井塚憲広
第66話 懺悔
研究室閉鎖の号令を出すため、成増は棟地下で発見した防空壕を半年がかりで改良し、緻密に作戦を企てた。
そこに、杉崎を探していた井塚が研究チームに合流。成増より秘密裏に計画への参入をすすめられ、加担した井塚に渡されたのが島爆破という最終計画書であった。部屋に残る火薬調合資料や、取り寄せた重火器の明細資料などはこの名残であるという。
完膚なきまでの幕引きを迎えるべく周到に立てた計画を、長期間だれにもバレずに遂行できるのは、無口で信頼に足る井塚が適任だと判断したためであろう。
このころの成増は、とにかく母体と正蔵に対する憎悪を原動力に動いていたといってもいい。ただただ、この標的をいかに確実にころすことができるか──それだけを考えていた。
そんな彼がめずらしく雑談を振ってきたことがあった。
「井塚よ、貴様本当にあの女研究員といい仲なのか?」
と。
成増が問うたのは、近ごろ井塚に懐いてきた女研究員──恩田ちとせのことだった。彼女とはおなじチームで動くことが多く、井塚自身も懐かれているという自覚はあった。
とはいえいい仲とは、と井塚が見返す。ポーカーフェイスかつ無口な彼だが、成増にはなぜかいつも意図が伝わっていた。
「なんだ。貴様にはその気がないのか」
「────」
「あの女は惚れっぽいタイプだぞ。やめとけやめとけ」
彼は冗談めかしてわらった。
が、成増の忠告は正しかった。
当初の最終作戦に備えた焼却準備をすべて整え、明日にでも号令を発布する、と成増が意気込んだ矢先のこと。
井塚は恩田ちとせから呼び出され、彼女の秘密を聞く。
母体であることから、そこに至るまでの経緯もすべて。井塚は一文字正蔵に対する憎悪とともに、ちとせに対する同情をもった。
彼女は言った。
「貴方に恋をした。心の安らぎでした。明日、成増さんに母体であることを告白する」
と。
明日、成増の号令発布がおこなわれる予定だった。もしそうなれば母体焼却は免れようもない。けれど、杉崎を小田原に返すには母体は死なねばならない。
井塚が同情からえらんだのは、彼女の最期のとき、せめておなじ立場でそばにいてやるために感染者になるという選択であった。
──俺を感染させろ。
と迫る井塚にちとせは、この男だけは苦しみの渦に巻き込むわけにはと拒否をした。しかし男として、一度決意したことは曲げられぬ。半ば強引に井塚が彼女のくちびるを奪った。
この細菌は、唾液からも感染する。
自身の身体が変化するのを感じた。思惑通り、井塚は母体感染者となったのである。
成増に告白すると、彼はとんでもなく嘆いた。
馬鹿野郎、頓馬、唐変木──思いつくかぎりの罵倒を井塚に浴びせたのち、彼は井塚から詳細に話を聞く姿勢をとった。
恩田ちとせの身の上から一文字家との出会い。その後の人生からいまに至るまでのすべてを、口下手な井塚から無理やり聞き出したのである。
分かった。
聞き終えた彼の感想はこのひと言のみ。
それから、彼のなかでどんな葛藤があったのかは知らない。井塚は、自分が研究チームの仲間たちを感染させてしまうことを恐れ、おのれの身を拘束するよう成増に頼み、母体へ筒抜けになることを恐れてこの計画から抜けることになるからである。
だれか信頼できる人間に後を頼め、と成増に言われたのもこのときだ。
井塚の気がかりはひとつ。
盟友、杉崎についてのことだった。
かねてより手紙をもらっていた部下の倉田文彦へ一筆したため、井塚はおのれの引継ぎをおこなった。
それからおよそ二週間後。
成増は井塚に、自分がどうなるか分からないこと、もしかしたら永くこの部屋に捕らわれるだろうことを伝え、一枚の手記を渡したのち、この扉の鍵を閉めた。
それからは懺悔の日々。
夏が来ると、地下もすこし温度があがるため目が覚める。どこからか紛れ込んだ虫やネズミを食らって、そこらに湧く泥水を啜りながら、成増の最後の手記をなんべんも読み直して生きてきた。
井塚はそう締めくくった。
※
「最後の手記は、俺にあてたものじゃなかった」
と、井塚がもう一枚の紙を出してきた。
倉田が受けとった。
紙の端が擦りきれるほどくたびれて、文字はところどころ掠れている。
『未来の英雄達よ』
という書き出しから始まるこの手紙には、彼の葛藤と覚悟、彼なりの正義が綴られていた。
倉田とロイは無言で紙に目をすべらせる。
読みすすめるうち、ロイは緊張から乾いた上唇を舐めた。先ほどから肚の底がふるえる。倉田はというとすこし複雑な表情を浮かべたまま動かない。
俺が、と井塚がぼそりとつぶやいた。
「感染せぬまま最後まで同行していれば、成増さんは生きていたかもしれない」
「────」
「……俺が感染したから成増さんを悩ませた。悩んだ末にあの人が出した、あの人の正義がそれだった。ならば俺はそれを遂行する義務がある」
その正義が正しいか否かは問題じゃない、と言って井塚は閉口する。
しばしの沈黙。
破ったのは、歯切れのわるい倉田の声であった。
「…………彼の正義は分かりました。たしかに──一理ある」
「納得せずとも構わない。倉田にでかい荷物を背負わせた俺が言えることじゃない」
「いえ。もうそこは、俺も親父も割りきってますから。それよりこれからですよ。成増さんはこういいますがね、」
ではこれからどうします、と倉田が身を乗り出して仕切り直したときである。
「井塚さん」
と。
入口で声がした。
おもわず倉田と顔を見合わせ、入口を見る。
部屋が暗くてシルエットではだれだか分からなかったが、透きとおるような声でそれが倉敷ぼたん──いや、恩田ちとせであることに気がついた。
「ぼたんちゃん」
「あ、アンタなんでここに」
「────井塚さん」
こちらふたりには目もくれず、女は部屋奥にちょこんと座る井塚のもとへ走り寄り、熱く熱く抱き締めた。
「恩田」
「ごめんなさい、……ごめんなさい」
「…………」
彼女はそして、泣き崩れた。
ごめんなさい、と彼女が頭を下げたのは、それから五分ほど経ったころのこと。暗がりでよく見えないがわずかに頬を染めているのがわかった。
となりに寄り添う井塚のようすを窺うも、相変わらずのポーカーフェイスで感情は読み取れない。
「七十年間、この扉が開くのをずっと待っていたんです。どうしても成増さんが鍵をどこに隠したのかわからなくて。どこにあったのですか」
「ああ──杉崎さんの褌のなかにあったらしいよ」
「ふんどし。…………」
ちとせの顔がさらにボッと熱くなる。
となりで微動だにせぬ井塚が、ほんの少し口角をあげた。……ような気がした。微々たる変化ゆえ注視していなければ見逃すところだが、一度気付けばいろいろと見えてきた。
いまの発言を聞いてから雰囲気がやわらかいような気もする。先ほどの話では、ちとせとの仲は同情からくるものであると強調したが、満更でもないのか──とロイがおもった矢先、井塚は倉田を見た。
「杉崎は?」
「え。ああ──杉崎さんならいま、うちの息子といっしょにいるみたいですよ。元気ですし、それに小田原に連れ帰ることもできました」
「…………そうか」
彼はわらった。
その笑顔でロイはおのれの考えを改めた。彼がもっとも気に掛けていたのは、いまもむかしも杉崎についてのことだったのかと。
ぼたんちゃんにはわるいが、と倉田が木の机に紙を広げた。いつから持っていたのか、この島のパンフレットである。
「感動の再会はあとだ。実働的な話に入りたい」
「そうっスね。最終的には、どうあっても最初の手記にある爆破をする必要がある。井塚さんは起爆方法も知っているんですか?」
「無論」
「島民を本土に避難させるのは定期船を呼ぶとして、あとは旧棟に母体や感染者を閉じ込める方法だな。──」
「そんなこと簡単に出来てたら、いまこんなに苦労してねえしな」
とロイが鼻をならす。
ホントにな、と倉田も苦笑した。
なにかいい案はないものか、と井塚に顔を向けたときである。ふいにぼたんが「エマちゃんッ」と立ち上がった。
とつぜんのことで目を丸くする一方で、井塚の表情もわずかに険しいものへと変わる。
「どうしたんです、ふたりとも」
「ロイさん、……どうしよう」
「え?」
エマちゃんが感染してしまったわ。
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