第5話 今日から私がここの管理人です④
「そんじゃま、美結ちゃんの管理人代打初日を祝して宴会やりますか!」
ダンチョさんの掛け声一閃、皆さんが大きく「よっしゃ」とか「おぉぉ」とか返事をして、そそくさと準備し始めちゃったの。
いやいやいや、そんな大袈裟な。
おろおろする私を余所に皆さんの行動の素早さといったらない。
困る、困ります。
まだ夕方なのに
私、自分の荷物をカバンから出してもいないのに
いったんおばあちゃんの部屋に入って荷物の整理したり
今夜の晩御飯の準備しなくちゃいけないんですけど
「大丈夫大丈夫、代打初日を祝う名目でただ飲みたいだけだから」
と、シンガーさん。
本当にこの人は神経を逆撫でするのがうまい。
とにかく一旦落ち着いてもらおう。
夜から・・・せめて夜からにしてもらいたい。
私にだって心の準備とかあるんだから
「要するに美結殿は担がれた御輿、我輩たちはお祭り騒ぎがしたいだけなのだ」
と、ムンクさん。
だったら私のいないところで勝手にやってもらえませんか?
・・・そんなわけにはいかないだろうけど。
すると台所からカッペさんが湯飲みを数個持ってきた。てんでバラバラの種類。
中にはヒビが入っていたり、かけたりしてるものも・・・
なんだろこれは・・・と思う間もなく
その中で一番大きな湯飲みを満面の笑みで私に差し出してきた。
まさかと思うけどこれでお酒飲むんですかね?
受けとるのをためらっていると
満面の笑みでいっぱいの顔をさらにしわくちゃにな笑顔にして
「どんぞ」
と、湯飲みを渡そうとしてくる
「でも、これは・・・」
湯飲みですよね?と、全部言えないままに
「どんぞ」
と、湯飲みをぐいぐいと私に押し付けてくる
「ですから、これは・・・」
湯飲みであって、お酒を飲むのなら、せめてグラスとかないんですかね?
・・・を言わせてもらえない。
「どんぞ」
と、押し付けるように渡してくる。しかも満面のしわくちゃの笑顔で・・・
あぁ、いるいるこういう人。
本人は良かれと思ってるんだろうけど、相手の意思なんてお構い無しな人。
善意の押し売りって私は呼んでるんだけど、まさにありがた迷惑ってやつ。
・・・でも、無下に出来ないし、しちゃいけない雰囲気をカッペさんは醸し出してるし、否定されることなんて微塵も思ってないんだろうな。
カッペさんは大きな湯飲みを私に押し付け、テーブルに他の方の湯飲みを並べ、また台所になにかを取りに行ってしまった。
カッペさんなりに私に気遣って立派な湯飲みを渡してくれたんでしょうけど、そもそもの気遣いの原点が違うので何とも言えず・・・愛想笑いを浮かべるしか出来ない。
・・・我ながら情けない。
そしてコボンさんが小皿を持ってきた。なにやら白い粉上のものが乗っている。
「つまみはこれです」
と、自信満々にテーブルに置く。
「砂糖?」
「塩です」
「塩?」
「塩です」
あぁ我ながらなんて頭の悪い会話なのかしら・・・
テーブルの真ん中 の席にドンと座り準備が出来るのを待っているナイチさんが
「貧乏人はこれで充分なんだよ」
と、高らかに笑う。
いやいや、なんかしらあるでしょう?
お時間いただければ簡単なもの用意しますよ・・・と提案する間もなく、カッペさんが持ってきた一升瓶の栓を開け、これまたバラバラの湯飲みに並々とお酒を注いでいく。
こぼれる
こぼれる
もうちょっと優しく
あぁ、こぼれちゃった。
カッペさん!と注意しようとするもカッペさんは満面の笑みを浮かべ、善意の押し売りをしてくる。ちゃんと自分の意志は伝えなくてはとは思うものの。愛想笑いを浮かべるしか出来ない自分に腹が立つ。
それにしてもさっきまで喧嘩してたと思ったのになんだろうこの団結力は・・・
スケベなこととお酒のこととなると物凄いまとまりを見せるのね・・・変なの・・・
だったら普段から喧嘩なんかしないで仲良くしてればいいのに。
なんて思ってる間に、あっという間に皆さんに湯飲み酒?が行き渡り、
飲み始めるのを今か今かと待ちわびている
ダンチョさんがわざとらしく大きく咳払いをして
「僭越ではありますが、私が乾杯の音頭をとらせていただきます!」
よっ待ってました。
と、妙な相づち?合いの手?が誰からともなく入る
「それでは、松竹梅美結ちゃんの管理人代打初日を祝しまして、ようこそ松竹梅荘に!」
ようこそ!
と、皆さん、私に満面の笑みを向けてくれる
「乾杯!」
とダンチョさんの応援で鍛え上げたであろうよく響く声が発せられ、皆さんが湯飲みを高らかに掲げ、乾杯と言おうとした瞬間に・・・
ジリリリリリリン!
と、管理人室入口の前にある電話がけたたましくなった。
皆さんズッコケちゃった。
私もズッコケちゃった。
なんとも間の悪い電話の呼び出し。
まぁかけた相手はこっちの状況なんてしるよしもないし、しょうがないのだけれど、これでもかと言うほど間の悪い電話だ。
ナイチさんが殺意を持った声で
「おい、コボン」
と、電話へとあごをしゃくる。この人の所作はいちいち格好いい。
コボンさんは心得たとばかりに電話に出ようとするのを、ムンクさんが静止し
「今は管理人代打がいるだろう」
と、私を見る。
え?
私ですか?
・・・あぁ、そうか私ですね・・・
皆さんがジーっと私を見る。
おっとぉ、緊張しちゃうじゃないですか。
「美結ちゃん、管理人代打初仕事」
煽らないでシンガーさん。
「早く早く」
わかってますからダンチョさん
なんだろう、電話に出るだけなのに、『初仕事』と言われ皆さんに期待の眼差しを向けられると緊張してしまう。
「な、なんか緊張しちゃいますね」
照れ隠し、緊張を解そうとお道化てみたものの、顔の引きつりは取れない。
「お、お、お、おらも緊張しましゅ」
と、カッペさん。だからそういうこと言われると余計に緊張しちゃうじゃないですか。
「さっさとしろよ、酒が飲めないだろ」
ナイチさんなりの気遣いなのか。ただただドン臭い私に苛立ってなのかわからないけど、ハッパをかけられる。
そそそ、そーよね。たかだか電話に出るだけだものね。何も気負う必要なんてないんだものね。
「美結さん、ガンバです」
がががが、頑張るって程の事でもないのよ、コボンさん。
と、応援なら任せろとダンチョさんが身を乗り出し
「フレーフレー美結ちゃん」
と、エールを送ってくれる。それに続いて皆さんも
「フレーフレー」と応援してくれる。
無下になんて出来るわけない。私は「よっしゃ!」と気合を入れて電話に向かう。
一歩
また一歩
テーブルを横切り
管理人室の前まできて
腰の高さほどの電話台に、デデンと鎮座する黒光りする電話に近寄る
さぁ後は手を伸ばすだけだ!
生唾を飲み込む音が聞こえる
皆さんの「さぁ行ったれ!」の視線を背中に受けて、私は慎重に手を伸ばす
ジリリリリ・・・チン。
え?
チン?
え?
当たりは妙な静けさに包まれた。
皆さんのエールも
電話の呼び出し音も
私の張り裂けそうな鼓動の音も
何も聞こえない
無
そう、無だ
私は勇気をもって、呼び出しベルの鳴らなくなった電話から、受話器を取り耳元にあててみる
ツーツーツー
悲しい短音が流れている
もしもし?
ツーツーツー
あの、もしもし?
ツーツーツー
何度確認しても電話はすでにこと切れていた。
そりゃそうだ、結構長い時間呼び出していたけれど、受話器を取るまで随分とかかってしまった・・・
でも・・・
だって・・・
その・・・
しょうがないじゃない、あんな煽られ方したら緊張するし、ためらうし、勇気だってふりしぼらなくちゃならなくなるし・・・
私の心が奮い立つまで待てないのが悪い・・・
わけない
百パーセント私が悪い
「私、ダメな女ね、電話一つまともに取れないなんて管理人代打失格です」
零れ落ちる涙を隠せず、私は自分で自分に落ちこぼれなの烙印を押して、管理人代打を辞そうと外へ飛び出そうとしたら・・・
「ドンマイドンマイ」
「いちいち大袈裟なんだよ」
「管理人さんは悪くないです。切れる電話が悪いんです」
と、慰められ、少しだけ自信を取り戻しかけ
「皆さんありがとうございます」
と、ちょっと、微笑むことができたのだけれど
「管理人代打初仕事、最悪の出発だね。あははっ」
と、神経逆なでダメ押し男のシンガーさん
カッチーン
を通り越して
ガッチーン
「私、管理人代打、辞めます」
と、カバンを抱えて逃げ出すように玄関口まで走りだしたの
ジリリリリリーン!
と、再びけたたましく鳴る電話の呼び鈴
「電話が鳴った、誰もでんわ」と、コボンさんが私を引き取め?てくれた。
その声かけにどう返していいものか逡巡してると
「早く出ろ美結」と、ナイチさんが背中を押してくれたの。
今度は素早く電話にかけより、一つだけ大きな深呼吸をして受話器を取り
「はい、松竹梅荘です」
・・・言えた。
まぁ当たり前なんだけど・・・電話をとるだけでこんなに緊張したのも、後悔したのも、反省したのも、達成感を得たのも初めて。
そしたら皆さんが我がことのように喜んでくれて、私は今度は嬉し涙が出そうになった。
ありがとうございます、ありがとうございます。
皆さん、満面の笑みで
「かんぱーい!」
私も精一杯の笑顔で
「かんぱーい!」
で、湯飲みを高らかに上げて、一気にお酒を飲み干す・・・わけにはいかない、今電話の最中
大盛り上がりする皆さんには、申し訳ないけど「電話が聞こえないから静かに」と注意して電話口の相手に対応する。
怒られて、一瞬反省して見せた皆さんだけれど、ナイチさんの
「こっそり大盛り上がりするぞ!」
と全然こっそりしてない掛け声ともに大盛り上がり。
私は・・・
私は・・・
受話器の向こうから聞こえてくる、相手の声を一言一句聞き漏らすまいと耳を澄ます
嘘であって欲しい
なんで?
受話器の向こうからこぼれ出る言葉に、私は目の前が真っ暗になった。
皆さんはやんややんやの大騒ぎをしている
シンガーさんが一曲披露すると言い、ムンクさんが続こうとしているが、お酒にめっぽう弱いらしく立ってもいられなくなりもどしそうになっている。
ナイチさんがムンクさんをソファーに寝かせ、私を呼んでいる。
なに?ナイチさん
何を言っているの?
上手く聞こえないよ
「美結、布団出してくれ」
なに?ナイチさん
私は受話器を持ったままその場にしゃがみこんでしまった。
私の様子があまりにもおかしかったので、皆さん代わる代わる駆け寄って心配してくれた。
「どうした美結?」
ナイチさんが寄り添ってくれた
おばあちゃんが
おばあちゃんが
死んじゃった
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