第5話 下層
――店は相変わらずの閑古鳥。
まぁ、元々儲ける為にやっている訳じゃない。酒場の家に生まれ、それを受け継ぎ、地下に
酒は貴重だ。魔導で水は生み出せても、酒を生み出す事はできない。必然的に価値は上がり、貧乏人しかいない客の足は遠のく。
この日の客は3人。内2人は馴染みといえば、馴染みの客だ。一番安い酒を一杯だけ頼み、何時間も居座るのが常。枯れ木も山のなんとやら、という奴だ。木なんぞ、久しく見ていないが。
しかし今日は珍しく、初見の客が居る。
店主はカウンターの端に座っている、ローブをまとい、顔を隠すようにフードを被った女をチラリと眺める。店内がいつも以上に静かで、妙な緊張感が漂っているのもそのせいだ。フードで瞳も耳も分からないが、アシッド人がここまで魔素濃度が濃い下の階層に来られる訳が無い。
心配なのは、スパイの存在だ。特に初見の人間に対しては、警戒しすぎるという事は無い。それが例え、女だとしても。
「――なあ、あんた。見ない顔だな。どこからきたんだい」
……普段の調子で、話しかけられたと思う。
「どこ、と言われても困るけど」
落ち着いた声だ。小娘ではない。
女はグラスの酒を飲み干し、
「上から、よ。旧ポトロット地区。――知ってる?」
「――いや。あまり、地名とか気にせんのでね」
トレントは、魔素に追われたアシッド人が上へ、上へと建物を積み重ねて出来上がった、いわば廃墟の上に成り立っている都市だ。生活圏が上層に移動すると、地名もそのまま移動する。元の場所は『旧○○』と呼ばれる事が多いが、それはあくまでアシッド人の都合であり、魔導士達にとってはどうでも良いことだった。……どうせ、長居は出来ないのだから。
「……追われてきたのかい」
女は頷く。訊くまでもなかった。流れてくるのは、少しでも安心できる場所を求めてさすらう者か、魔導騎兵に住処を追われた者のどちらかだ。
「……お代わり、頂ける?」
「ああ」
さほど金を持っているように見えないが、餞別代わりだ。店主はグラスに酒を注ぐ。
「水は自分でやってくれ。氷は――」
女の手袋をはめた指先が光り、氷がグラスに落ちた。
「大丈夫、だな」
◇
ミラは内心、冷や汗をかいていた。迂闊に地名を口にしてしまったが、怪しまれていないだろうか。
――まぁ、怪しまれない方がおかしいのだ。腹をくくるしかない。
地下に潜って、2週間近くが経つ。与えられた期間――公式的には休暇扱いとなっている――つまり、軍の作戦開始まで約1週間しか残されていない。上層へ戻る時間を含めると、もっと短い。焦るな、という方が無理な相談だった。
少佐から支給されたのは、判明している魔導士集落の位置が記された地図と、
地図に従い、幾つかの集落を巡ったが成果は無い。そもそも地図の精度も悪く根本的に位置が異なっていたり、既に無人となっている集落も多かった。
ここは久々の、店のある集落だ。情報収集を兼ねて入った酒場で、少し気が緩んでいたかもしれない。
「ねぇ、訊いてもいいかしら」
ミラは店主に声をかけた。視線がこちらに向くのを確認して、ゆっくりとフードを外す。
「<黒の解放軍>って、知ってる?」
店主は瞬間、値踏みするような視線を向けたが、
「さあ、知らんね」
と、すぐにそれを外した。
「――「軍」なんて付けてるってことは、抵抗組織かい」
「そうよ。……私も、よく知らないんだけど。助けて貰えないかと思って捜してるの」
「助けを頼むなら、もっと有名な組織があるだろう」
「……『巣篭もり』は、アテにならないわ」
大きな抵抗組織ほど大きな集落を形成し、そこに篭もる傾向がある。魔導鎧が開発されて以降戦力差が広がり、抵抗組織とは名ばかりの、自警団レベルの組織が増えていた。そんな中で<黒の解放軍>は積極的に軍に戦いを仕掛ける数少ない組織らしい。もっとも、知名度を上げようという単純な目的もあるだろうが。
「故郷を、取り返したいの」
「……気持ちは分かるがね」
店主はミラの方を向き、
「この集落だって、長くはないさ。基本的に皆、下へ向かう。上に行こうなんて無謀な連中なんか、そうはいないよ」
「わかってるわ」
そう言って、席を立つ。これ以上居ても、得るものはないだろう。
「お代は、マルケ硬貨でいい?」
「……ああ」
こんな環境でも貨幣経済は生きている。――どこかで
下層に住む魔導士は上層の
店を出て、フードを被り直して歩き出す。――その後ろ、店から出てきた一つの人影が、ミラの後を尾け始めていた。小さな集落だ。少し歩けば、人気は無くなってしまう。
「さて、と」
ミラは足を止め、後ろを振り返った。
「何か、御用かしら。誰か知らないけど」
手袋を嵌め直し、設定を確認する。手首にあるダイヤルで、魔導の種類が変更できるのだ。今は先程のまま、氷。
狭い建物の隙間だが、隠れる場所は多い。相手の姿は見えない。敵が複数であることを想定し、建物を背にする。
「――ほう。勘がいいな。それに、戦い慣れているようだ」
物陰から、ゆらりと一人の男が姿を現した。同じようにローブをまとい、手に何を持っているのか判別できない。バイザーがあれば、と思ってしまう。
「どこかで、会ったかしら? 」
酒場にいた客ではない。その前から、尾けられていた? 考えられるのは、『黒の解放軍』の関係者かそれとも――。
油断があった、とは思わない。しかし男の足元が一瞬光ったかと思った次の瞬間、首を掴まれ建物に押し付けられていた。
「貴様……何者だ? ポトロット地区が無くなったのは、つい最近だ。ここ
にたどり着くには、早すぎる」
地区名を知っている。という事は――。ミラは男の腕を見て眼を見張った。
――
やはり、スパイか!
咄嗟に魔導手袋のダイヤルを炎に切り替え、男の腹に押し付けて発動した。ボン、という音と共に、男のローブが炎に包まれる。次の瞬間、ミラは男の腕を掴んで放り投げるように建物に叩きつけた。その勢いで腕を振りほどき、距離をとる。
……最後まで、首を掴む力が変わらなかった。左右で別の効果が発動できる、この魔導手袋が無ければやられていたかもしれない。右が炎、左が身体強化。今はそうなっている。
男は何事も無かったかのように立ち上がると、ほぼ燃え尽きかけたローブを払う。一見、華奢にも見える位に細身の男。魔導鎧を着けているのが右腕だけだったのは、ミラにとって幸いだった。半身魔導鎧全てを装着していたら、あんな炎など意味がなかっただろう。
「頭悪いでしょ、あなた」
回復の時間を稼ごうと、ミラは口を開く。
「喉を潰しておいて、喋れるワケないじゃない。それとも、返事なんか期待してなかったかしら?」
男の能力は、おそらく脚がメイン。瞬発力を含めた、身体強化というところか。問題は、腕だけとはいえ魔導鎧だ。間違いなく、軍からの支給品。魔導士が着けているのは初めて見るが、体内から魔導エネルギーを供給できるのであれば稼働時間は体力の続く限りほぼ無限だろう。
……正直、厄介だ。
これまで戦場で戦ってきた相手の気持ちを、こんな所で知ることになるとは。
逃げる? ――いや、それは出来ない。スパイは全て、過激派の手先だ。ここで逃げおおせたとしても、その情報は伝わる。穏健派の
ここで、倒す!
ミラは素早く拳銃を抜くと、2度引き金を引く。相手は当然のように魔導壁を張りそれを防ぐが、想定通りだ。少しでも牽制になれば儲けものだ。建物の中に逃げ込む。
「――甘いな。障害物があれば、何とかなるとでも?」
ギョッとして、反射的に反らした上半身の直上を、刃物のように振り回した男の脚が通過する。いるであろう方向に残弾を全てばら撒き、マガジンを取り替えつつ再び外に飛び出した。
障害物は、逆に敵になる。視界が開けていた方がまだ――。
ドン、という衝撃がミラを襲う。全方向への魔導壁展開。魔導壁はあらゆる攻撃を防ぐが、意識を向けなければ発動できない。それを、あえて全方位に向けて発動した。魔導パックのエネルギー消費は激しいが、背に腹は変えられない。
魔導壁に阻まれて一瞬動きを止めた男の脚に向けて、ミラは身体強化の腕を振った。手応え有り――と思った瞬間、脇腹に入った衝撃に吹き飛ばされる。
一瞬、息が止まる。混乱する頭。それでも訓練された身体は、ミラを路上から物陰に避難させる。
何が起こった? 魔導壁を抜いた? あり得ない。ミラは顔を出して相手の様子を見る。片足が血だらけになり、何ヵ所かあり得ない方向に曲がっている。先程の攻撃だけで、ああはならない。という事は――魔導壁の上から蹴りをかまされたのだ。
……あり得ない。
魔導鎧の手が光る。それを脚に当てると、瞬く間に曲がりが治り、傷が回復した。だとしても、痛みはあるはずだ。しかしそれを感じる様子が全く無い。何かおかしい。異常だ。
両手袋の魔導パックを交換し、ダイヤルを炎にする。
――エネルギーを一気に発動してやる。
ハッとして上を見ると、すぐそこに巨大なコンクリの塊があった。――避けられない! 両手を突き出し、魔導を一気に発動。コンクリは炎に包まれ、蒸発した。その向こう側に、男がいた。魔導鎧の腕を振り上げて。
エネルギー残量、ゼロ。魔導発動不可。頭の中が真っ白になる。男の表情が見える。笑っている。勝利を確信した笑みだ。その笑みが、ひしゃげた。ボン、と音がして、こめかみに穴が開く。そこを中心に男の身体が回転し、ミラの斜め後方に吹き飛んでいった。
◇
ミラが戦っていた場所から少し離れたビルの中、その上階。一組の男女がそれぞれにスコープを覗き込んでいた。
「――ヘッドショット。ビンゴだ」
男がスコープから眼を離す。
「相変わらず、いい腕だ」
そう言って、隣の少女の肩を叩いた。
「触らないで。狙いがズレる」
少女は、ライフルのスコープを覗いたまま構えを崩さない。
「もう、死んでる」
「いいえ、もう一人いるわ」
少女の狙いは、ミラに向いていた。何が起きたのか、理解できなかったのだろう。一瞬棒立ちになったが直ぐに身を低くし、遮蔽物の陰に隠れた。素人の動きではない。
「あれは、大丈夫だよ。お客さんだ。今から、迎えに行ってくる」
「……知っている人?」
「いや、知らん」
その言葉に、少女は片目を男に向ける。
「ま、ちょっと興味があるんだよ。酒場に居た時からな」
「何それ。助平根性?」
「いいじゃないか。周囲の警戒は任せたぜ」
そう言うと男はコートの裾を翻しながら、飛び降りていく。少女は軽く息を吐き出すと、その光る金色の瞳で改めてスコープを覗いた。
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