疾風の田中

佐藤山猫

疾風の田中

 俺こと田中翔太は浮かれていた。


 修学旅行で訪れた東京。

 何を隠そう俺のホームグラウンドだ。


「田中くんって東京出身なんよな? 色々案内してな〜」

「ま、任せといてよ伊藤さん!」


 そう、俺は半年前まで東京で暮らしていたのだ。親の仕事の都合で京都に引っ越して、そこの学校の修学旅行先が東京と知った俺の心境を察して欲しい。

 とはいえ、知った顔で案内役ができるというメリットも確かに存在する。

 雷門にスカイツリー。まさか電車を乗り継いで一時間はかかる地域に暮らしており、ロクに訪れたことが無いなんてことは正直には言えない。

 俺はここでスマートに伊藤晴香さんをエスコートし、そしてあわよくば告白して交際に発展させると決めていた。

 幸運にも同じ班になれたのだ。


 俺は気合充分だ。鼻息が荒くなりそうになって、内心の気合が表面に出ないよう自制心を呼び起こした。

 

「スカイツリー、高いな〜」


 吹き抜けの床を見下ろして伊藤さんはのんびりと言った。

 彼女の口調は関西弁でありながらどこか間延びしており、はんなりという形容詞は彼女の為にあったのだと思わせられる。和服が似合いそうだ。


「伊藤さんは高いところ平気な人?」

「うん。田中くんは?」

「俺はちょっと苦手かな」


 和やかだ。


 班員も思い思いに散って展望室を散策している。上手い具合に俺は伊藤さんとふたりきりで展望室を散策することができた。


 しかし、楽しい時間はあっという間だというありふれた格言の通り、飽きた連中が自然に集まり始め、ひとつの塊になる。

 こうなると俺はランデブーを継続できない。


「よし、次は雷門見に行くで」


 班長の辻の先導のもと、俺たちは長いエレベーターに宇宙飛行士を擬似体験しに乗り込んだ。


「ここが雷門か」

「でっかいな」


 そこらにいた観光客に写真を撮ってもらうようお願いした後、俺たちは寺の敷地内に足を踏み入れた。


 ここでも何故か、俺は伊藤さんとふたりになれた。


 何かを話さないと。

 しかし、緊張で何を話せば良いか分からない。

 し、しりとりとかどうだろうか。りんご、ゴリラ、ラジオ……。


 脳内会議で泡を食っている俺を尻目に、伊藤さんは楽しそうだ。


 俺はなんとなく安心し──。


「──田中くん?」

「……!!! な、何? 伊藤さん!?」


 話しかけられていたらしい。

 伊藤さんの艶めいた黒い前髪と、その庇の下から覗く大きな目に俺はドギマギした。直視しないでくれ、俺の心臓が保たない。


「なぁ、前から気になっててんけど、田中くんって──」

「な、お前は田中!? 『疾風の田中』じゃないか!?」


 伊藤さんの鈴の音の声が男の大きな濁声だみごえに上塗りされた。

 聞き覚えのあるその声に俺は恐る恐る振り向いた。


「やはりそうか! 『疾風の田中』! 帰ってきていたんだな!?」


 俺をその名前で呼ぶな。その名前はもう捨てたんだ。


 俺の黒歴史を掘り起こしたそいつは俺にズンズン近付くと抱き着こうと両腕を広げた。もちろん拒む。

 上背があり服の上からも分かる発達した胸筋に俺は引き攣った表情を浮かべた。

 ここでの反応が、俺とこいつが知り合いだということを印象付けるものになってしまっていて、俺は初動を誤ったことを数秒遅れで気付かされた。まだ間に合うか……?


「ど、どちら様で?」

「何ッ! 田中! 俺のことを忘れたというのか!?」

「いえ、あの……」


 もちろん覚えている。

 その名を心で呟く前に、奴は名乗った。


「俺だよ俺! 『炎獄の高橋』だ! 半年ぶりか!? 最近噂を聞かないから心配していたんだよ!」

 

 『炎獄の高橋』。本名を高橋和樹。知り合いだ。名前順になった時前後だからという理由で知り合いになった。

 しかし『炎獄の高橋』なんて恥ずかしい名前を、よくこんな観光地のど真ん中で大声で口にできるものだ。そして俺を『疾風の田中』と呼ぶのもやめてほしい。


 何を思ったか高橋はスマホを取り出すと、何処かに電話をかけ始めた。


 俺の袖を伊藤さんが引いた。再び振り向く。思っていたより近くに伊藤さんの小柄な身体があった。高橋からは死角で見えないくらいの位置。


「田中くん、知り合い?」

「……いや全然」


 返事が遅れてしまったのは精進が足りない。伊藤さんはそれを見逃さなかった。


「知り合いなんや。ふーん」


 伊藤さんは目を伏せてしまった。表情が読み取れない。

 このままでは俺のイメージが「変な奴と知り合いの変な奴」になってしまう。それだけは嫌だ!


「あ、あの……誤解が……」

「なんだよ田中ァ、久しぶりの再会なんだからもっと喜んでもいいじゃねェかよ」


 電話を終えた高橋に割り込まれ、俺の言い訳は虚空に消えた。渋々振り向いて高橋と対面する。

 それにしても高橋、人の話を遮るのが趣味なのか?


「お前に会いたいって言ってたからよ、『氷結の中村』と『迅雷の鈴木』にも連絡したんだわ。ふたりとも急いで来るってな」


 またしても珍妙な二つ名が飛び出して俺の羞恥心は限界突破しかけていた。


「氷結? 迅雷?」


 伊藤さんが俺の後ろで呟くのが怖い。


「ああ、俺たちは人呼んで『東京都の四天王』だッ!」


 誰がそんな恥ずかしい名前を付けたんだ。かつての俺たちか。よくそんな恥ずかしい名称を臆面もなく……。これは新手の拷問だろうか。穴があったら入りたい。


「しかしどうして最近は大会にも出てなかったんだ?」


 そういえば引っ越すとは一切伝えていなかった。連絡先も知らない間柄なのだから無問題だと思っていたが。


 ああ、誰か教えて欲しい。会いたくない知り合いに遭遇して他人のフリをする方法を。

 俺には分からない。

 分からないから口を閉じるしかない。


「『疾風の田中』がいないから都大会も盛り上がらないって『会長の山根』もぼやいていたぞ? 俺たちもそうだ。『氷結』も『迅雷』も、ライバルが減ってやる気が湧かないって言ってる」


 人の名前を二つ名の方で呼ぶな。『氷結』『迅雷』ではなくそれぞれ『中村』『鈴木』で良いだろうが。


 俺は無言で高橋を睨みつけてしまった。目が合う。その目が「何か言ったらどうだ」と言っていた。冗談じゃない。


 沈黙を守る俺に、高橋は何を思ったのか、ニヤリと笑った。


「そうかそうか。つまりお前はそういう奴だったんだな」


 どこかで聞いたことのある台詞だ。


 そして高橋は、てのひらの上にいつのまにか浮かべていた火の玉を俺に向けて投げてきた。公園でキャッチボールでもするような無造作なフォームで。


 何考えているんだ。周りには建物もえるものもあるんだぞ!?


 俺は咄嗟に両腕を突き出した。

 両の掌から暴風が竜巻のように吹き出し、火の玉を包み込む。

 ただ押し返すだけではダメだ。高橋はともかく、その後ろにいる観光客の皆様──外国人らしき綺麗な金髪の後頭部が見えた──などには当ててはいけない。

 包み込み発生した乱気流の中で、元々火力は低かったのだろう、火は消し止められた。


「……ほほう。さすがは『疾風』の二つ名を与えられた男だ。腕は衰えていないようだな」

「何を考えているんだ! あと名前は正確に!」


 事ここに至っては伊藤さんにも言い訳できない。

 俺は諦めてようやく高橋に返事を返した。


「なァに、ほんの挨拶代わりだ。『疾風の田中』よ」

「何? 挨拶代わりだと? こんな可燃物だらけの場所で? 冗談では済まされないぞ!? あと『疾風の田中』はやめろ!」

「はッ。これも『疾風』の実力を図るためだ」


 とうとう俺のことも名前ではなく二つ名で呼び始めた。確かに『疾風の田中』呼びでは無いが、余計にいたたまれない。やめてくれ。


「民間人の被害を考えたのか!? あと普通に『田中』呼びにしてくれ! 頼むからっ!」


 高橋は得意げに笑みを浮かべた。


「その辺りはリサが完璧に対応してくれている」


 リサ?

 言葉に反応したのか、高橋の後方にいた金髪の美人が振り返って高橋に並ぶ。俺より僅かに背が高い。ガタイの良い高橋よりは小さいが、高橋は180センチ以上あるのでこれを越すのは困難だ。


「ハーイ! あら、キミが『疾風の田中』くんね。あたしは遠藤リサ! 人呼んで『桎梏のリサ』。カズキから聞いているよ! キミ、去年の『陰陽異能集会・中高生部門』で都大会のセミファイナリストなんでしょう? 今年は出てないみたいだけど、カズキに負けるのが怖くてビビっちゃった? うふふ」


 中々挑発的な挨拶をかましてくれたこいつは遠藤というらしい。

 『陰陽異能集会・中高生部門』は各地の異能力を持つ中高生が秘密裏に集まって交流したり互いに研鑽を積んだりする年に一度の大会だ。まあ、普通に空手や柔道の大会を想像して貰えば良い。始まりは明治維新がきっかけだったとか、徳川家が江戸に幕府を開いた頃だとか、色々聞かされているが、実際はもっと遡れるらしい。東京都代表は毎年実力者揃いなのだ。


「リサは結界を張れるんだ。それで『桎梏のリサ』って言う名乗り。言葉のリズム感重視でな、『桎梏の遠藤』じゃないところがイカすだろう?」

「イカれてはいるな」

「リサが張ってくれた結界のおかげでもし火の玉の処理に『疾風の田中』が失敗しても甚大な被害は出ないって寸法さ」


 俺のコメントなんて求めてはいなかったようだ。

 話が通じるか怪しさが醸し出されるが、俺は乗りかかった船と諦めて会話の素振りで噛み付いた。


「だから『疾風の』を付けるな! そして高橋っ! なんでそんな都合の良い奴と一緒にいるんだよ!?」


 途端に、高橋は目を伏せ、少し恥ずかしそうな気配を漂わせ始めた。野郎のそんな姿を見ても喜ばねぇ。まして成人していますと言っても信じてもらえるだろう体格の中学生男子ともなれば尚更だ。


「じ、実はデート中だったんだ」

「は? デートっ?」


 俺は素っ頓狂な声をあげてしまった。


「そうなんだ。リサとは付き合って三ヶ月になるんだ」

「全国大会の練習会場で出会ってすぐにアプローチされたの。すぐに付き合うことにしたわ。カズキは情熱的で身体も鍛えていてあそこの具合も良くて申し分無いしっ♡。 キミみたいなショートボーイは子どもっぽくて恋愛対象に出来ないけど、カズキは最高の男よねっ!」


 ナチュラルに罵倒された気がする。

 そして中学生男子にはかなり刺激的な話を聞かされた気もする。

 俺は自分の頬が紅潮していることを自覚した。


「よ、よくそんな恥ずかしいことを臆面もなく……」


 正直俺も高橋もリア充にはなれないと思っていたから、その意味でも驚愕は一入ひとしおだった。

 伊藤さんの前だから僻み等々態度に出さないよう気を付けなければいけないが、これ、すごく羨ましいぞ。


「なんなんよ。めっちゃエロいこと言うてるやん。聴いてるこっちが恥ずかしいわ」

「本当だよね伊藤さん。……伊藤さん?」


 俺の背に隠れるようだった伊藤さんが同じく頬を赤く染めて言う。

 今までの訳の分からない話を聞いていたのか。俺がなんだか素性の知れない不気味な連中と話し、煽られていたのも全部まるっとお見通しだったのか。


「……伊藤?」


 呟くのは金髪のセクシーな女・遠藤。いま初めて伊藤さんの存在に気付いたようで、驚きに目を見開いている。


「久しぶりやな。千葉県代表、遠藤リサさん。決勝以来やな」

「……『冥界の伊藤』ぉぉぉ!」


 何、知り合い?


 事態を把握した様子の高橋に目配せする。


「今年の全国の決勝でリサを打ち破ったのがこの人『冥界の伊藤』だ……」

「ごめんな。田中くん。もしかしたら同志なんかなぁって気になってて訊こうとしてたんやけど、やっぱあの『疾風の田中』やってんな」


 だから『疾風の』はやめてくれ。俺はもう中学三年生。いい加減そんな二つ名が恥ずかしくなってくる年頃なんだ!


 俺のポケットでスマホが震えている。メッセージは班長・辻からだ。『いまどこや? そろそろ集まって、次のとこ行こう』とある。


「ここであったが百年目。リベンジよ、『冥界の伊藤』っ!!!」

「何遍やってもおんなじや。平安の昔っから代々続いてきた陰陽異能。ぽっと出の関東もんが勝てるはずないわ」

「これは歴史的名勝負だッ! この『炎獄の高橋』、しかと見守るぜッ!」

「…………」


 『助けてくれ』か、それとも『いま手が離せそうにない』か、それとも『ちょっと来てくれ』か。俺は辻になんと返信するべきか分からなかった。


 

 



 

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