3.忍び寄る陰は伸びていく

祥吾のメッセージが誤送信される怪奇現象はそれ以降も収まる気配がなく、むしろ拡大していく一方だった。始めは母親と祥吾間でのみ生じていた誤送信が、ついに他の相手との間にも生じるようになったのだ。そしてついに、祥吾が頭の片隅で危惧していた事態が現実に起きた。メッセージのイタズラ事件について知らない、母親以外の相手に被害が出てしまったのだ。メッセージ被害を受けたのは祥吾の恋人である千紗だった。千紗と祥吾が付き合い始めたのは半年ほど前だったが、お互い固い信頼関係で結ばれていた。少なくとも祥吾はそう思っていた。しかし、最近祥吾は部活の大会が近いため練習で忙しく、同じく吹奏楽部の大会が近い千紗と下校時刻が合わなかったため会話をする機会が減っていた。いつも近況報告は一緒に帰るときに話していたこともあり、祥吾はメッセージの件について千紗に話すタイミングがないままでいた。一緒にいる時間が減っていたことに加えて、誤送信の解決案を考えるのに一生懸命だった祥吾の脳内において、どうしても千紗の存在は陰を潜めざるを得なかった。あろうことか祥吾は、今日にいたるまでメッセージの誤送信の件について千紗に話していないことさえ忘れてしまっていたのだ。

お昼休憩。教室で祥吾と智也が他にも数名の同じサッカー部員のクラスメイトとお弁当を食べていると、深刻な顔をした千紗がやって来た。クラスが隣の千紗は、祥吾と付き合っていることを公にしてはいるが、冷やかされるのを嫌っているため、めったに祥吾のクラスに顔を出さない。それなのに今日は、とても暗い面持ちで、祥吾のことを呼び出した。その明らかに普通じゃない千紗の雰囲気に、祥吾は胸騒ぎを覚えつつ席を立った。

「わりぃ、ちょっと行ってくる」

祥吾は一緒にお弁当を囲んでいた仲間に声をかけた。

「おう」返事をした智也は心配そうな面持ちで祥吾を見送った。

祥吾は内心どうしたんだろうとドキドキしていたが、できるだけ普段通りの態度を取るように努めた。

「千紗、どうした? 何かあった?」

千紗は小声で答えた。

「ごめんね、急に教室に来て。…今ちょっと話せる?」

問いかけておきながら、千紗は祥吾と目を合わせようとしない。

祥吾は違和感を確信し、これから切り出される話題について思考をめぐらせた。

「うん、大丈夫だよ。」

表情が見たくて顔を覗き込むけれど、千紗はストレートのボブの横髪で壁を作ってしまう。

「場所、変えて良い? あんまり人のいないところがいい」

千紗は祥吾のクラスメイト達の視線を気にして言った。

「分かった。屋上の方の階段行こう」

祥吾の言葉に千紗は頷き、くるりと背を向けるとスタスタと歩き出した。

祥吾も後を追いかける。

早足で歩きながら、階段に着くまで二人は無言だった。



―――――…………



『宮内祥吾は窃盗犯だ』


人気のない屋上に続く階段の前で、千紗はおもむろにスカートのポケットからスマホを取り出し、画面を開いて祥吾に見せた。そこに書かれていた文字を見て、祥吾は絶句した。

「昨日、急に知らない人のラインアイコンが友達に追加されて、このメッセージが送られてきたの。」千紗は画面を閉じると真っ直ぐに祥吾の目を貫いた。その強い意志の込められた眼差しから、祥吾は何をどう弁解しても自分の無実を彼女は信じてくれないのではないかと思った。彼女は別れ話をするために自分を呼び出したんだ。そのせいで暗い顔をしていたのかと思えば、胸がぎゅっと締め付けられた。しかし千紗が口にしたのは祥吾が思い浮かべていた言葉とは異なるものだった。

「だけど私知っているの。あの盗難事件の犯人が祥吾君じゃないってこと。だってあの日、盗難事件があった時刻、祥吾君は私と一緒にいたもの。私自身が証人なのよ。祥吾君は盗みなんかしていない。ねぇ、いったい何が起こっているの? 」

祥吾は心配そうに千紗に顔を覗き込まれ、別れ話を持ち出されなかったことにひとまず胸をなで下ろし、祥吾は千紗に話せていなかった近頃身に起こった奇妙な誤送信の件について、一気に余すことなく全て話した。千紗は神妙な面持ちで、祥吾の話しを真剣に聞いていた。

 「そんなことになっていたのね…。私、思うんだけど、祥吾君のことを良く思っていない誰かが、あるいは本物の窃盗犯が祥吾君を窃盗犯に仕立て上げようとしてるんじゃないかしら。誰か思い当たる人はいないの? 」

祥吾は思いつく限りの顔を頭に並べてみたが、自分に恨みをもっていそうな人物など一人もいなかった。

「いないな」

「一人も?」

祥吾は頷く。

「そう。そうなると犯人捜しは大変ね。」

また頷いた祥吾の胸に一つ疑問が湧いてきた。

「でも恨みを持っているからって、俺の携帯の端末まで乗っ取れるものなのかな? どういう仕組かは分からないどハッキングしているわけだろう? 相当機械に強くないと無理じゃないか? 」

それもそうね、と千紗は頷いた。

「機械に詳しくなきゃハッキングなんてできないでしょうね。それに、本当の窃盗犯が犯人なら、窃盗事件について情報を集めるのも役に立つかもしれないわ。窃盗犯が誤送信の犯人と同一人物である可能性が高そうだもの」

「そうだね、その通りだ」

祥吾は千紗のおかげで新たな解決の糸口となる視点を発見した。盗難事件か、と心の中で小さく呟いた。まさかそんなところと誤送信の件が関係しているだなんて思いもしなかった。

「私にも協力できることがあったら何でも言って。私にできることならなんでもするから」

「ありがとう」

祥吾は千紗にお礼を言って微笑んだ。

千紗も微笑み返すと、しかしすぐにまた顔を曇らせ、不穏な台詞を口にした。

「でも、なんだかこれからもっと良くないことが起こりそうな気がするの」

「誤送信を操っている犯人が、送信相手を私みたいに自由に選べるのだとしたら、あるいは、学校の掲示板とか、不特定多数の人が情報を得られるサイトに書き込める人物だとしたら。誤った情報が蔓延して、祥吾君のことをよく知らない人たちはその情報を鵜呑みにして信じてしまうんじゃないかな。それってすごく怖いし、すごく心配よ」

千紗は眉根を寄せて言った。祥吾は自分の知らないところで好き勝手されていることに苛立ちと恐怖の両方の感情を抱いていたが、それ以上に千紗の様子がおかしかったのは怒っているからでも落込んでいるからでもなく、自分の身を案じてくれているからなのだという事実に優しい気持ちで胸が一杯になっていた。

「千紗、本当にありがとう。いろいろ話すのが遅れてごめんな。心配もかけてごめん。でも大丈夫だよ。俺には疑われてもこうして信じてくれる人がいる。それだけですごく救われるんだ」

祥吾は千紗の目を真っ直ぐに見て言った。千紗は力強く頷いた。「気をつけてね。誰が犯人でもおかしくないってこと忘れないで」そのやりとりを最後に、祥吾は千紗を隣のクラスまで見送り自分の教室に戻った。

教室では智也が不安そうな目で祥吾を見つめていた。智也は祥吾が席に着くと小声で訊いてきた。

「どうだった? 大丈夫だったか? 」

「あぁ、大丈夫だよ。いや、どうなんだろう。やっぱり誤送信の件だった。千紗のところにも妙なメッセージが送信されていたんだ。」

「えっ、それ、大丈夫なのか? 大丈夫じゃなさそうな気がするんだが。彼女はなんて? 」

「詳しいことは後で話すよ。」祥吾は周囲の視線を気にして言葉を濁した。興奮気味だった智也は思い直したように頷き、「わかった。」と引き下がった。

「今日の帰り俺の家寄れるか? 課題をやりながら話そう。」祥吾が提案すると智也は頷き、「彼女も呼ぶか? 」と訊いた。「どうして千紗を呼ぶんだよ? 」祥吾が尋ねると、「今のところ誤送信のことを知ってるのは俺とお前と、彼女と、おばさんだろう? 情報は知ってる人間同士で共有しておいた方が良くないか? 」確かにそうかも知れない、と祥吾は考えた。「後で千紗も誘ってみるよ」祥吾はそう返事をし、しかしとりあえず今は、二人はお弁当を食べることに意識を集中した。

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