第60話 一文字計画
母体移管。
聞きなれぬその単語を受け、杉崎と菅野は一文字恒明を締め上げた。
先々代である一文字孝正から継がれてきたこの研究、貴様のその口でなにもかも語ってもらおうかと。さすがに渋るかとおもったが、杉崎が殴る気もない拳を振り上げようものなら、一文字恒明はこわがってぺらぺらと語りはじめた。この男にはプライドがないのか。正直私は、知れば知るほどこの男を哀れにおもった。
この壮大な研究は、孝正の私欲な願いからはじまったのだという。
孝正が幼いころ、彼の両親は天然痘によってこの世を去った。日に日に疱瘡が身体を蝕み、衰弱してゆく親の姿は幼心に強烈なトラウマとなり、いつしか彼は健康で死なぬからだを欲するようになった。
不老不死といわくのつく薬があれば、伝説の類でもかまわず片っ端から試したという。しかしそれらは当然のことながら効き目はなく、孝正は齢三十のころから細菌に目を付ける。
第一次大戦のころより、戦争を意識したという孝正は将来的な軍事兵器としても視野にいれながら、細菌研究を開始。軍命令での南硫黄島調査にて、洞窟奥底の氷穴から未知の細菌を採取。ひそかに永続的な細菌の生育を目指した。
倉敷ぼたん改め、恩田ちとせと出会ったのは研究開始からおよそ十年の月日は経っていたろうか。彼女を拾ったのは純粋な親切心からである。
それが研究対象に変わったのは、出産後、混血児を見た孝正に彼女が述べた、妊娠理由を聞いたとき。
西洋人に嬲られた。
一言ひとことをあえぐように告白した彼女の瞳に、燃ゆる憎悪の炎を見た。
これ以降、孝正は息子の正蔵とともにちとせの身体に細菌を植え付け、体内での生育をはじめることとなる。すべては、未来でかならず起こるであろう、第二次世界大戦に向けての準備でもあった。──
でもちとせは軍隊を率いる器じゃなかった、と恒明はぼやく。
「あ、あの女、息子が大きくなるにつれ研究に対して乗り気じゃなくなった。あの戦にも間に合わなくて、父は──その頃はもう祖父は死んで、正蔵がメインで動いていたから──仕方なく長期研究にシフトチェンジしたんだ。でもその頃に母体感染した人間があらわれた。それが、女の息子だ!」
「……パイロットのことだな」
「う、うん。パイロットは次々に研究成果を生み出してくれた。おまけに、母体であるちとせの意のままに動くこともわかった。父は、これが軍にも転用できると考えたんだ。味方にはもちろん、敵兵にすら感染させて死ねと命ずれば、何をせずとも自滅する。完全勝利だ!」
「それで」杉崎は怒りをころす。
「母体移管なぞどういう発想でそうなった」
「だか、だからさ。軍に転用できるのはいいけど、指揮を取る母体があれじゃあどうしようもなかった。だから、父はパイロットに研究協力を仰いだんだ。赤子のころから育ててやった恩を返せって。当然のことだろ」
「パイロットはノッたのか?」
「ノッたとも!」
恒明の顔は愉悦に満ちた。
「また一から育て上げて七十年、倉田文彦の監視もあってずいぶんやりにくかったけど──ようやく報われそうだよ。うちに残る母体細菌のデータを見るかぎりじゃ、彼の細菌はさらに立派に育ってた!」
「じ、じゃあじぶんの妻を殺した理由はなんだ。パイロットが勝手にしたとでも?」
「たま、玉枝は──アイツは、これまでも研究に対しては否定的だったんだ。外に漏れたら大変だって体裁ばっかり気にして。でもあき、彰がいなくなって一気に口うるさくなった。新母体の力を試験的に確認する意味でも、実験台になってもらおうとおもって……案の定、おもった以上の力を見せてくれたよ!」
なにがそんなに楽しいのか、恒明は狂ったようににこにこと笑いつづけている。杉崎は頭を抱えながらつぶやいた。
「そ、そのパイロットが──島に行った。貴様そう言ったか?」
「さす、さすがに本土で試すのは危険だからね。あくまで僕たちが作りたかったのは、この国を守るための軍隊だ。国民を巻き込んじゃ意味がない」
「……そ、その口が言うのか。細菌の力で言うことを聞くようになるだけの、傀儡の軍隊をつくろうって腹の貴様が、国を守るだと」杉崎の口角がひきつる。
もはや菅野は我慢の限界に至ったらしい。
「──貴様ッ」
と恒明の顔を掴み、思いきり彼を床へと叩き付けた。
「島にいる人間もおなじ国民だッ。さらに言えば貴様の部下たちだろう、このクズが!」
「ヒィッ──そ、それでも一研究者たる者、実験に協力するのも仕事だ!」
「だったら貴様がやりゃあいいッ。まずいとこばっか他者に食わせやがって、──いまあそこにはエマがいるんだぞッ。真司さんも、ロイも、響さんもだ!」
「し、知るもんか。いまごろは島民みんな感染者だ。そうなったら最後、島ごと爆破でもしなけりゃおさまらないよ。新母体を破壊すればそりゃあ動きは止まるだろうけど──そんなことムズカしいだろうし」
「…………」
へへ、と恒明はわらった。
あまりの展開に茫然自失となっていた私も、この笑い声で我に返った。そうだ、いまあの島にはみんながいる。
もしパイロットからうつされてしまったら、彼らも──。気が付けば私は、この一文字家に来てはじめて能動的にうごいていた。
床にころがる恒明に馬乗りして、その襟首を掴んだのである。
「か、感染した人が治る薬は? あるよね?!」
「和真──」
「しさ、試作品はあるけど、数はない。あってひとり分だよ」
「それはどこにあるんだよ!」
「し、知ってたって言うもんか。おまえは倉田の孫だろ、僕たち一文字からしたら目の上のたんこぶだった。いまも──」
「うるさいッ」
衝動的に、私は恒明の顔を殴った。
人を殴ったのは初めてだった。こんなに拳が痛いものとはおもわなかった。しかし恒明は、私を挑発するように下卑た笑みを浮かべるばかりで、答えようとはしない。
焦燥と怒りでからだがふるえる。
もう一発お見舞いしてやる、と拳を振り上げたとき、その手を杉崎に止められた。
「杉崎さ」
「どいてろ」
というや杉崎は恒明を持ち上げ、菅野と顔を見合わせてからふたり同時にその両ッ面を殴りつけた。恒明は吹っ飛ばされて、応接間の壁に叩き付けられる。
あんまりすごい音がしたので、死んでやしないかと確認すると、息はすれど意識は飛ばしていた。
「き、気絶させたら聞き出せないじゃんか!」
「あ」
「すまん、つい……」
杉崎と菅野は照れたように頭をかく。
照れてる場合じゃない。私はふたりを叱咤したのち、倒れた恒明の頬をおもいきりひっぱたく。
「おいっ、死ぬなら薬の場所言ってから死ね!」
「おお、和真も言うようになったな」
「しかしあってもひとり分だろ、みんな感染しちまってたらアウトだぜ。おい和真、こいつはなんとかおれらが起こしてみるから、おまえは早く電話で知らせろよ」
「ついでにコイツからは、母体をころす手立ても聞き出しちまおう」
「そ、そっか。そうだった」
私は携帯を取り出す。
だれに伝えたものか迷ったが、エマの連絡先を選択した。一番電話がつながるだろうし、なにより昨夜私を励ましてくれた笑顔が脳裏をよぎったからである。発信を押す指がふるえたが構っている場合じゃない。
どうか無事でいてくれ。
その祈りひとつに、私は携帯を耳に当てた。
ワンコール、ツーコール。
『もしもし、和真くん?』
出た!
私は安堵ゆえに込み上がる涙をぬぐって、
「もしもしエマさん!」
と声を張る。
恒明を揺さぶる杉崎と菅野も、ホッと顔を見合わせた。
「大丈夫? なんともない?」
『大丈夫──とは、正直言えない状態ね。事態は最悪よ』
「え」
おもえば、エマは声量を抑えて喋っている。
『いま私と銀也さん、あと警察の人と三人で一般棟二階にいるんだけどね。下で新規感染者に襲われたのよ』
「お、襲われた?」
『あっ、心配しないで。沢井さん──警察の人が助けてくれたから無事よ。でも、これからどうすべきかさっぱり分からないの。ぼたんさんは鍵を探せっていうけど、なんの鍵かも分からないし』
「鍵」
そのワードに反応したのは私だけではなかった。恒明をいたぶる杉崎も、手を止めてこちらを見ている。
『あの感染者がなんなのかも分からないし、もうお手上げ状態。和真くんの方はなにかあった?』
「あ、あの。鍵ならたぶん──ロイさんが持ってるはずだよ。あの鍵のことなら、の話だけど」
『え?!』
どういうこと、とエマの声が大きくなる。
同時に電話の奥でシーッという声が聞こえた。響か沢井がたしなめたのだろう。ふたたび声を出したエマの声は極小であった。
『和真くんが知ってること、ぜんぶおしえて。もしかしたらこっちの現状を打破できるかもしれない』
「うん。えっと、まずはその感染者のことだけど──」
私は拙いながらに、これまで見聞きしたことをかいつまんですべて話した。途中から向こうはスピーカーに切り替えていたらしく、響やもうひとり知らない男の相槌の声も聞こえてくる。
鍵については、杉崎の服に隠されていたものをロイに渡しただけだと伝えた。実際、それがなんの鍵なのか見当もつかない。
しかしエマの声は弾んでいた。
『でかしたわ和真くん。その情報を踏まえて、こちらでも策を練ってみる。そっちは、薬と、母体を始末する手立てをなんとか見つけてちょうだい。みんなを助けるのは無理でも──ひとりでも多く助けられるに越したことはないから』
「わ、わかった」
『和真くん』
「え?」
『ありがとう、心配してくれて』
「あ、────うん」
電話は切れた。
直後、背後で恒明のうめき声がした。どうやら杉崎と菅野の手によってようやく目が覚めたらしい。私も電話をしまって恒明のもとへ歩み寄る。
私の心に、もう恐れはない。
「玉を潰されたくなかったら、はやく薬の場所と母体をころす方法をおしえてください」
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