4.掲示板で広まる噂
放課後、千紗と智也と祥吾の三人は、祥吾の家で犯人について検討をつける会を開くことになった。吹奏楽の部活はないが、クラス委員の所用で遅少しれるという千紗を待ちながら、祥吾は先に智也を家に上げ、千紗に送られてきたメッセージについて話した。自分が窃盗犯だという根拠のない噂が立っている、と話しながら、祥吾は数日前に起きた盗難事件について思い出していた。祥吾は自分のクラスで起きた事件だったにも関わらず、千紗に窃盗犯というメッセージが送られてくるまで、事件のことを忘れていた。祥吾は自分が被害に遭わなかったせいでどこか他人ごとのように思っていたのだ。確か、被害に遭ったのはクラスの女子全員で、主に体操服や文房具といった私物が盗まれていたはずだ。盗難事件というと金銭目的で行われるイメージがあるが、どういうわけか財布といった金目のものよりも私物のほうが圧倒的に盗まれていて、クラスの女子生徒は気味悪がっていた。金目の被害だけであればお金欲しさにやったのだと犯人の狙いもはっきりしているが、女子生徒の私物まで盗む理由がどこにあるのか、いまひとつ腑に落ちないのがこの事件の不思議なところだった。クラス内で女子生徒に関するトラブルがあり誰かが嫌がらせをしているのか、あるいは誰かの私物が欲しくて、しかし特定の生徒のものだけ盗むと犯人の的が絞られやすくなるから他の生徒のものも一緒くたにして盗んだのか、犯人の目的はおろか、このクラスに犯人がいるのか、他クラスに犯人がいるのか、犯行目的だけでなく犯人に関する目的情報も全くないため、犯人を絞り込めていないのが現状だった。祥吾は上記の内容を頭の中で事件を回想しながら話を続けた。智也は興味深そうに聞いていた。どうやら頭をフル回転させて聞いているらしく、眉間に皺がよっていた。「そうか、ついに被害が家族以外にも拡大してしまったんだな。しかも窃盗の罪を着せられるとは質が悪い。それで? 本当に心あたりはないのか? 」
祥吾は肩を落として言った。
「ないんだよ、それが。困ったことに」
千紗にも訊かれたが、祥吾は人と衝突したり、意見を強引に通したりすることがない。よく言えば平和主義、しかし本人にとっては単にいざこざを起こすのが面倒なだけだった。もとから温和な性格ではあるのだが、何より怒ることにエネルギーを費やすことを嫌い、習字の授業で今年の抱負として「省エネ生活」と書いたことがあるほどだ。誰かと対立するのは極力避けるのが彼のモットーだった。自分から突っかかることがないのだから、祥吾が誰かに良く思われていないとすれば、逆恨みされているか、自分の知らないところで何かをしてしまったか、罪を着せるのに格好の人物としての要素があったか、あるいはそもそも理由なんてないのか、そんなところだろう。
「はぁーー、どうして俺なんだ。誰が何の目的があってこんなことをしているのか知らないけど、理由も分からず巻き込まれているのが嫌だよ。どうして他の奴じゃだめなんだ。はた迷惑極まりねぇよ。」
祥吾は天井を見上げて吐き出した。
「…しんどいよな。お前の気持ち、想像できるよ」
智也は祥吾の言葉に頷いた。しかし智也の目には強い光が宿っていた。智也は祥吾が先ほど吐き出した弱音を吹き飛ばすように言葉を続けた。
「でもお前が選ばれた理由があるに決まってるだろ。分からないからって考えることを放棄するなよ。俺もいるんだからさ、頑張って犯人みつけようぜ。それで、ちゃんと謝ってもらうんだ」
真っ直ぐに目を見て言う智也を見て、祥吾は自分はなんて恵まれた人物と交友関係を持っているのだろうと胸が熱くなった。智也も、千紗も。自分の話を疑うどころか、信じて協力してくれる。
「ありがとう。…持つべき物は友達だな」祥吾は照れを隠すように俯いて言った。智也も「おう」と返事をしながら、照れくさそうに鼻の下を軽く掻いた。ちょうどそのタイミングでインターフォンが鳴り、慌てて二人は立ち上がった。部屋を出て階段を降り、リビングにあるモニターをつけて確認する。二人で顔を寄せて小さなモニターを覗き込めば、そこには案の定予想通りの人物が映っていた。
玄関を開けるとそこには顔をこわばらせた千紗がいて、委員会を終えてすぐ、大慌てでやって来たのだとわかるほど息を切らしていた。
「大変!祥吾君、大変なことになってるの!」
千紗はただでさえ大きな目をさらに丸くして、大きな声で言った。わけが分からないまま、祥吾はそのただ事ではない様子の千紗を部屋に上げ、「とりあえず落ち着きなよ」と一杯の水を差しだした。千紗はごくごくと喉を鳴らして一気にそれを飲み干し、制服のポケットから携帯を取り出して画面を見せた。差し出された画面には学校の裏掲示板が表示されていた。
―――窃盗犯は宮内祥吾だ。
掲示板では千紗に送られてきたものと同じ内容のタイトルがスレッドとして立てられ、学校中の生徒から非難の的になっていた。コメント欄では、〝最低〟〝嘘でしょ〟〝先生に言った方がいいんじゃない?〟〝犯罪者〟など、心ないコメントがわずか数分のうちにずらりと書き込まれていた。
「どうなってるんだよ、これ」
学校での話題を広めるための交流の場としてこの裏掲示番があることは祥吾も知っていた。記憶が正しければ、裏掲示板は誰でもコメントを書き込むことはできるが、スレッドを立てる権限はサイトの運営管理者にあるはずだ。管理者の許可を得なければスレッドを立てられないと聞いたことがある。制限がかけられているのだ。
硬直する祥吾の横から智也が画面を覗き込んで言った。
「このサイトの管理者が何かしら関係がある可能性が高そうだな。そうなると問題はどうやって管理者の検討をつけるかだ。あぁ、でもその前にお前の身の潔白を証明する必要があるんだろうな」
祥吾は目を丸くして智也を見た。
「智也、どうしてお前はそんなに冷静でいられるんだ。ある意味怖いよ」
祥吾は掲示番を見ながら冷静に分析をする智也に言った。不測の事態にも動揺せず、置かれている状況からすべきことを坦々と述べる智也に対し、祥吾は友人ながら畏怖の念を感じていた。
「あくまで俺は当事者ではないからな。お前よりは一歩引いた視点から観察できるんだよ。それだけの違いさ。まぁ、でも、実をいうと、少し前からこういうことが起こるんじゃないかという気はしてたんだ。お前には悪いけど、ちょっと探偵気分になってきて面白い。絶対に犯人捕まえようぜ」
こういう奴だった、と祥吾は唾を飲み込んだ。智也が友情から祥吾に手を貸してくれていることに間違いはないのだが、智也には人の不幸であれなんであれ、知的な欲求を満たすものが好きな節があった。愛読書はシャーロックホームズで、いつも何かしらミステリー小説を鞄の中に入れて持ち歩いている。智也は数学のように緻密でカチリとした世界や、パズルのピースを一つ一つ当てはめて全体像を暴いていくみたいな、頭を使って物事を解決に導く行為そのものを愛していた。そんな智也の前に友人がとっておきの謎を提示しているのだ。彼の目が爛々としているのも無理はないだろう。智也が事件解決のために息巻いている横で、いくらか呼吸の落ち着いた千紗が不安そうに口を挟んだ。「それなんだよね。私が心配してるのは。祥吾君がやってないって、ちゃんと証明できるかな? 」
「さっきの掲示板、もっとよく見せてくれる? 」祥吾が千紗に尋ねた。
千紗は頷き、画面を見せた。
「こんな風にも書かれてるんだけど…。」
千紗がスレッドにあった文面を読み上げた。「宮本祥吾が窃盗犯である証拠:当日日直だったのは宮内祥吾で、鍵を入手する口実を持っており、盗難被害があった時刻に違和感なく教室に出入りできたのは彼だけだ」
「な、」祥吾は面食らって言葉が出なかった。
「これで一つはっきりした」智也が祥吾の肩を叩いた。
「真犯人はやっぱりクラスメイトの中にいる。あの日祥吾が日直だったことなんて同じクラスの生徒しか知らない。」
言われてみれば、と祥吾は智也の言葉に納得したが、しかしだからといって犯人の目星はつかなかった。
「一体誰が何の目的でこんなことをしているんだろう? 初めから窃盗犯の罪を着せることだけが目的なら、わざわざ祥吾君のお母さんや私にメッセージを送りつける必要なんてある? 初めからスレッドを立てれば済む話じゃない? 」
千紗が口を挟んだ。
「そうだよな。俺もそこがずっとひっかかっているんだ。誤送信の目的が分からない」
智也はそう言うと顎に手を当てて考えこんだ。
「真犯人を見つけ出して直接本人の口から聞き出すしかないかもしれないな。」
「でも、犯人を捕まえたいけど、これといって手がかりがないのが現状でしょう? 」
千紗が言った。
「祥吾の身辺で祥吾と関わりのあるクラスメイトをリストアップしてみよう。」
智也が提案し、千紗も見守る中、祥吾はクラスのライングループを見ながら紙にペンを走らせた。ところが紙の上に書かれた名前はたったの四名で、しかもそのうち一人は智也だった。挙げられた名前の少なさに驚いた顔をして千紗が言う。
「祥吾君、クラスメイトで関わりがあると思う人たったのこれだけしかいないの? 」
祥吾は頷いた。
「うん。俺、どういうわけか周りからは優等生で交友関係が広いと思われているみたいだけど、全然そんなことないんだ。本当に仲が良いのはサッカー部のやつらだけ。他の奴とは挨拶はしても深い会話はしたことないよ。友達、と呼ぶには浅いって感じかな。」
「そうなんだ、なんか意外。」千紗が関心したように相づちを打った。
「そういや祥吾はそうだよな。明るく誰とでも仲良くするタイプに見えて、以外と暗い部分があるというか。人と距離を取るところがあるよな」まるで俺はわかっていると言わんばかりに深く頷きながらしゃべる智也を祥吾は肘で小突いた。
「お前だって同じくせに。」
智也は肩を揺らして笑った。
「まあな、でもほら、俺は見た目からしてそういうオーラ出てるからわかりやすいだろ? でも祥吾はそんなことないから、見た目と中身のギャップがあるって驚かれんだよ。」
「そうかなぁ? そんなことないと思うけど。私には智也君だって頭が良いけど気取ってない、社交的な人に見えるよ」
二人のやり取りを聞いていた千紗が智也に言った。
思いがけない千紗の言葉に智也は真っ赤になった。
「照れてやんの」祥吾が笑うと、うるせえと力なく智也は反論した。
千紗も笑っていたが、またスマホの画面に視線を戻し、「本題にもどろう」と言った。「この四人、といっても智也君は除外するとして、三人の中に犯人がいるってことかな? 」
「うーん、いや、どうなんだろう。とりあえず、俺以外の三人は同じサッカー部で、祥吾の行動パターンは知ってるわけだから、部活があるのにないと祥吾のお母さんに嘘の連絡をしたり、そういうことができる人物ではあると思うんだ。」智也は相変わらず冷静に答えた。
しかしそんな智也とは異なり、祥吾は冷静でいられなかった。
「お前なぁ、たとえそうだったとしても、俺は仲間を疑うなんてしたくないよ。この三人は部活でも信頼しあって一緒に努力してきた大切な仲間なんだ。俺に濡れ衣を着せるどころか、人の物を盗むような奴らじゃない。」
祥吾が吐き出した言葉に、智也は分かるよ、と返した。
「俺だってそう思う。あくまで可能性として名前を挙げてもらっただけだ。逆にこの三人が犯人じゃないとすると、クラスメイトはあと女子も含めて三十一人いるわけから、容疑者は三十一人の中の誰かってことになるな。」
「全然絞ることができないな。」祥吾は落胆した。
「仕方ないよ。落込まないで。私は犯人を見つけるより祥吾君の濡れ衣が晴れればそれでいい。私、いざとなれば盗みがあったとき祥吾君と一緒にいたって証人になるよ。」千紗が祥吾に優しく声をかけた。
「ありがとう。助かるよ。」祥吾は千紗を見つめて言った。
それ以降も三人は話し合いを続けたが、同じ話を繰り返すだけで、これといった解決策を見つけ出すことができなかった。あっという間に日が暮れて、祥吾は千紗を家まで送り届けると自分の家に帰ってきた。千紗を送り届ける途中、駅に寄って電車で帰る智也を見送った。三人で歩いていたけれど、おのおの考えごとに耽っていて、あまり会話は生まれなかった。それでも別れ際、智也は「明日さ、周りの奴らの反応怖いかもしれないけど、もし何かあっても俺はお前の味方だから、心配せず学校来いよ」と祥吾に声をかけた。小さく控えめな声で、けれど懸命に紡がれた言葉は、祥吾の心を締め付けていた鎖ゆるめてくれた。「おう、サンキューな。」祥吾はほっとした笑みを浮かべて、智也に礼を言って別れた。千紗は隣で微笑んで、「良い友達だね」と耳打ちした。千紗の家は祥吾の家からそれほど遠くない。駅のすぐ側にある。駅のある大通りを脇に抜けると、病院やスーパーやコンビニが周囲にある開けた土地にある住宅街に繋がっていて、一軒家が連なる路地に千紗の家も建てられている。自転車通学の彼女は自転車を押して歩き、智也を見送って三分ほどで彼女に家に到着した。家に着くと祥吾は「じゃあ、今日はありがとう。また明日」と言って千紗に背を向けようとした。すると玄関で立ち尽くしていた千紗が「祥吾君!」と祥吾のことを呼び止めた。祥吾は振り返る。「私も、何があっても祥吾君の味方だから!」千紗は力を込めてそう言った。彼女の強い口調を聞いたのは初めてのことだったので祥吾は驚いたが、珍しい分千紗の気持ちが伝わってきて胸がじんわりと熱くなった。気づけば千紗に歩寄っていた。「…抱きしめてもいい?」おまけにそんなことまで口走っている。何を言っているんだろう、彼女の家の前で、人目だってあるのに。頭の隅の方で理性的な自分が声を上げていた。冷静になれば恥ずかしくなって、祥吾は「ごめん、冗談」と口もとを手で隠した。
「…いいよ。」千紗は上目がちに祥吾を見つめて言った。
「え? 」
「私のこと、抱きしめて良いよ」
祥吾はまさかの千紗の返答に目を丸くして、しかしものを考えるより先に腕が動いていた。力強く千紗を抱き寄せた。
「ありがとう。」言いながら彼女の後頭部を優しく撫でた。
千紗は安心したように体を祥吾に預けている。
祥吾はすっと体を離すと千紗の頬に手を当て、「大好きだよ、また明日。」と言った。顔は必死で冷静を保っていたけれど耳は耳たぶの先まで真っ赤だった。くすっと千紗は笑って、「私も。また明日。」と言った。
今度こそ、と手を振って別れを告げれば、眼前に広がるのは寒くなり始めた秋の夕暮れだった。肌寒い風邪を感じながら、祥吾は思いを馳せた。明日、学校でどのような事態が祥吾を待ち受けているかは分からない。しかし智也と千紗が自分の側にはいてくれる。ひとりじゃないと励ましてくれる存在を持っていることが、こんなにも心を強くしてくれるとは知らなかった。空を染めるオレンジ色の光に包まれながら、そのオレンジ色に似た温かい気持ちを抱き、祥吾は家路を辿った。
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