2.信頼を築くは難く失うは易し
その日を皮切りに、母との連絡の食い違いがは何度か繰り返された。いろいろな食い違いがあったが、共通しているのは、いずれも祥吾の打った覚えのないメッセージが母に送られており、自分の端末にもその履歴が残っているということだった。状況から判断するに、祥吾か母のスマホが壊れていて一方にだけメッセージが表示されてしまうとか、他人のメッセージが誤って転送されているとか、そういうわけではないようだった。どうみても祥吾が母にラインを送っているのだが、当の本人である祥吾にはどの文面も送った覚えがなく混乱した。誤送信の中には、始めにあった部活帰りにご飯がいるかいらないかというような些細なものもあれば、部活中に怪我をしたので今から迎えにきて欲しいという、質の悪いものまであった。その〝怪我をしたから迎えにきて欲しい〟というメッセージが誤送信された日、メッセージのせいで祥吾は母とケンカして、その後3日間お互いまともに口を聞かなかった。とはいえ祥吾にも母の怒りは良く理解できた。祥吾が怪我をしたと聞いた母はわざわざスーパーのレジのパートを早退して祥吾を迎えに行った。息子が怪我をしたと連絡が来たのだ。慌てて仕事を抜けて迎えに行くのは大変だがあたり前の行動だろう。それなのに学校に着いてみれば、グラウンドの整備があるためサッカー部の練習は中止されており、学校に祥吾の姿はなかった。部活の練習が中止されていることを知らなう母はすぐに祥吾に連絡を取ろうとした。ラインでメッセージを送ろうとしたが、ラインでメッセージを取ることに不信感を抱いていた母はためらって、祥吾の携帯番号に電話をかけ安否を確かめた。すると祥吾は友人の智也の家で課題をしているところだった。
「母さん? どうしたんだよ、そんな息切らして。何かあったの?」
祥吾はすっとぼけた声で電話に出た。
「何かあったって祥吾、今どこにいるの! 怪我は? 大丈夫なの!?」
「は? 怪我? …怪我なんかしてないけど、……いま智也の家で課題やってる。今日は部活なくなったから、その分、智也と課題やって潰そうと思って…。どうせいつも帰るの遅い金曜だろ?連絡しなくても平気かと思ったんだけど、…どうしたんだよ?」
「どうしたも何も、祥吾が連絡してきたんでしょう?」
「え、俺、連絡なんかした?」
祥吾の抜けた声が母の苛立ちを助長させた。
「はあ?もう!!ふざけんじゃないわよっ!!」
母に怒鳴られ祥吾はひるんだ。
「っうるさいなぁ。…そんな連絡した覚えないぜ? なんだよ怪我って。どういうことだよ?」
「ライン見てみなさいよ! あんた最近ひどいよ! 悪ふざけも大概にしなさいっ! お母さん、どれだけ心配したか……。今日なんか仕事だって途中で抜けてきたんだから! 反省しなさい!!」
ブチッと祥吾が言い訳をする前に一方的に母に通話を切られてしまった。
なんだよ、とひとり呟きながら、祥吾は言われたとおりラインの画面を開いた。
そして自分のログを見て硬直した。
「…、なんだよ、これ。…嘘だろ。俺、こんなの、送った覚えない……」
祥吾は背筋に冷たいものを感じた。
異変に気づき課題をやっていた手を止めた智也が「どうした?」と心配して訊いてくる。祥吾はスマホの画面を見せながら大まかな成り行きを説明した。
母と自分との間で最近誤送信のやりとりが多いこと。自分には送った覚えのない文面が母に送られていること。今日は怪我をしたから迎えにきて欲しいとメッセージを送っていて、パートを早退して母が迎えにきてくれたのに、自分がいなくて混乱を招き怒らせてしまったこと。
智也は眉間に皺をよせ、神妙な面持ちで相づちを打っていた。
「奇妙なことがあるもんだな。お前、本当に送った覚えねぇの?」
「ねぇよ! ねぇから困ってんだろ。勘弁してくれよ」
祥吾は頭を掻きむしった。
「…にしても今回の件は悪意があるな。わざとでもわざとじゃなくても、母さんに迷惑かかってるわけだから、悪ふざけじゃ済まねぇよな」
「本当だよ、助けてくれよ」
祥吾は情けない声ですがった。
智也は眉尻を下げて言った。
「助けてくれって言われてもなぁ…、俺機械強くねぇしなぁ。弱ったな」
「そんなこと言うなよ!智也はクラスで主席の秀才じゃんか。知恵をかしてくれよ」
おだてられて智也はまんざらでもないようだった。
「しゃあーねぇな。ちょっと見せてみ。……うーん、と。メッセージの送信時間はいつになってんだ? 」
さすがは智也。祥吾がこれまで確認していなかった部分に目を留めた。確かめてみると祥吾が送信したことになっているメッセージの横には小さな数字で送信時刻のログが残っていた。午後四時十五分。
「おかしいな。この時刻、俺らは授業が終わって二人で電車に乗ってたはずだ。今の時刻が四時五十八分。もうすぐ五時になるところか」
智也は時計に目をやると、課題をやっていたノートをめくり、真っ白なページを1枚ビリっと破いた。
「もう少しきちんと俺らの行動とメッセージの送信時刻、それから祥吾のお母さんの行動時刻を照らし合わせて整理してみよう」
祥吾は頷き、智也の横から白紙の紙を覗き込んだ。
「いいか、まず俺たちの行動についてだ。えーと、六限の授業が終わったのが午後三時二十分。それからホームルームがあって、教室でダベってから帰ったから、教室を出たのがだいたい三時四十分くらいか?」
「ああ、そうだと思う」
「それで、学校から駅までがだいたい歩いて十五分、つまり駅に着いたのが三時五十五分。まぁ、四時頃だな。それから電車で俺の家まで三十分。最寄り駅に着いたのが四時半か。俺の家は駅からすぐそこで、徒歩三分とかからない。で、家に着いて手を洗ったり、なんやかやして課題をやり始めた。そして課題をやり始めてそう時間が経っていない二十分くらい経過したあたりでお前の母さんから電話がかかってきた。時系列順にまとめるとざっとこんな感じか」
「間違いない」
祥吾はスマホを握りしめて頷いた。
「次はお前の母さんについてだ。これはそもそもの話だけど、おばさんはどうしてパートの仕事をしている途中にお前のラインのメッセージに気がついたんだろう? 普通仕事中はスマホを見ないものじゃないか? 」
確かに、言われてみれば智也の言う通りだった。
分からない、と祥吾は首をひねり、「直接聞いてみろよ」と智也に言われ、言われるがまま祥吾は母に電話をかけて詳細を確かめた。まだ苛立った様子で電話に出た母の話によると、パートの勤務時間の都合上、いつも四時から三十分間休憩時間があるらしい。その時間にスマホの画面を開いたら祥吾からメッセージが届いていて、何の気なしに見たら内容に驚き、慌てて店長に謝って早退きしてきたそうだ。おかげで明日は休みの筈が忙しい時間に割り当てられて返上して働かなくてはならなくなったと、母からため息交じりに嫌みを言われた。
「なるほどな、それで目セージに気づけたわけか。仕事の休憩時間にスマホを見ていたら、四時十五分にお前からメッセージが送られてきて、それを見て慌てて出てきたと。学校に着くのは何時くらいだったんだろう?」
「うーん、信号とか混み具合にもよるだろうけど、三十分はかかるだろうな。四十五分くらいに着いたんじゃないか? 車で行けばそれくらいだと思う」
「うん、だいたい辻褄は合ってるな。時刻に変なところはない。」
智也はペンをクルクルと回して言った。
「そしてお前は電車の中でずっと俺としゃべっていた。俺が記憶している限り、お前は話に集中していてスマホを触っていなかった。」
「だろだろ!! そうなんだよ! 俺はメッセージを送っていないんだよ! 」
自分を信じてもらえたことで祥吾は興奮して智也の肩を揺すった。
「…だから奇妙なんだよなぁ。お前が送ってないなら誰が一体どうやっておばさんにメッセージを送ったんだ?」
智也は一人呟くと、顎に手をあてて考えこんだ。そしてそのまましばらく黙り込んでしまった。意識を集中させている智也の横で祥吾はうなだれた。
「まったく何がどうなってんだかわかんねぇ」
「ほんとだよなぁ。特に被害者を受けてるのが母親だけっていうのが分かんねぇ。犯人の目的がまるで見えてこない。お前と母親を仲違いさせたいのだとして、そんなことをして一体なんの得になるっていうんだ?」
そこで一度言葉を切り、智也は考えこむように天井を見上げた。
「今後、被害が拡大していくか行かないかで展開が変わってきそうだ。そうなれば犯人の意図も見えてきそうな気もするが、今はどうすることもできないだろうな。」
言われて祥吾がため息を吐く。
その様子を橫目に見て、智也は祥吾を励ました。
「まぁ、でもこのまま事件は収まるかもしれないぜ?その可能性だってゼロじゃない。」
「…そうかなぁ。だといいんだけど。」
祥吾はきっとそんな都合良く事態が収束することはないだろうなと思いながら返事をした。
「とりあえず、そうなることを祈ろうぜ。マイナスなことばっか考えてるのもしんどいし」
智也なりに落込んでいる祥吾を気遣ったつもりだった。
肘で小突いて言葉を付け足す。
「これからもし何かあったら俺にも教えろよ。俺にも手伝えることあるかもしれないしさ。」
祥吾は頷いた。
「ああ、そうするよ。ありがとな」
その後も祥吾と智也は課題などそっちのけで、何か思いつくたび、ひらめいた可能性について話し合ってはみたものの、やはりこれといって進展は得られなかった。結局二人は諦めて、課題を殆ど残したままその日は解散した。
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