第69話 別離

 熱海港は大混乱であった。

 島へ帰らんと船の出航を待つ島民たちが、待合室でごった返している。どうやら先ほど出航見送り命令を受けたらしい。

 まったく困りますよう、と定期船事務局の男は汗をふいた。

「船出すなって言われても、島民の方々は家に帰るなって言われてるようなもんですから。不満も噴出して──」

「おいどうなってるんだ!」

「なんで船が動かないの?」

 話を聞くあいだも、運航見合わせ中という表示を見た島民たちがわめく。運行見合わせを命じたのは佐々木らしいが、彼らの怒りは次第に支部長である父へと向けられた。

「人事がなんで船の運航に口だしてんだよ」

「どうせ支部長絡みなんじゃねえの? あの人、けっこう自由だし。こっちは身を粉にして働いてるってのに、いい気なもんだわな」

「だからって島に帰るなってのはおかしいでしょ。ホント、上ってろくな命令出さない」

「休暇縮小ってだけでイラついてんのにさぁ。会長も常務も消えて、つぎ消えんの社長か支部長じゃね。ヘイト溜めすぎ」

「まじ死ねよ──」

 と。

 私の胸がざわつく。自分への悪口を聞くよりも、よほど堪えた。すると肩に大きな手が乗った。陸軍装をまとう杉崎である。先ほど倉田家に寄って着替えたものだ。こちらの方が「俺らしい」のだとか。

 彼は、おもむろに定期船事務局員の手にさがる拡声器を取り上げた。

 ちょっと、と止める間もなく、すうと大きく息を吸って島民たちへさけんだ。


「うるさぁいッ」


 と。

 あんまり大きな声なので、島民たちは驚きやら耳が痛いやらでおもわず口を閉じる。が、威風ある陸軍装をまとう杉崎の怒声は止まらなかった。

「そんなに気になるなら教えてやるッ。いま、あの島には人体を害するものが蔓延して、とても人が帰れる土地じゃなくなっている!」

「な、なんだよ急に──」

「あいつ誰だ?」

「先に帰った島民たちのほとんどが、その菌に犯されて人を辞めた。アンタたちの嫌う支部長が、いま向こうでその根元を排除すべく必死に動いているッ。自分に死ねと言う人間のためにだッ!」

「…………」

「彼の息子だッ」

 と、彼は私の背中を強く叩く。

「育ち盛りの少年が、食うもの食わずにその薬を見つけてきたッ。これから俺たちはあの島へ向かって、薬を届けるつもりだ。先も言ったがこれは非常に危険な行為になる。それを、貴様らよりふた回りも違う子どもが、父のために決死の覚悟で行こうとしているッ」

 人々は次第にざわついた。話の真偽を疑う者がほとんどだったが、島のようすを想像して青ざめる者もいる。

 杉崎は怒りのままに叫びつづけた。

「死にたくば信じずとも結構ッ。しかし、おのれの大切な者──我が子や家族をすこしでも大切とおもうのならば、ここに留まることこそ最大の勇気であるッ」

「す、杉崎さん……」

「おいッ」

 杉崎は拡声器のまま、真後ろにいる事務局員に怒声を浴びせた。となりにいる私も、あまりにうるさくて気が飛びそうだ。

「船を出せ。向こうにいる生存者を乗せて、早急にこちらへ戻るんだ」

「へ、へい!」

 事務局員は目をちかちかさせながら、出航の手配を整える。幸いに控えていた船頭は勇気ある人間で、杉崎の話を聞いてもなお任せてくださいと胸を叩いた。

 まだ怒りが治まらぬか、杉崎は拡声器を床に叩きつけて島民をいまいちど見渡す。

「自分に不都合なことが、かならずしも愚かなこととは限らない。自分軸に乗っ取った正義感で糾弾することこそ愚かなことだと、その胸におぼえておけッ」

 彼はそれだけ言うと、無言で船に乗り込んだ。あわててそのあとを追う私のうしろからは、なおもふて腐れたような罵倒が聞こえたが、運航見合わせに対する不満を叫ぶ人間はもういなかった。

 船に乗る間際、ひとりの女性が私に声をかけた。

 おどろいて振り返る。彼女は泣きそうな顔で「ごめんね」と私の手を強く握った。

 先ほどを思い返すかぎり、彼女はとくに不満を叫んではいなかった。おそらくその謝罪は、自分の父親に対する暴言を聞いた私への慰めだろう。

 だから私はわらってうなずき、船に乗った。

 地面に転がる拡声器は、杉崎の怒りをすべて受け止めたように、バラバラに砕けていた。


「あの、杉崎さん──ごめんなさい」

「なにが」

 杉崎は甲板で風を受けていた。

 まだ声が怒っている。

 私はおずおずとそのとなりに並んだ。船頭も事の重大さを思ってか、かなりのスピードを出しているのだろう。

「気をわるくさせちゃって」

「エェ?」

 と、杉崎がこちらを見た。

 なぜかその口許はわらっている。

「いやなんか、こんな奴らを護るために七十年前の大戦を戦ったのか、なんて思ってたらどうしようとおもって」

「ハッハハハ。勘がいいな」

「ご、ごめんなさい」

「なんで和真が謝るんだよ。おまえって面白いな」

 いいんだ、と杉崎は吹きすさぶ風に瞳を閉じながら、にっこり微笑んだ。

「俺はおまえに出会ったときから、あの戦で戦い、護国の一助になれたことを誇りにおもっている。ほら」

 と、彼のズボンのポケットから出てきたのは、一本の木の棒だった。あの日に食べたアイスの棒である。

「ま、まだ持ってたんだ」

「当然だ。これまで生きてきて食ったメシのなかで──あの日食ったアイスが一番うまかった。二番目は和真のメシ」

「…………」

「和真」

「え?」

「ありがとうなぁ」

 彼はこちらに向き直り、私の手を握る。

 なんだよ、と私は照れるやら焦るやらで呂律が回らぬ。彼は微笑んでいる。

「おまえは俺の英雄だ。これから先、死んでもおまえを忘れはしないだろう。あの日、駄菓子屋の前で──拾われたのがおまえでよかった。だから」

「…………」

 だから、ありがとう。

 なぜか。

 なぜだか杉崎はそんなことを言った。

 このときの私はただただこそばゆくて、うまく返事をすることも出来なかったけれど、彼は満足げに海原を見据えていた。


 ロイから着信がきたのはこのときだ。

 エマが感染したこと、いまは島から離れるべくボートで海上に出たことなどを端的に説明された。井塚憲広を見つけたという報告にはさすがの杉崎もおどろきを隠せず、甲板にかじりついて島影をさがした。

 反対に『しずく』と呼ばれる薬を手に入れた話をすると、ロイは電話越しでも分かるほど、うろたえて涙声になった。

「エマさん治ります。ぜったい大丈夫」

『──ホントに、本当にありがとう。アンタらまじで漢だ……』

「島に寄る前に海上で落ち合いましょう。早い方がいいみたいだから」

『あっ。見えた──あの船かな』

 と、ロイの声が弾む。

 私の位置からは見えなかったが、船頭が気付いた。仲間であることを伝えると、彼はよろこんでボートに舳先を向ける。

 和真、とロイが手を振った。

 久しぶりに会えた顔がうれしくて、ホッとして、私の瞳に涙が浮かぶ。

「ロイさん!」

「よく頑張った。おまえ、偉いよ。こっち飛んでこれるか」

「うん」

 と、私は定期船からボートへ飛び移る。

 きっとこれまでの自分なら、こんなアクティブなことだってしなかった。私は早鐘を打つ心臓を押さえながら、慎重にロイへ薬を渡す。

 真空筒の容器はそのまま注射器になるような作りだった。ロイは「筋肉注射だ」と大胆にも垂直にブッ刺す。

 エマは痛そうに呻いたが、しばらくするとみるみるうちに顔色がよくなってきた。病院での検査は必須だろうが、とりあえずはひと安心であろう。

 和真、と上から声が降ってきた。

 声の主は定期船からまっすぐ島影を見つめる杉崎である。彼は言った。

「おまえたちはそのまま、本土へ戻れ。俺はむこうで井塚に会ってくる」

「あ、で、でも」

「まだ島にみんないるんだ」

「心配いらない。あとは真司からの連絡を待てばいい。島のことは心配するな!」

 よく頑張ったな、と微笑んで、杉崎は船頭へ船を出すよう指示する。

「す、杉崎さんッ」

「これもらってくぜ!」

 と彼が掲げたのは、倉田の家から持ってきた、菅野と響の軍服が入った袋だった。

 私がなにを返す間もなく、船はみるみるうちにスピードをあげて、十秒もすれば声が届かぬほど遠くへ行ってしまった。こののち、私は気が抜けたゆえか気を失ってしまって、それ以降のことは覚えていない。

 ゆえにここからは、聞いた話である。


 ────。

 島に定期船が到着した。

 唯一の乗船客であった男が、颯爽と降りてくる。沢井は、彼の着用する陸軍軍服を見て七十年前の人間であることを悟った。

 船着場には生き残ったわずかな島民たちが、身を寄せあって待っている。彼らを見るなり男は早く船に乗れ、とジェスチャーした。

 島民が次々と乗り込む横で、定期船の船頭と二言三言交わし、彼は胸を張ってこちらに歩いてくる。となりに立つ佐々木が「杉崎さん」と手を上げると、男はパッと笑んだ。

「やあ、佐々木さん。先刻はどうも」

「それ似合いますね。そうだ、エマちゃんのこと──聞きました?」

「それならもう解決した。さっき海上でロイに会って、薬をいれてたから」

「えっ」

「響さんは?」きょろりと辺りを見回す。

「菅野さんといっしょに中で杉崎さんを待つと言ってました。僕たちには、船が来たら島民を本土まで送り届けろって」

「懸命だな。おうい船頭さん、このふたりが乗ったらすぐに出発だ。さあ早く乗って」

「ま、待ってください。杉崎さんは?」

「俺には会わなきゃならん奴がいる。いまからそいつに会ってくるのだ」

 だから早く、と再度うながされ、沢井と佐々木はあわてて船に乗り込んだ。船頭は妙にはりきったようすで「出航」とさけぶ。

 杉崎は、定期船が遠く見えなくなるまでしばらく、敬礼のポーズをとったまま波止場から海をのぞんでいた。

 沢井と佐々木および、生き残ったわずかな島民たちは、こうして島からの離脱を果たしたのである。


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