第67話 決意
地下は電波が届かない。
エマに電話すべく地上へ走ったロイを追うと、真司の携帯にも膨大な不在着信が溜まっていた。ほとんどが人事課長の佐々木からである。
なぜ彼が、と疑問を持つまもなく、携帯は十度目となる佐々木からの着信を告げた。
「もしもし」
『あっ、やっと出た真司さん!』
「なんだよこの鬼電は。本社の方でなんかあったか」
『なんかどころじゃないです! 大変なことが起こってますよ。ちなみに僕いま、菅野さんといっしょに島きてます。響さんや沢井さんと合流しまして、それで──』
口ごもる。
エマちゃんが感染したか、と聞くと、息せき切ったように『そうですッ』とかぶせてきた。
『僕からじゃなんですから響さんに代わります。ちょっと待ってください──』
「いやちょっと待ておまえ、うちの息子と杉崎さんはどうした。一緒じゃねえのか」
心が逸った。
この旧棟にかかりきりになっていたため、まるで外のようすが分からない。息子は無事か、杉崎には早く井塚の帰還を報せねば──と、気持ちばかりが前のめり状態になる。しかし佐々木の声はおだやかだった。
『和真くんたちは、途中小田原の栢山で降りました。急になんかやることが出来たみたいで』
「栢山」
といえば宍倉である。
まだなにか、宍倉家に用事でもあったのだろうか。とはいえ無事ならそれでいい。真司は今度こそ「わかった。響さんに代わってくれ」とつぶやいた。
まもなく電話口に出た響の声は、おもったよりも明るかった。
互いにこれまで起きたことと現状を報告する。ロイのようすを聞かれたときは、真司も胸が痛かった。彼は先ほどから何度もエマの携帯にかけては不通に苛立ち、いまは海を望んで心を静めているところなのである。
井塚を見つけた、と伝えるとさすがに驚いたが、ほかはおおむね想定通りだったようだ。
「ってことなんで、母体については成増さんの計画を実行するほかなさそうです。起爆は井塚さんが分かるってんで、問題は母体たちを旧棟に隔離する方法なんですが──」
『とりあえず一度そちらと合流したい。エマのこともありますし』
「あ、ええ。とにかくロイくんはもう、……エマちゃんのそばにいさせてやりたいとおもってます」
それがいいでしょう、と電話のむこうでうなずく気配がした。
『すこしでも細菌侵食を抑えてくれりゃいいんですがね。エマの身体も頑張っている方ですよ』
初めて声に落胆が混じる。
細菌侵食を抑える方法。いちばん手っ取り早い方法は、これまで軍人たちがいた地下の冷凍室に寝かせることであろう。細菌は冷暗所にさえ置けばその活動はほぼ停止することが分かっている。が、旧棟はこれから爆発させるのだ。
(となれば本土に戻って家の冷蔵庫にでも突っ込むか──でも)
それは、本土に細菌を持ち込むということになる。
成増のことばが頭をよぎった。
(母国への細菌侵略をゆるすな、か)
ではどこにエマを避難させればよい?
真司はハッと息を呑む。
「響さん、海だ」
『は?』
「エマちゃんをボートで海に連れ出すんです。海水で身体を冷やしながら、すこしでも母体から遠ざける。これまでの話を聞くかぎりだと、細菌侵略を抑えるにはふたつ。身体を冷やすことと母体から物理的距離をあけることです。恩田ちとせが島にくるまでは統率が取れていなかったというのなら、母体の統率にも距離の限界はあるはずだ」
『海。……』
「すべての細胞が細菌にとって代わられる前に母体をころしてしまえば、万にひとつ助かる可能性もあるかもしれない」
興奮のあまり、さいごはほぼ叫んでいた。
声が聞こえたからか、いつの間にかそばにはロイが寄ってきている。
響はいっしゅん沈黙したのち『やりましょう』と言った。
『しかしこちらには船がない』
「こっちには二艘もある。ロイくんが乗ってきたボートと、新母体を乗せてきた船頭の船だ。ロイくんをすぐそちらへ向かわせますから、響さんはエマちゃんと船着場で待っててもらえませんか」
「オレ、行ってくる!」
聞くや否や、ロイは踵を返してボートの発進準備をはじめる。そのすがたに目を細めてから、真司は「それで」とわずかに声のボリュームを落とした。
「今後の動きについてですが」
『とにかく一度合流しましょう。優先すべきは母体の隔離。佐々木さんいわく母体は民家の方へ向かったと、……おそらく感染者を引き連れる気です。旧棟に隔離するのであれば都合がいい。エマを引き渡したらおれもそちらへ向かいますから、旧棟で落ち合いましょう。陸から行けますかな』
「え、ええ。母体が鉄線引きちぎったんで入れます。鉢合わせないよう気をつけてくださいね」
ではのちほど。
響の、凛とした声をさいごに電話は切れた。
船着場を見る。ロイはまもなく出発するところだった。真司さん早く、と声を張って手を振るので真司は先に行けと叫び返す。
「真司さんは?」
「俺はまだやることがあるから、早くエマちゃんのとこに行け。ついでに和真に連絡をとって船を一艘寄越すように言ってくれねえかい。感染してない島民が一般棟にいるらしいから、本土に送りたいんだ」
「わかった」
エマの凶報を聞いてから初めて笑んだロイ。まもなく発進したボートはいつもより速いスピードで去っていった。ボートの影が見えなくなるまで見送ってから真司はうしろに控える井塚に目を向ける。
むかし仕入れたという機銃をガチャガチャと弄っている。この七十年間、メンテナンスを続けていたようで問題なく使えそうだ、と言った。
「貴様はこれを持て」
「でも俺、撃ったことないですよ」
「俺がおしえる」
井塚は機銃を背負って立ち上がる。
わたしも、とちとせも銃を手に取った。
(ようやく幕引きがはじまるよ、親父)
ずっしりと手に余る機銃を見つめて、真司は父を想った。
※以下、成増追加手記現代語訳
未来の英雄達よ
自分の一念は、仲間の無念を晴らすことであった。
しかし自分は知ってしまった。人として、女としての幸せを奪われ、凡ての人類が持つ唯一の特権『死』すらも権利を奪われた女の事。
本当に、彼女を殺すことだけが正義なのか。
母体が幸福に満たされ、生きることに満足すればおのずと死を選ぶのではないか?
母体にも人並みの幸福を得る権利はあるのではないか?
仲間の無念を晴らすはその先でも良いのではないか?
俺は考へる。
母体の意思ひとつで細菌の生死が決まるのならば、細菌が何より恐れるは、この地球上において人間だけが持ちうる感情に外ならぬ。情愛、友愛、親愛。『愛』ただひとつである。
何時の時代もそうである。
幾ら国同士の戦に敗れども、貧しさに打ちひしがれようとも、人間の愛は常に生まれ育ち消えぬものである。その証拠が貴様ら未来の英雄達なのである。
故に、愛に溢れた英雄達よ。
この正義を託す。どうか母体に最期の救いを。
これが三晩と寝ずに考へた、らしくもない、我が正義である。
────。
井塚よ
もしも母体が卑しくも生にしがみつき、俺の解釈空しくなおも感染を広げんとするならば、最後の手段としてこの研究棟を中心に島を爆破し、海に沈めてしまえ。
そして貴様が此方に来る時は、最高の土産話を持ってこい。
待っているぞ。
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