第8話 珍客万来!

満開の桜の花が散り終えて、今は葉桜が満開…って、おかしな表現か…新緑が目に眩しい昼下がり。


食堂では…

アルバイトが休みのシンガーさんがギター片手にポロロンポロロンとつま弾いている

ムンクさんが部屋から持ち出した画材道具をソファーのそばに設置して奇声を上げながら絵を描いてる


なぜか心望さんがテーブルの真ん中の席…ナイチさんの特等席・・・にドカッと腰を据えて新聞を読んでいる…この人、なんで住人然としてるのかしら?コボンさんは今日は寄席に行ってるのに…まぁきっと暇を持て余してるんだろうけど、うちで寛ぐのはどうかと思うのよね…今度家賃でも貰っちゃおうかしら


私は今週の献立と皆さんのご飯の予定を組みながら、春の陽気にあてられて、ちょっとうつらうつらしてる。

早いもので松竹梅荘に来てもう三か月…

ようやくこの仕事にも慣れてきたし、皆さんとも仲良くやれてるようになってきた。…ちょっと甘いような気がしなくもないけど…でも皆さんの笑顔を見てるととても元気になれる。

楽しいんだもん。


あぁ〜駄目だ。眠気が物凄い勢いで襲ってくる…ちょっとだけ…本当にちょっとだけ寝てしまおうかしら…ちょっとだけ寝たら頑張るから。ちょっとだけ寝たら洗濯物取り込んで、たたんで、それからお買い物…

・・・

・・・

・・・

はぁ!一瞬寝てた。

おぉぉう、献立表に見事なよだれの水たまりが…

めっちゃ恥ずかしい。

誰にもばれてないわよね…

気づかれないうちにこっそりと拭き取らきゃ

キャーこういう時に限って台布巾がない

拭くもの、拭くもの…しょうがないエプロンでやってしまうか…

いいか。松竹梅美結、貴様はうら若き乙女であることを忘れるな。

慎重に、誰にも見つからないように、自身の過失を隠蔽するのだ!


辺りをこっそり確認する

心望さんは相変わらず新聞と睨めっこ…よかった気づかれてない

ムンクさんは相変わらずカンバスと睨めっこ…よかった気づかれてない

シンガーさんはギターは弾いているものの、私と目が合いニンマリ笑う…はわぁぁ、確実に気づかれた


物凄いショック…


本当にこの人は抜け目ない


私は顔から血が出る思いだった…けど


シンガーさんは素知らぬ顔でギターを弾いてる


見過ごしてくれたのかな…なんだ意外と男気あるではないか…いやいやいやいや、だったらニンマリ笑ったのはなんだ?

やはりこの人、油断してはいけない人だ


私は、エプロンでよだれの回収を速やかに実行した

・・・多少の情報漏洩はあったもの、なんとかミッションコンプリート。

やれやれだぜぃ



玄関口から大きな声が近づいてきた…この声はダンチョさん


「腹から声出して」

「おっしゅ」

「もう一丁」

「おっしゅ」

「もう一丁」

「おっしゅ」

「もう一丁」

「おっしゅ」


なんだかクリクリ坊主頭の初々しい学生服姿の子を連れて入ってくる


「何回言ったらわかるんだ、『おっしゅ』じゃなくて『押忍』だ。言ってみろ」

「おっしゅ!」

「だ〜か〜ら〜」


ずっこけちゃったわ。


「なんだこれ、新しおもちゃか」とからかうシンガーさんに

ダンチョさんは「どこで遊ぶんだ」とむきになって返す

ムンクさんが割り込んできて「遊びどころ満載だぞ」と、クリクリ君に向かい

「貴様にクイズを出してやろう」

「おっしゅ」

「英語で口づけは?」

「キッシュ」

「失敗は?」

「ミミミミッシュ」

「サーブレシーブ?」

「トトトトトッシュ」

「走れ!」

「は?…あぁダダダダッシュ!」

と、言って食堂を走り回るクリクリ君。

高笑いするムンクさんとシンガーさん。頭を抱えるダンチョさん。

次は俺もお題を出そうと身を乗り出す心望さん


麗らかで静かな午後は一瞬で消し飛び、いつもの賑やかな風景になってしまった…やれやれ


いくら食堂が広いとは言え、全速力で走り回れるほど広くはない。怪我する前にクリクリ君を止めなくては…私もちょっとお題出してみたかったけど…


「ダンチョさん、こちらは?」

走り回るクリクリ君の襟首をつまみ上げ、私に向かわせてくれるダンチョさん、自己紹介を促してくれたんだけど…


「ぼ、ぼ、ぼ、僕は…」

とクリクリ君が言いかけたら、いきなりバチコーンって頭を叩くの

「『僕』じゃねぇ、さっき教えたじゃねぇーか」

「しゅしゅしゅしゅしゅいましぇん…えっとあの…なんでしたっけ?」

ダンチョさんはずっこけながら怒りでわななきながら

「自分」と、頭突きになりそうな勢いでクリクリ君に言い聞かせた

クリクリ君は、あぁそう言えばそうだったと、ダンチョさんの鬼の形相に全くひるむことなく受け入れてて、この子の物怖じしなさに私が物怖じしそうだった


クリクリ君はスッと姿勢を正し

「じ、自分は千代戸 九ちよと きゅうっしゅ。今度応援団に入りましたっしゅ」

と、初々しく挨拶してくれました。

「まぁまぁ、ダンチョさんの後輩さんですか?」

「おっしゅ」

うふふふっ、まぁなんというか可愛らしい。一生懸命なところが憎めない

ダンチョさんが九君に私を「恋人の美結」って紹介するのを華麗にかわして「下宿の管理人をやってる」ことを伝えてダンチョさんが色々面倒をかけるかもしれないから宜しくとお願いしたんだけど…

「もちろん。面倒みてあげるっしゅ」

と、後輩らしからぬ返事。さすがにみんなずっこけたわ。

ダンチョさん自慢のリーゼントが怒髪天になりながら「てめぇ何言ってやがる」と、どつくと、九君は一瞬何のことかさっぱりわからぬと言った風で、自身が今言った言葉を反芻し、事の重大さに気づき

「じ、自分なんてことを〜」と後悔してる。今更にもほどがあるけど

「今度、そんなこと言ったら素っ裸にひん剥いて町中うさぎ跳びさせるぞ」

「おおおおおお、おっちゅ」

さすがに九君も堪えたらしい。小さくなっちゃった。

ダンチョさんが

「ごめんね、美結ちゃん。こいつこんなんだからうちに連れてきて居残りの特訓なんだよ」

う〜ん、出来れば公園でやって欲しい…そして『ほら俺こんなに頑張っているんだよ』…アピールしてくるんだけど、ダンチョさん、その頑張りで今年こそは大学卒業しましょうね


「グゥゥゥゥドモォォォニング愚民ども」

それの襲来は唐突だった。

肩まで伸びたつやつや髪に真っ白なジャケットとパンツ、光沢のある派手な紫のワイシャツ。ボタンを胸まで開けて、金ぴかのチェーンネックレス。真っ黒に焼けた素肌にキラリと不気味に光る白い歯

紀家 礼次郎のりやれいじろう…さん


自称だけど売れっ子のラジオのディレクターさんなんだとか。何を隠そう心望さんの実の弟。とにかくこの人は濃い。濃密で濃厚。

なにがというと…全てがとしか答えようもない


そして驚くほどみんなから嫌煙されている…私もだいぶ苦手な存在。


「あれあれあれあれ?イングリッシュわからなかった?おはようって意味」

みんな無言で知ってますと、心の中で叫ぶ。

礼次郎さんに免疫のない九君だけは「おっしゅ」と返事しちゃってるけど、ダンチョさんが「黙っとけ」と叱ってる

「愚民というのは、貴様たちみたいな生きるクズの総称」

と言い放ってケタケタと笑ってる。

本当に何しに来たのこの人は!



この人と始めた会ったのは、私がまだここで管理人をやり始めたばかりのころ。

夕飯の買い出しを終えて帰宅したら、食堂で外国の方と打ち合わせをしていた。

私は、住人の誰かのお客様かと思って丁寧に挨拶だけして買ってきた食材を台所に置いてこようとしたら、呼び止められ「ティープリーズ」っていきなり言われたの。

何を言ってるのか、理解できなかったけど、外国の方と英語で打ち合わせしてたので、英語で私にお茶を要求してるのだと理解するまでに時間がかかった。

日本人よね、あの方は…帰国子女なのかな…そもそも誰のお客さんだろう…?やっぱり英語で聞かないとダメよね…英語なんて学校で習ったきりだ…そもそも私は今、緑茶を淹れてるけど紅茶の方がいいんじゃないの?もしかしたらコーヒーの方が?

とにかく緊張することはないのに滅茶苦茶緊張しながらお茶を運んだの

「ハ、ハロー。ディスイズジャパンティーです。オッケイ?」

・・・むぅ学生時代もっと勉強しておけばよかったと本当に後悔。

すると何やら二人で大きな声で英語で話し合い、笑ってる。

・・・よかったのかな?


私は席を離れる事も出来ず、食堂の隅でニコニコしているしか出来なくて、二人の男性は終始英語でなにやら打ち合わせして、ほどなくして帰っていってしまった。

それから週に一度くらいのペースで、その不思議な打ち合わせは続いた。そのたびに相手の外国の方は違った。

そのことを住人の皆さんに聞いても『そんな知り合いいない』って言うし、でもその人はさも当然のようにうちに来て私にお茶を頼んで打ち合わせして帰る


ある時、勇気をもって聞いてみたの。「フーアーユー?」って、そしたらいきなり流ちょうな日本語で「礼次郎だよ、知ってるだろ」って言われて、はてなマークが40個くらい頭の中に浮かんだわ。

「ミーのブラザーが、ここに来てるだろ?だからさ」

はてなマークが50個に増えた

「ちょちょちょちょっと待って下さい、日本語喋れるんですか?」

「オフコース」

じゃぁなんで今まで英語で私に話しかけてたんですか。私、英語チンプンカンプンなんですよ。今日話しかけたのだって、中学校時代の英語の教科書引っ張り出して勉強し直したんですから。

ん?

ミーのブラザー…って、あれ?あなた誰かのお兄さん?

「ノンノンノンノン、ミーのビッグブラザーさ」

ビックブラザー?大きい兄弟?・・・お兄さん?

あなたどう見ても30歳以上ですよね?そのお兄さん????

はてなマークが100個ぐらいに増えた

「それ、どなたですか?」

「心太郎・・・ノンノンノン心望さ」


心望さん?

心望さんの弟なの?

それであなたはここで何してるの?


礼次郎さんは半分以上英語交じりの日本語で説明してくれたけど、理解・・・というか解読するまでに多少の時間を要した・・・

・・・ある時、心望さんが松竹梅荘から出てくるのを見かけ、てっきりここに住んでるものと勘違いした。

それで礼次郎さんが勤めるラジオ局が近くにあるので、喫茶店代わりにここを打ち合わせ場所して使ったのだとか。

美人のウエイトレスがただでお茶を出してくれるってのも行きつけにした理由らしい。


まぁ美人のウエイトレスってのは、・・・その・・・百歩譲っていいとしても、してもよ、なんで勝手に喫茶店代わりにしてるのよ。図々しいにもほどがある。

迷惑なんで二度と来ないでくださいっていってるのに「ノープロブレム」の一点張り。

そのうち住人の皆さんとも一方的に交流を深めていって・・・交流っていうとまたおかしな表現だけど、なんだかんだと皆さんと顔見知りになってしまった。

心望さんに、迷惑だからうちに来るのを止めるように口添えお願いしたんだけど、そもそも心望さんだってうちに居座るのはおかしな話だし、コボンさんにお願いするのも酷な話だし・・・ここは管理人である私がしっかりしなくちゃいけないと腹をくくったの。

そんなおり、心望さんと礼次郎さんが、うちで鉢合わせしたことがあって、二人して大喧嘩。「男だったら拳で決めようじゃないか」ってなってしまって殴り合いだけはやめて下さいってお願いしたら、なんと腕相撲で勝負を決めることになった。

まぁ平和的でいいけど・・・そもそもの趣旨が違ってきてるってその時は理解できなくて、

心望さんが勝ったら、礼次郎さんは二度と松竹梅荘に立ち寄らない

礼次郎さんが勝ったら、今まで通り松竹梅荘を打ち合わせ場所にする

って、勝負。

・・・今更考えるとどちらが勝ってもあまり私たちに得はないな…


結果、心望さんの完敗・・・

礼次郎さんは松竹梅荘で堂々と打ち合わせする権利を勝ち取ったの・・・


考えれば考えるほど、理不尽な勝利条件だな・・・


で、礼次郎さんは私の気持ちを察したのか、ここを打ち合わせでは使わず、仕事で疲れたときに休み来る憩いの場所とすることを約束してくれました。


嬉しくて涙が出てしまった・・・

のが、一生の不覚・・・

そもそもうちは下宿です

あなたがくつろぐ場所じゃないんですけど・・・


そんな経緯があってから、礼次郎さんはちょくちょく松竹梅荘に顔を出すようになったんだけど・・・あの性格と上からの物言い、奇妙な英語のせいで住人の皆さんからは距離を置かれる存在となってしまった。


心望さんが苦虫をかみつぶした顔で

「美結さん、塩持ってきてもらえますか?」

「喜んで」

と、台所に塩を取り行く


「おやおやおやおやおや、ソルトなぞ、どぅーするのだマイブラザー?」

「お前がいると縁起悪いから塩まいてお清めするんだよ」

「はぁっはぁっはぁっはぁ、ミーが売れっ子レディオディレクターだからか?売れない落語家、ひがまないひがまない」

「ひがんでねーよ」

強がれば強がるほどひがんでるように聞こえるけど・・・


と、礼次郎さんは、応援団の学ラン姿のダンチョさんを見つけ

「ヘイヘイヘイヘイヘイ、ユーユーユー」

とダンチョさんの周りを奇抜な舞を舞いながら捩じり寄る


今日のターゲットはダンチョさんか・・・お見舞い申し上げる


群がってくるハエを追い払うように邪険に手を払いながら不愛想に「なんだよ」と返事するも、ダンチョさんの陰に隠されていた九君は「おっしゅ」と意気揚々としている。

「こんなスタイルしてて未だにハイスクールボーイ?」

「あぁ?大学生だよ」

「ハッハァ、いくちゅなんでしゅか?」

「・・・」

「あ、ああ、あの自分19歳でしゅ」

「黙れ」

悪気なく出しゃばってしまった九君がしかられる

「あっれぇぇあれあれあれあれ?確か去年大学4年だったよね、ユー?大学って今4年せいじゃないの?」

「団長は大学7年生でっしゅ、ラッキーセブンしゅ」

「はっはぁ、ラッキーでもなんでもないよね、ただの落ちこぼれフォーリングマンじゃぁないか」

「おっしゅ、じゃぁアンラッキーセブンっしゅね」

「ギュー」

なぜか九君と意気投合してしまう礼次郎さん。二人してダンチョさんの周りをアンラッキーの舞をしながらグルグル回る


しびれを切らしたダンチョさんが「胸糞悪い」と二階に上がっていってしまった。

九君は、敬愛する団長さんが行ってしまってどうすべきか悩んでいたけど、シンガーさんに促され、ダンチョさんの後を追って二階に駆け上がっていってしまった。


礼次郎さんは一人アンラッキーの舞を踊り続けている

目障りなのを止めようと心望さんが

「お前、本当に人の神経逆なでする天才な」と最大限の侮辱をするも、どこ吹く風・・・

「ゆこうかシンガー君」と急に矛先を変える


われ関せぬと、ギターの調律をしていたシンガーさんは驚いている「おれ?え?なに?」

礼次郎さんは変なポーズを決めて「収録のアワーだろ」と言う

はじめはキョトンとしていたシンガーさんは、頭をフル回転させて思い出していると、「あぁそうかそうだったか」と一人納得。

ムンクさんが尋ねると

「礼次郎さんのラジオ番組で歌わせてもらえるだった」と、嬉しそうに出かける準備をし始める。シンガーさんの準備が整いきらない間に「レッツゴー」と礼次郎さんは出ていってしまい、ギターをケースにしまいながら慌てて「ラジオから流れる俺の美声に酔いしれるがいい」と言い残しシンガーさんも行ってしまった。

本当にこういうところは抜け目ないんだから…

残された心望さんとムンクさんは所在なさげ

心望さんは弟さんに仲良しの後輩取られた気持ちなのか、苛立ちながら新聞をもみくちゃにしてる。

私は思い切って

「成敗!」

って、持ってきた塩壺から握れるだけの塩を取り、心望さんにぶちまけてやったの。

面を食らった心望さんに「悋気の鬼は犬も食わないって言うじゃないですか」と、返すも「そんな格言聞いたことないよ」と困った笑顔で返してくれた。よかったいつもの心望さんだ。


それはそうと食堂中、塩だらけ・・・心望さんとムンクさんにお掃除手伝ってもらいました。


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「礼次郎おじさん本当に変わりないね」

「だろっ。あいつは昔っから嫌なやつでな」


礼次郎おじさんの話になると、とたんに機嫌が悪くなるおじさん。

俺が子供のころから顔合わせれば喧嘩してる。二人っきりの兄弟なんだから仲良くすればいいのに・・・おじさんはムシャクシャしてるのか、さっき吸い終えたばかりなのにまたタバコに火をつける。なにがそんなに気に食わないんだろうか・・・確かに…それは確かに礼次郎おじさんは破天荒で意味不明で、独自で編み出した和製英語を会話に織り交ぜてくるから、意味を変換するまでに時間がかかるし、奥さんはチリ人のアニータさんだし・・・

って、自分で言っててこんがらがってくる・・・

けど、俺は好きなんだよね、あの人。嘘がないから。

思ったことをすぐ口にしちゃうのは良くないかもしれないし、そういう意味では気遣いが足りないのかもしれないけど、いつでも自分の思ったことをストレートに表現出来るのは素敵なことだと思う。


っと、おじさんが早くも煙草をもみ消して次の煙草に火をつけ始めた。

「そういえばさ、礼次郎おじさん来るの?」

「あぁ、明日の朝一で来るってよ。あいつ今アメリカだからな」

大きく煙草の煙を吐く

そっかそっか、何やってるかわからない人だけど、なんだか売れっ子みたいで世界中行ってるもんな…


ふと視線に気が付くと、おばさんが食堂の入り口からにらみを利かせている。

見るからに不機嫌そうだ。

そりゃそうか…俺をおじさんに説教してもらうために連れてきたのに、母さんの日記を読みながら、仲良く昔話を聞かせてくれてるんだものな。ミイラ取りがミイラとはこのことだ。

「ちょっと、あんたいいの?」と、険のあるおばさんの声

おじさんは火をつけたばかりの煙草をもみ消し、いかめしい顔になる

「いいんだよ」と、おばさんの方に向き直りもしないで答え、丁寧に吸い殻の火種を消している。


・・・おっと、これはよくない雰囲気ですな。夫婦喧嘩までカウントダウンが始まっている。巻き込まれる前に退散しよっと…

「俺、席外してるんでごゆっくり」

と、席を立とうとする俺の腕を思いの外強い力で引き留められ「いいから読んでろ」と無理やり席に座り直させられた。

「…でもさぁ」おばさんの顔色伺いしないとさぁ…

「お前ならいいんだよ、美結さんの息子なんだから。その日記とこの家は、美結さんがお前に残した遺産だ」

「このおんぼろノートとこのおんぼろ家が?あんまり嬉しくないなぁ」

俺とおじさんの、何気ないやり取りに業を煮やしたのかおばさんは「勝手にすれば」と、母さんが眠っている部屋にいってしまった。


…その後姿を見ながら「夫婦喧嘩?」なんて冷やかしてみても、おじさんは「ほっとけ」って知らん顔。

…あぁ〜あぁ、後でどうなっても知らないよぉっと。

明日もあるからそろそろ寝ようと席を立とうとする俺に、おじさんは普段からは信じられないくらい真剣に「いいから読め」と声を荒げてきた。

声を荒げるおじさんに目を白黒させていると、おじさんは急に席を立ちしどろもどろになりながら「そ、その辺から面白くなってくるんだよ」と台所に行ってしまった。

・・・

・・・

まったくなんなんだよ、小説かっての。ただの日記でしょうに。


俺はやむなしといった感じで、日記のページを捲った。

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