5.噂話に踊らされる周囲の人達

ときに現実というのはどうしてこうも容赦がないのだろう。

翌日、祥吾が学校に行くと、彼に向けられる視線は昨日までとは打って変わって酷く冷たいものになっていた。誰も彼もが祥吾が教室に入ってくるのを見て息をのみ、不自然に目を合わせないようにした。そしてひそひそと陰で噂話を立てた。席に着いて何でも無い顔をしながら教科書を鞄から取り出し机の中にしまう。どうせ昨日の掲示板のことだろう。クラスメイトの陰口の内容を想像するのは容易なことだった。祥吾が衝撃を受けたのは、クラスメイトたちのあからさまな態度よりも、根も葉もない噂がこんなにも早く広がり、簡単信じられてしまうという事実に対してだった。きっとクラスメイトたちは祥吾が何を言っても信じてはくれないだろう。付け焼き刃の言い訳だと受け取られ、疑いの目が強まるような気がする。誰に指摘されるまでもなく、祥吾は真実が事実として受け入れられるのではなく、先に多くの人に広まった話が事実として受け入れられるのだと、ひしひしと思い知っていた。おそらくこの状況こそ真犯人が望でいた状況なのだろう。誰も他に真犯人がいる可能性に目を向けていない。誰が流したかも分からない情報を鵜呑みにし、頭から信じ切ってしまっている。一体どうやってこの現状を打破したら良いというのか。祥吾は知らないうちに冷や汗が伝うのを感じていた。自覚できていなかったが、どうやら本当は自分に視線が集中しているクラスの中にいるのが怖いらしい。「祥吾。大丈夫か? 顔色悪いぞ。」荷物をロッカーに置いて戻ってくるとき、前の席で後ろ向きに座っていた智也にぎょっとした様子で呼び止められた。「あぁ」祥吾はどうにか声を絞り出した。そのまま席に着く。教卓から見て一番窓際の、前から2番目が智也の、3番目が祥吾の席だ。智也は椅子を前後に揺らして座りながら言った。「いいか、祥吾。堂々としてろ。臆するな。お前は犯人じゃないし、それは俺が良く分かっている。お前はひとりじゃない。周りの目なんか気にするな。」

祥吾はその言葉のおかげでようやく息の吸い方を思い出した。こわばった顔で頷く。そして心の中で繰り返す。(大丈夫。堂々としてろ。俺は一人じゃない。周りの奴が何を信じても、俺を信じてくれる人が一人でもいれば俺は大丈夫だ。)

智也がくれた言葉は呪文となり、その日一日崩れそうになる祥吾の心を幾度となく支えてくれた。

祥吾はクラスメイトの大方が祥吾を避けるのは仕方のないことだと半ば割り切っていたが、どうにも割り切れず傷ついたのが、サッカー部の仲間だと思っていた三人の友人にまで避けられたことだった。

お昼休みになり、いつものようにサッカー部の仲間五人で食べようとすると、祥吾と智也以外の三人は、「俺ら三人で食べるから」と二人と一緒にお弁当を食べることを断わった。「なんでだよ」智也が食い下がって訊ねると、「俺、盗みする奴なんかと食べたくねぇから」と佐藤は祥吾をちらりと見て答えた。佐藤の声は小さかったがが棘のある冷たい口調だった。「祥吾がそんなことするわけねぇだろ!お前等まであんなくだらねぇ噂信じてるのかよ! 」祥吾のことを悪く言われ、腹を立てた智也は怒鳴った。智也の勢いに三人はひるんで一瞬黙ったが、佐藤の横にいた真鍋が「でも日直だったのは本当だろ。俺、今日日直だったから朝一番にきてすぐ日誌で確かめたんだ。そしたら本当に事件があった日は祥吾が日直だった。鍵を最後に使ったのは祥吾なんだよ」と言った。それを頷いて聞いていた高木が「俺らだって確かめもせず疑ってるわけじゃねぇよ。でも祥吾が犯人だって掲示板にも書かれてたし、状況的にも疑われてしょうがない状況にあるじゃねぇかよ。そこまで言うなら犯人じゃないって証明できるのかよ」と言った。「あぁ、そうかよ。そこまで言うならこっちも証明してやるよ、祥吾のアリバイを。祥吾が犯人じゃないって証拠はあるんだよ。待ってろ、すぐ証人連れてくるから。」怒りで顔を赤らめた智也は教室を出て千紗を呼びに行こうとした。しかしその智也の腕を祥吾が引き留めた。「いいよ、智也。」智也は止める祥吾の手を腕を振り払った。「良くねぇよ!離せよ!お前が犯人じゃないって、こいつ等にわからせてやるんだ! 」

祥吾はもう一度智也の腕をきつく掴んだ。

「っだから! いいんだって、もう。そこまでしてくれなくて」「何言ってんだよ、そんなわけないだろ!…っておま、……、祥吾? 大丈夫か? 」智也は途中で言葉を切り、祥吾の顔を覗き込んだ。祥吾は知らないうちに泣いていた。祥吾は、信じていた友人にこんな風に言われるとは思っていなくて、心の準備が出来ていなかったせいで必要以上に傷ついていた。智也が自分のことをかばってくれればくれるほど、仲間にさえ自分の無実を証明しなければならないのだと、彼らは自分を無条件に信じてくれた智也や千紗とは違って、必死になって証明しなければ自分を信じてはくれないのだと、その違いを突きつけられるのが辛かったのだ。祥吾は顔を背けて涙をサッとぬぐい、「俺は犯人じゃねぇよ。信じてくれないかもしれないけど、俺じゃないんだ」はっきりとした口調で三人に向かってそう言った。それでも三人は顔を見合わせるだけで、一緒にお昼を食べようとはしなかった。「いいよ、祥吾、俺ら二人でたべようぜ」智也は祥吾の肩を抱いて教室の外に出た。「こんなとこいられるかよ。公売で買って中庭で食おうぜ」今日は秋晴れで天気の良い青空が広がっていた。「俺のせいで、ごめんな」祥吾は力なく謝り、智也に引っ張られるまま歩いた。「なんでお前が謝るんだよ。何も悪いことしてないのに。そういうの癖になるから止めとけ。」「でも…」口ごもる祥吾を智也は羽交い締めにした。「馬鹿だなぁ、お前。俺はお前と食べたいから食べるんだ。あいつら三人と食べるより、俺はお前と食べた方が飯が美味いんだ。分かれよ、お前が俺でも同じことするだろ? 」言ってから照れ隠しに頭を掻く智也に、祥吾は何とお礼を言ったら良いのか分からなかった。智也がいてくれるから、こうして理不尽で辛い現実に直面していても、自分はとても恵まれ得ていると思えてしまう。不思議だ。友達がくれる力は魔法だと思った。祥吾はこれまで人気者で、人に囲まれて生きてきたが、不思議なことに生まれてこのかた、人生で最も孤立している今日ほど自分が一人じゃないと感じたことはなかった。もしかしたら、この事件に巻き込まれなければ祥吾は智也や千紗の大切さに気づかず過ごしていたかもしれない。祥吾は人生において、ときには逆境の中に身を置かなければ見えないものがあるらしいと思った。人間は盲目で愚かだから、昼間の明るさの中ではそこにあるはずの月や星の輝きを見つけることができないのだ。それらは夜の暗闇に包まれてようやく姿を現わしてくれる。祥吾は星を見つけたのだ。ずっと側ににあった星を。これからも宝物として守り続けたい星を。

「友達になってくれてありがとうな、智也。…あぁ、何か、思い返せば最近こういう照れるやりとりばかりだな」祥吾が笑って言うと、智也も笑って言った。「本当だよなぁ。俺等そういう柄じゃないのにな」

二人は欲しいパンを手に入れようと殺気立つ生徒でごったがえしている購買で、祥吾はやきそばパンとメロンパンと牛乳を、智也はカレーパンとチョコデニッシュとお茶を買った。廊下を歩いていても他クラスの生徒がよそよそしい視線を送ってきたが、朝からそのような視線を向けられている二人はもう耐性が付き、気にせず堂々と歩けるようになっていた。階段を1階まで降り、廊下を廊下を横切り中庭へ出る。二人は中庭にいくつか置かれている青いベンチの中でも、大きな木の下にあるベンチに腰掛けた。木漏れ日を浴びながらお互いパンを頬張る。そうして二人はしばらくたわいもないことを話ながら食べていたが、やがて一人の女子生徒が二人の前に現れた。彼女は二人の前に立ち尽くし、両手の拳を握りしめていた。二人ともパンを食べていた手を止めて、彼女の顔をよく見れば、それが同じクラスの朝比奈菜々であると分かった。朝比奈は図書委員の女生徒で、眼鏡をかけたお下げの髪型が特徴的だ。大人しい生徒という印象を持っていたがいったい何の用だろう。祥吾がぽかんとしていると、朝比奈はギロっと祥吾をにらみつけ、突然糸が切れたように巻くし立てた。

「ねぇ返してよ! 私の財布! あなたが持っているんでしょう? あの財布の中には海外に行っちゃった親友と撮ったプリクラが入っていて、それは私の一番の宝物で、いつもお守りみたいにして持ち歩いてたの。お金はいらない。財布もいらない。プリクラだけでいいの。お願いだから返してよ!ねぇ、お願い!」

地面に座り込んですすり泣く朝比奈を目の前に、祥吾は困り果てた。自分が盗んだわけではないのに胸が締め付けられた。

「祥吾は盗みなんかしてないよ」動揺している祥吾の代わりに智也が言った。

しゃくり上げながら朝比奈が視線を上げた。

訝しげな目をした朝比奈と視線が合って、祥吾は弁解した。

「ごめんね、俺じゃ力になってあげられないよ。俺は犯人じゃないんだ」

「嘘よ」朝比奈はぴしゃりと跳ね返してまた泣いた。返してよ、と繰り返し懇願しながら顔を涙でぐしゃぐしゃにして泣いた。祥吾はハンカチを差し出したかったが持っていなかった。智也もポケットをまさぐっていたけれど持っていなかった。どう見ても二人が女の子を泣かせているようにしか捉えられない状況で、中庭を通る生徒は厳しい視線を二人に向けた。視線が集まるのを感じて祥吾は焦り、朝比奈を泣止ませようとした。「泣かないでよ、朝比奈さん」情けない声で言ってみるがまるで効果がない。隣にいる智也はといえば、朝比奈を泣止ませるのは諦めたようで、残りのカレーパンを頬張っている。そうやって祥吾だけが朝比奈をなだめるのに手を焼いていると、また女子生徒に声をかけられた。

「ねぇ、話があるんだけど、いま大丈夫?」

今度声をかけてきたのはクラス委員を務めている西だった。

西は長い黒髪をなびかせながら西は祥吾と智也に詰め寄り、二人の間にかがみ込んで二人の耳元で小声で囁いた。「私、本当の犯人、知ってるの」思いがけない西の言葉に祥吾は目をひんむいて、智也は飲んでいたお茶を吹きだした。


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