第61話 慟哭の火
一方、旧棟でまごつくロイと倉田である。
あれから、再三エマに折り返しをすれど応答はなく、妹の身を案じていたのだが、こちらも人の心配をする暇はないらしい。
瞳を濁らせた彰と小此木が、息つくひまもなくこちらに襲いかかってくるのである。
「こいつら、いったいどうしちまったんですか宮沢さん。まさかパイロットに感染させられたとでも?」
「いえ。──命令系統の変更です」
「え?」
「これまで恩田ちとせという母体からの命令を受けていた我々の細菌が、いまはなぜか、あの男の命令を受けて行動しているように感じるんです」
といって小此木と組み合い、床に叩き付けた宮沢が息を乱しながらいった。ロイは倉田を庇いつつ彰と応戦する。
「それでっ、なんでアンタは平気なんだよ!」
「平気なものですか。でも──私には成増さんのことばが、ありますから。私なら抗えると信じてくれた成増さんに報いるためにも、ここで降伏するわけにはいかんのです」
宮沢は苦しそうに笑む。
七十年前、死の間際に託された成増の想いひとつのため、彼はかろうじておのれの意思を保っているのだという。
ロイはちらとパイロットを見た。
彼は虚空を見つめてぼうっと立ちすくんでいる。なにをしているのかと思えば、不意にニタリとわらって「ああ」と声を漏らした。
「これはすごい。……島が、阿鼻叫喚図だ」
島民がみな感染してゆく、といってパイロットが大声で笑い出す。
嘘だ、とうしろで倉田が吠えた。
「てめえ適当なこと言いやがって、卑怯だぞッ」
「嘘なものか。次から次に生まれくる俺のかわいい子どもたちが、菌を通して見せてくれている。あなたには見えませんか、倉田さん」
「……み、見えるもんか。見えるもんかよ。やめろ、たのむから──島のみんなに手を出してくれるな。みんなまだ若くて、子どもだってまだちいせえし」
「そんなもの、七十年前のあの戦争だってそうだった。それでも大切なものをぜんぶ国に残して、みんな戦いに出たんです。携えたのは家族への愛と、勇気くらいのものだった」
「でもいまは戦争なぞしちゃいねえッ」
「うるさいな──小此木、彰くん。この人たちを殺してください。俺はちょっと向こうのようすを見てきますから」
というや、パイロットは悠然と建物の裏手にまわり、有刺鉄線を手で引きちぎり出した。鉄線によって負った手傷は、みるみるうちに治ってゆく。これが細菌の力か。
倉田はやめろ、と叫んだ。すかさず小此木が前に立ち塞がって倉田に牙を剥く。
けっきょく、パイロットは振り向きもせず一般棟の方へと歩いていってしまった。
ちくしょう、と倉田が壁を叩く。
「──ちくしょうてめえ! 小此木、邪魔すんじゃねえよッ。てめえの同僚たちだぞ、ぜんぶ忘れちまったのかッ」
「真司さん無駄です、逃げてっ」
小此木が倉田に飛びかかる。
宮沢はすかさず倉田の腕を引く。バランスを崩した倉田が、ロイの肩につかまる。その顔はうなだれて見えなかったが、ふるえる肩を見れば泣いていることは明白であった。
いつもは広い背中が、無力感に苛まれて縮こまる。やるせなさにどうしようもなく、チッと舌打ちをした。そのとき、携帯がふるえた。
短いバイブ音から、それがメッセージであることがわかる。エマかもしれない──という察しのとおり、受信したのは愛妹からの長いメッセージであった。
「真司さん、エマだ。エマからきた!」
「なに無事だったかッ」
倉田はとたんに元気になって、ともに画面を覗く。
内容は、和真が聞いてきたという一文字家の、百年近くにわたる壮大な野望と現状の説明、加えてとある『鍵』に心当たりがないかどうかという確認だった。
「……鍵?」
「そんなの、」
ある。
どこのものとも知れぬ鍵ならば、昨夜のうちに和真からもらい受けた。ロイは倉田を見る。
「あるのか?」
「ある。和真からもらった」
「どこの鍵だよ、見せろ」
「いやどこのかまでは知らないけど──」
と、ロイは尻ポケットに忍ばせる錆びた鍵を取り出す。鉄かなにかで作られているようで、小さいのに重量がある。物々しさすら感じる鍵だ。
それを見た倉田がハッと目を見開く。
「おい、これもしかしてもしかするぞ」
「どこのか分かんの」
「地下だ。地下にあったろう、開かずの間。あそこは昔から鍵がなくて──俺の親父もずっと入れなかった!」
「ああ」
あった。
たしかに初めて地下に降りた際、鍵がない部屋なのだと倉田から説明を受けた扉があった。確証はないが、試してみる価値はある──。
しかし箱の入口には、小此木と彰が仁王立ちして行く手を塞いでいた。このままでは堂々巡りだ。散々大立ち回りを繰り広げた証拠に、小此木の腕にはそこここで負った傷が刻まれている。
そのとき、宮沢が深呼吸をしたのち言った。
「燃やしましょう」
と。
その意味を分かりかね、ロイが眉をひそめる。
「いいですか。生きとし生けるものすべて、死なぬということはあり得ない。母体感染者といえど、かならずいつかは死ぬはずなんです」
「でも──」
見てください、と宮沢は小此木を指さす。
「本来ならば感染者、とくに母体感染者の傷はすぐに回復します。しかし彼の腕には傷がある。つまり回復力が落ちているということです。ただでさえ私たち三人は旧母体からの感染者。いくら指示系統が代わったからといって、細菌まで強くなるとはおもえません」
「そ、それじゃ」
「ずっと考えていました。なぜ当時、まだパイロットが母体でなかった頃、撃っても燃やしても彼は死ななかったのかと。でもようやく、分かった気がします。おもえば単純な話だった」
宮沢は泣きそうな顔でわらった。
「母体だった恩田ちとせが、愛しい息子に生きろと命じていたからじゃないんでしょうか」
「…………」
「だからパイロットの細菌たちはしぶとく再生を繰り返した。でも、もしそうなら──彼らに当時のパイロットのようなしぶとさはないはずだ」
確証はなかった。しかしやるしかなかった。
ロイと倉田は顔を見合わせうなずき、同時に焼却室へと駆け出す。そのあとを愚直に追いかけるふたりのあとを追って、宮沢が走り出す。
ふたりが、開け放った焼却室へ転がり込む。
あとを追ってきた小此木と彰もまんまと入ってきたのを見て、倉田が「ハッハー!」とわらった。
「不屈の身体を手に入れたって、おつむが弱けりゃ軍隊形無しだぜッ」
「ふたりは外に出て!」
外から宮沢が声をかける。
襲いくるふたりを交わし、まずロイが外へ出た。つづいて倉田が出ようとした矢先、
「真司さん」
と声がした。
つい数時間ほど前に聞いた、彰の声であった。
ハッとうしろを振り向く。そこに立つのはいつもの黒々と輝く瞳をした一文字彰のすがた。倉田の動きがわずかに鈍る。
しかし宮沢は容赦なく倉田を部屋の外へ放り出した。
「騙されるなッ。あれも感染者の作戦のうちです! はやく焼却処理を施しなさいッ」
「真司さんいこう」
「で、でもいま──おい彰! 彰だろッ」
「ロイくん、真司さんをお願いします」
「ああ。ほらはやくっ」
倉田を引きずるように、ロイは二階の焼却操作室へ向かう。階下で、焼却室の扉が閉まる音がした。
よんよんはちさん。
呟きながら倉田が錠前を外す。ロイが部屋に入るのは初めてだ。
いまにも泣き出しそうな顔で、倉田はおとなしく機械をいじっている。狭い室内だが、目前が大きな吹き抜けガラスとなっているため階下のようすがよく見える。
そこには、三人の人影。
「えっ?」
ロイがガラスにへばりつく。
なぜ宮沢が中にいるのだ。このままではいっしょに焼却してしまう──と倉田に言いかけて、ロイは閉口した。
彼は同じように、歯を食いしばって階下を見ていた。
「おい真司さん──まさか本気で宮沢さんまで焼却するとか言わないよな?」
「…………」
階下から目をそらし、倉田が機械をいじる。
「まてよ、真司さんッ」
「これより焼却を開始する。設定温度は千八百──焼却時間は二時間」
「ま、マジで」
「どうせあの人も感染者だ。どのみち、こうする運命なら──ひとりで逝かせるよかマシなんだ」
「…………」
焼却装置が作動する。
階下の部屋にたちまち炎がたちこめた。三人は意外にもしずかに、けれどしっかりとこちらを見上げたまま部屋の真ん中に立ち尽くしていた。四隅から吹き出された炎が身を包もうとも、三人は叫び声ひとつあげはしない。
宮沢の腕がゆっくりあがる。火に巻かれるなかでなんと見事な敬礼か。
「 」
彼のくちびるがものを語る。
遠くぼやけ、声も届かぬはずのそのことば。
(ありがとう)
──ありがとう。
──ありがとう。
うあ、と。
倉田から嗚咽が漏れる。ゆっくりと膝を折り、慟哭した。
倉田という家に生まれただけで、彼が、また彼の父が背負った荷物は、あまりにも重すぎる。
これまでいくつもの命をこの業火で燃やし、仲間と別れてきたことだろう。それを思えば、ロイの視界までぼやけてきた。
涙がこぼれる。うつむいた。
もはや階下は火焔に包まれ、三人の姿は見えない。
ふたりは泣きじゃくりながら肩を抱き合い、少しのあいだ、彼らの死を惜しんだ。
泣いて、泣いて。
ようやく落ち着いたのは十五分ほど経ったころ。
互いに真っ赤な瞳で顔を見合わせた。すこし照れ臭くて、ふたりはフ、と苦笑する。
「いい大人が、情けねえなぁ──」
「大人だって泣いてもいいだろ」
「ああそうだ。でも泣くのは、ぜんぶ終わってからだったな」
と、倉田が立ち上がる。
彼が見据えるは地下にある開かずの間。ロイはそうだと立ち上がる。
「早く終わらせよう。もう、こんなクソみてえなことは勘弁だよ」
「ああ」
焼却操作室を出る。
倉田は、錠前を掛けなおすことはしなかった。
外に出る。
背高泡立草の群生をかき分け、中に入った。もはやこのルートも慣れたものだ。
一本の細い地下道を十メートルほど進む。見えてきたのは、以前は前を素通りした細い鉄扉である。いま、ふたりはこの扉の前に立つ。
「開かずの間、か──たのむぜ、ここの鍵であってくれよ」
「パンドラの箱でないことを祈るよ。……」
倉田の手によって鍵が鍵穴に入る。
回す。思いのほか、鍵はスムーズに解錠した。
「あってた!」
「開けるぞ」
宝物か。パンドラか。
七十年の時を経て、扉がひらく。
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