは思えない光景だった。

「世界は急速に再生しつつある。自然の持つ力と、人類という若い種の荒々しさによって。対する神々は、テクノロジーの助けを得てようやく生き永らえている老いた種族に過ぎない。

次があるとしても、今度は私たちが勝つわ」

「それは予言?」

「今の時点ではただの願望。けれどいずれ、真実になるときがくる。私たちがそうするのよ」

「いいでしょう。付き合ってあげます。ときの果てまでも」

しばしそうしていたふたりは、今日の野営場所を求めて移動を再開した。

両名は数日間の休暇を満喫し、そしてそれぞれの居場所へと戻った。




—――西暦二〇二二年。超新星爆発より四世紀あまり、最初の門が開いてから百数十年後の出来事。

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