第71話 かえろう

 パパパ、パパ、パッ。

 突然、真横から機銃が放たれた。

 真司がおどろいて隣を見ると、井塚が地に這いつくばって機銃を通して何かを狙っている。真司からは到底見えない距離の先、彼は迷いなく引き金を引いた。

 あわてて真司も地に伏せる。

 が、うしろに立って望遠鏡を覗く杉崎は「当たった」と冷静につぶやいた。

「あ、当たったァ? だってそんな、まだ敵なんざ見えませんぜ」

「言ったろう真司さん。井塚は鷹目の悪魔って呼ばれるくらい目と腕がいいんだ。心配しなくとも、向こうからはまだこちらのすがたも見えちゃいねえ」

「────」

 以前、響が言っていた。

 戦争というのはある種超人をうみ出す場所だと。この男の索敵能力は、それこそ戦場だからこそ光るものである。

 井塚はわずかに機銃の狙いをずらして、ふたたび引き金を引いた。それもどうやら脳天命中、杉崎はぴゅうと口笛を吹く。

「どんぐらいいた?」

「多くない。母体のすがたもない。二手に分かれたな」

「どうします響さん」菅野が響を見た。

「そいつらはここの地雷で一網打尽にできる。問題は母体が率いる隊はどこから来るか、だ。ほかに道は?」

「陸からならここの道ひとつだけです。あと来るとすれば海ですが──向こうには船がないはずですよ」

「船なぞ必要ない。……軍人ならば岩も崖も徒歩でくる」

 と、響が踵を返して旧棟の正面へ向かう。

 いくつかの銃を手に菅野もそのあとを追った。真司は、陸軍組に判断を求める。

 彼らは顔を見合わせ、こくりとうなずいた。

「俺は響さんたちの援護に向かう。真司さんはここで井塚とともに足止めをお願いしたい」

「お、俺にッスか!?」

「地雷がある。火力は申し分ない」

 将のおらぬ隊など敵ではない、とあっさり言って、井塚はふたたび機銃を放つ。そう言われても自分は戦争時の動きなど学んでこなかった、と真司が目を回すと、杉崎はガハハと豪快にわらった。

「なに簡単だ、勇将井塚の言うことを聞けばいいのさ。井塚、この人は貴様や俺の恩人だからな。手厚くご指導差し上げろよ」

「……善処しよう」

「やはは──お手柔らかに頼みます」

「さあほら見てみな。出番だぜ!」

 杉崎が遥か遠くを指差す。しかしようやく、敵の姿が真司の目にも見えてきた。

 頼むぞ友よ、と杉崎は三八式歩兵銃を担ぎ上げ、颯爽と海軍組の方へ駆けてゆく。

「杉崎さんって、こんなときでも明るい人ですね──」

「……だから、みな気持ちが暗くなると奴のそばにいったものだ。ぺ島でも奴は太陽だった」

「太陽が味方だと負ける気がしませんね」

 ふふ、と互いにわらった。

 敵が駆けてくる。真司にとってはみな、見知った顔だ。井塚は三度機銃を覗く。

 真司もふるえる手で短銃を拾った。

 さあ、戦闘開始である。


 ※ 

 陸から海岸沿いを伝って旧棟正面へ来るには、連綿と続く鋭い岩肌が邪魔をして、とてもじゃないが歩いてこちらに来ることはかなわない。

 しかし感染者となれば話は別だ。

 目的地にたどり着くことだけを念頭に、岩肌で身体を傷つけようが構わず蜘蛛のように張り付いて移動する。海軍組と援護の杉崎が正面にて戦闘準備を整えたころには、次から次へと感染者の小隊が上陸してきた。

「おーおー、来やがった」

 菅野が背高泡立草に身を隠しながら三八式歩兵銃を構える。

 空戦だけと思うなかれ。菅野は引き金にかかる指に力を込め、呼吸を止めて一気に引く。射撃精度はなかなかのもので、続々と連なる感染者の脳天を撃ちぬいた。

 すこし離れた草むらでは、しゃがむ杉崎が得意の擲弾筒を構えて狙いを定める。敵が五人固まった瞬間をねらって発射、見事感染者をフッ飛ばす。

 オシ、と杉崎は拳を握った。

「しかし、地雷、三八に擲弾筒まで揃えるたぁ、成増さんも相当本気だァな」

「これでも火力の少なさに嘆いていたそうだぜ。殺気がすげえよ、ねえ響さん」

 と菅野が響を見る。

 ただひとり、感染者の狙いを自身につけさせるべく身を晒す響。菅野のことばに適当な相槌を打っていた彼がふいに口角をあげた。

 そうらきやがった、と瞳に憎悪と興奮を宿す。

「……新母体さまのお出ましだ」

 岩陰からすがたをあらわしたひとりの男。

 数人の感染者を背後に引き連れ、杉崎と同等かそれ以上の大きな体躯を左右に揺らしてこちらに歩いてくる。響がすかさず短銃で心臓を撃つ。が、効果はその歩みを一瞬止めたくらいのものだった。

 胸に食い込んだ弾をじっくりと見つめてから、自らの指でそれを抉り出し、ふたたびこちらへ歩をすすめる。その表情に苦痛はない。

「効かねえってツラだな──」

 と、響は舌打ちをする。

 あんなのありかよ、と伏せていた身を起こして響の隣に並ぶ菅野。杉崎も弾が切れた擲弾筒を放棄して身を起こし「まいったな」と三八式を肩に担ぐ。

「さすがの俺も撃てば死ぬ敵としかやり合ったことがないぞ」

「なら、杉さんと対峙した敵はこんな気持ちだったろうな。可哀そうに」

「フ。気の毒なことだ」

「ちぇ、好き勝手言いやがる」

 さてどうする、と三人が身構える。

 直後、旧棟裏側のほうで地雷の爆発音がした。陸から攻めてくる部隊に作動したようだ。

 成増め、と恩田一がつぶやいた。

「ずいぶん火器をため込んだな」

「冗談、化け物対峙にゃ足りねえくらいだとよ。それよりさっきはよくもやってくれたな、さすがのオレも血管キレたぜ──」

「貴様の血管はだれよりも切れやすいだろ」響がぼそりとつぶやく。

「ああ菅野さん。あのお嬢さん助かったようですね。即時感染があらたな課題かもしれないなァ」

「なにおうッ」

 と牙を剝く菅野をどうどうと抑え、代わりに響が前に出た。

 また背後で地雷爆発が起きた音がする。

「恒明が死んだいまさら、貴様の行く先にはなにがある。このまま感染者による軍隊を増やしていったところでこの程度じゃ話にならねえ。貴様も一度は戦場に出た身ならわかるでしょう」

「まさかこんな銃弾程度でうちの子たちが倒れるとでも? これまでの旧母体細菌とくらべてもらっちゃ困るな。……」

 恩田一が手をあげる。

 すると、これまで菅野や杉崎の迎撃によって倒れていた感染者たちが、たちまち身を起こしてふたたびこちらに歩みをすすめてくる。傷はすっかり回復し、撃たれた痕跡など見る影もない。

 ヤロー、と菅野が喉奥でうなる。

「あのチビ眼鏡、とんでもねえもん生み出しやがって」

「なるほど。こいつはたしかに有用だ、夜陰に乗じて襲いくる斬り込み隊にこんなのがいたら、敵が受ける精神的苦痛は相当なもんだろう」

 杉崎なぞは感心する始末。しかしすぐに凛々しい眉をつりあげた。

「しかしそれも七十年前までの話だ。もはや平和を誓ったこの国に、情を持たぬ殺戮のための道具は不要。なぜ貴様にそれが分からんのだ。俺たちとちがって、この七十年ものあいだもずっと起きて世界を見てきた貴様に、何故!」

「ずっと寝ていた貴様らにこそ、分からぬ話だろうよ。……」

「…………」

 杉崎のことばが詰まる。

 直後、背後から真司と井塚が駆けてきた。

 地雷と狙撃による足止めをしていたが、狙撃で倒したはずの敵がわんさか復活してきたため、これ以上はらちが明かないと井塚が判断したためである。

 恩田一はほくそ笑む。

「不死の兵隊。さあどうだ、参謀本部よ。軍令部よ。正蔵よ。見ているか?」

「お、恩田──」

「貴様らの求めていた不死の兵隊が出来たぞ。どうだ満足か、ふはは。フハハハハハッ」

 手を広げ、空を仰ぎ、狂ったように笑いだす。

 突如、周囲の感染者たちが一斉に押しよせた。さすがの抗体軍人たちもあまりの数に地面に倒される。感染者はハイエナのごとく群がり、腕や腹を食い千切らんばかりに牙を剝いた。

 杉崎はとっさに真司を抱き込み、地面に伏す。

 己の身が食われるのも構わずに真司を隠そうと身を丸めた。やめろ、やめてくれ、とさけぶ真司の涙声はだれにも届かない。──ここまでか、とおもった矢先のことだった。


「ハジメ」


 声がした。

 旧棟の中から聞こえた声に、これまで狂い笑っていた新母体の動きが静止した。まるで無防備に。

 その隙をついた井塚がすかさず母体に向けて銃弾をぶち込む。弾が切れるまでひたすら身体中に穴を開けるためだ。菅野と響はその猛攻につられて、周囲に群がる感染者の足を止めるため短銃でひたすら牽制をはじめた。

 杉崎が舌打ちをして身を起こす。あちこち噛みちぎられたというのに、まったくそんな素振りも見せず拳で果敢に応戦する。

 真司も援護しようと銃を構えた。

 が、目の前から迫ってくる顔を見たらどうしても引き金が引けない。

「……高橋、木村」

 みんな部下だった男たち。子どもの顔だって知っている。

 真司は全身がふるえて止まらず、堤防が決壊した川のごとく涙が幾筋も頬を伝う。真司のようすに気がついた響が、おのれの短銃でふたりの頭を撃ちぬく。高橋と木村だったモノは糸の切れたマリオネットのようにその場に頽れた。

 真司はうつむいた。

「す、みません」

「いいんです。これは真司さんの役目じゃない」

 響の視線がふたたび新母体の男へ向く。

 男は、もはや原型も分からぬほど、腕も、足も、胴もちぎれていた。それでもばらばらになった肉塊がうごめいて、ふたたびカタチになろうと動き出す。

「不死身ってのも」響はぼやいた。「哀れだな」

 菅野と井塚も銃を下ろし、杉崎は旧棟へ視線を移す。

 真司もつられてそちらを見た。

 先ほど恩田一へ声をかけた声の主──恩田ちとせが、さみしそうな顔で肉塊へと近づく。


「…………もういいの」

 帰ろう、と。


 ちとせは肉塊を抱き上げて、頬を寄せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る