第63話 城塞にて

 一方。

 一般棟二階にて、沢井や響とともに籠城するエマが、ロイから「これからその鍵で扉を開ける」というメッセージを受け取ってまもなく、階下がずいぶん静かなことに気が付いた。

 音を聞くかぎりは、二階に来たようすもない。

「帰ったのかしら」

「だといいがね」

「知能があるのか知らねえが、音を殺してる可能性もあるな。ちょっと見てくるからアンタたちはここにいな」

 と、立ち上がった沢井の足にエマが「まって!」としがみついた。

「なんだよ!」

「ホラー映画だとそうやって外にひとりで出る人がすぐ死ぬのよ。ここは徹底的にフラグを折っていかないと」

「フラグ──?」

「三人で行動しましょう。とにかく下にいるぼたんさんが心配だわ、せめて彼女を助けたいの。いいでしょ銀也さん」

「……彼女のようすを見て、考えます」

「んもう、心が狭い親父は嫌われるわよッ」

 エマは扉に積みあがった椅子や机をところかまわず放り投げ、みるみるうちに城塞を崩してゆく。これほど大きな音を立てれば、階下にも響いているだろうが、なおも感染者のアクションらしき音は聞こえなかった。

 あらかた荷物をどけたのち、沢井はエマと響の肩を抱いた。

「ようし、危険なことだ。ぜったい俺から離れるなよふたりとも」

「遠慮なく盾にさせてもらうわ」

「ふふ。沢井さんが七十年前にいたら、きっと陸軍所属だったでしょうが──階級は中将あたりまで上り詰めそうですな」

「そこは大将といってくれや」

「東條英機と肩を並べるおつもりですか、なかなか図太い神経だ」

 クスクスと響はわらう。

 なんだかんだでよいトリオだ、とエマは心のなかでほくそ笑んだ。一歩、また一歩と慎重に歩を進めて階下へむかう。

 およそ十分の時間をかけてたどり着いた一階。ロビーには、一見して感染者のすがたは見られない。椅子を片手に管理人室を覗くも、そこには上半身を起こしてぼうと呆ける倉敷ぼたんがひとりいるのみ。

 無事か、とエマはあわてて駆け寄った。

「ぼたんさんッ。怪我はない?」

「…………あ」

 彼女の肩がビクリと揺れる。

 見るかぎりは怪我もない。エマはほうと息をついた。

「ひとりにしてごめんなさい──いまあの感染者はいないみたいだから、ぼたんさんもいっしょに上へ行きましょう」

「エマさん──鍵、鍵は」

「え、か、鍵? そういえばロイが持ってるとか言ってたかな。その鍵でこれから、扉を開けるって」

「!」

 聞くなり、ぼたんはエマを押しのけて駆け出した。

「ち、ちょっとぼたんさんッ。あぶないわダメよ!」

 エマもその後を追いかける。

 しかし聞こえているのか否か、彼女は脇目も振らず、旧棟方面につづく民家区域に入っていく。おもわずそれに続いたエマだが、すぐさま響に腕を掴まれた。

「止まりなさい、エマ」

「だけどぼたんさんが」

「見ろ」

 と、彼が先の民家群を指さす。

 視線を向けるや、エマの喉がひきつった。ぼたんの背中ばかり見ていたために気が付かなかったが、そこに広がる光景はとても現実ではなかった。

 感染したとおぼしき男が、妻であろう女を組み強いて首もとを千切らんばかりに噛みついている。女は痛みに叫びながらも、必死にそばにいる子どもに逃げろとジェスチャーする。

 またその近くでは、感染者が群れをなして民家ひとつひとつに押し入っては、中に潜む生存者を引きずり出して、次々に感染させていた。

「な、なんてこと──」

「あの女はすでに感染者ですからここを通れましたが、お前はそうもいかない。おおかた向かったのは旧棟です。そっちには真司さんたちがいるはずですから大丈夫でしょう」

「あの子あぶないッ」

 母親が噛まれた恐怖にすくみ、その場から動けずにいる子どもがいる。響が動いた。駆け出そうとするエマを沢井に押し付け、駆け出し、子どもを抱き上げる。

 感染した母親が襲い来るも、それをなんなく足蹴にしてこちらへもどってきた。

 よかった、とよろこんだのもつかの間、感染者は響を目で追う先に、無感染のエマと沢井を見つけたらしい。一気に矛先がこちらに向いた。

 沢井とエマの顔がサッと青ざめる。

「おい冗談じゃねえ」

「や、ヤバイわ」

 沢井さん、と響がさけぶ。

 なんだ、と目を剥いた沢井にむけて、腕のなかの子どもを投げ渡す。沢井はあわててキャッチした。

「子どもを投げるな!」

「エマといっしょに、先に一般棟へ戻ってください。おれは生存者を見つけて一般棟に誘導します」

「ば、ばか野郎そんな危険なこと許せるわけ」

「おれは抗体持ちですからご心配なく。無理ない程度にやりますよ」

「────」

「はやく!」

 と怒鳴られて、エマは無言のまま沢井の手をとった。

「エマ──」

「行きましょう。銀也さんならぜったい無事に戻ってくる」

「しかし」

「私たちがいる方が邪魔だわ、とにかくバリケードを張るのよ!」

 こんどはエマが怒鳴る。

 その勢いに圧されたか、沢井はわかったよと苦笑した。

「ずいぶんな信頼関係だな──あんたたちは」

「ええ。私の英雄よ」

 とにかく戻りましょう、とエマは目頭が熱くなるのを必死にこらえて、沢井とともに一般棟への道をふたたび駆け出した。


「クラスターが起きてる」

 と、和真に電話したのはこの頃である。

 一般棟の入口はわずかな隙間を残して、ロビーにあるほとんどのスツールを使用して塞いだ。避難者は、さきほど籠城した二階の部屋へ誘導する。そこを第二の城塞とし、ロビーを突破された場合に備え終えたところだった。

 響がうまく誘導したようで、パラパラと一般棟に逃げてくる島民があった。そのほとんどが子どもであるところを見るかぎり、親がおのれの身を捨ててまで必死に守り抜いたのだろう。

 それをおもえば、和真と電話中ながらも、込み上げる涙を抑えることはできなかった。

「もうこんなの、嫌。はやく終わらせて──!」

 初めての弱音だった。

 和真に言ったところで、どうなるものでもない。けれど電話口の彼は何度も『大丈夫』と口にした。

 なんでも、母体を止める薬を手に入れたのだ、と。これからすぐに届けるから、だから大丈夫だ、と彼が必死に慰めてくるものだから、エマは急に恥ずかしくなって、挨拶もそこそこに電話を切った。

 涙をぬぐい、沢井を見る。

「沢井さん朗報よ。母体の動きを止める薬が手に入ったって」

「なに、それはどういう作用なんだ」

「母体に注入することで、母体の核細菌を死滅させて動きを止めるものらしいの。母体さえ動きを止めれば、感染者たちのなかの細菌も死んでゆくから──感染のスパイラルは止められる」

「感染者が治るってことか?」

「…………」

 沈黙する。

 察したか、沢井はそうかとうなずいた。エマの携帯にメッセージが入る。通話を終えたばかりの和真からだった。

 その文面に心が躍る。

「ヘリで菅野さんがこちらに向かうって。すぐに来るわ!」

「ヘリポートは?」

「ここの屋上みたい。迎えに行かなきゃ!」

 と立ち上がった矢先、またひとりの避難者と、つづいて響が戻ってきた。

「銀也さん!」

「アァ──疲れた」

「よかった……怪我は?」

「軍隊経験者と一般人をいっしょにしてもらっては困りますね。ありませんよ」

「よかったァ」

 感極まって響に抱きつく。

 すべてがよい方向へ向かっているのを感じた。ここで浮かれすぎれば、またフラグが立ってしまうわ──なんて。

 ほんとうに順調なときは思わないものである。

 何事も、そのちいさな油断が隙を生むということをエマはこれからおよそ十五分後に痛感する。

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