第56話 英霊の叫び

 半刻前のことだったろうか。

 佐々木の案内によって、中野にある一文字本家にやってきた私たちは、これまた佐々木の口添えで一文字恒明氏と対面することをゆるされた。

 初見の印象は『頼りない男』。

 小柄で、丸顔に似合わぬ丸眼鏡がきらりと光る。つねにおどおどと落ち着きのない素振りをして、白衣のポケットをしきりに弄り、こちらと目が合うたびに下手くそな愛想笑いを浮かべる。これが、日本はおろか世界をも席巻するという製薬会社の社長なのか──。

 唖然とする私の横で「あれが社長?」と菅野が眉をしかめる。

「おれでも出来そうだよ」

「ふふ──」

 奇しくもおなじことを考えていたので、おもわず吹き出す。しかし私はすぐに顔を引き締めた。なぜならいまの私の役回りは、『不幸な父親を持った可哀想な少年』という設定だからである。

 父や響たちとともに練った作戦はこうだ。

 数ヵ月前、父は細菌感染した研究員を焼却処理に施した。この職員の息子という体で「父の殉職という扱いはおかしい」と一文字家を糾弾しに来たという設定である。

 過去におこなわれた細菌研究と、それにともない発生した死者、はては一文字玉枝殺害の実行犯についても調べあげたと菅野が脅しをかけ、弁護士に扮した杉崎が、パイロットの居場所と恒明の目的を吐かせるという算段である。


 ──しかし、その目論見は初手で詰んだ。

 職員の息子さんがいらしてます、という佐々木の呼び出しによって現れた彼が開口一番、


「く、倉田の息子さんじゃな、ないか」


 吃音気味の喋り口で、私をまっすぐ見据えてそう言ったのである。

 途端にドッと汗が吹き出た。

 うまくいく自信はなかったが、それでももう少し欺けるものとおもっていた。緊張のあまり声を失って菅野と杉崎に視線を向ける。

 しかしふたりはそれほど困惑してはいないようだった。菅野は笑みすら浮かべている。

「和真のことを知ってるのかアンタ。これじゃあせっかく立てた作戦が台無しだァ──なるほど、よほど倉田家が怖かったと見える」

「じ、冗談じゃないよ。倉田なぞなんにも怖くない。文彦だって真司だって、しょせんは父の駒にすぎなかった」

「ハッ。倉田の身内まで念入りに調べあげといてなに言ってやがる」

「君たちのことだって知っている。むかしし、写真で見たよ。僕は当時赤ん坊だったけれど──菅野と杉崎だろう。忌々しい、成増とかいう男が隠したんだ!」

 どうだ、と言わんばかりに目を見開く。

 私はすっかり恐縮してしまって、なにをいうこともできなくなっていた。まさか、七十年前の軍人の存在すらも知っていただなんて。

 菅野もムッとした顔で閉口する。

 代わりに口を開いたのは、杉崎だった。

「そこまで分かっているなら話は早いじゃないか。さっさとパイロットの居場所と、アンタの目的を吐いてくれねえか。俺たちはそれを聞くまで帰れない」

「僕の目的? そん、そんなものないよ」

 ふざけるなッ、と菅野が目くじらを立てる。

「パイロット囲って、てめえの女房ころして、よほどそこに大義があらぁな。言ってみやがれ!」

「親父の目的だよ、僕じゃない。ぼ、僕はなにもわるくない」

「親父──正蔵のか」

 と、杉崎が菅野の首に腕を回しておさえた。

 昨夜の電話で父から聞いた話によると、正蔵は不老不死を求めて細菌研究を始めたということだったが──。

 バカヤロウッと、菅野は杉崎の腕のなかでもがき叫ぶ。

「人の身体を蝕む細菌に感染した人間の、なにが不老不死だッ。自分の意思もままならねえ身体でいいことがあるもんか。くだらねえことぬかすな!」

「せっ、戦争がはじまって、父の目的は変わったんだ。鬼畜米英、神州不滅。祖国大日本帝国勝利のために恐怖の感情を捨てた不老不死の兵隊──絶対に負けない仕組みだ。理にもかなう!」

「だがあのころすでに戦争は終わっていた。我が国は負けたんだろう。いまさらそんな研究になんの意味がある」杉崎が問う。

「そ、そうだッ」恒明は鍔を飛ばして叫んだ。

「貴様らが不甲斐ないために我が国は敗北に喫した。父は軍人たちの尻をぬぐい、かならずや再戦の好機が来たるときまで準備をすべく、研究を続けたんだ。あのとき勝っていたらこんなことは続けやしなかったッ」

「き、貴様ッ」

 菅野の顔が真っ赤になる。拳がぎりりと握られた。

 が、それを恒明へ振りかぶる前に、杉崎の拳が恒明の横っ面を吹き飛ばす。激しい殴打音と、ぶっ飛んだ彼のからだが周囲の調度品に叩きつけられるのを見て、菅野の熱がサッと引く。

 私に至っては、見慣れぬ暴力現場におののいて、おもわず菅野の腕にしがみついた。それが、いつも太陽のような杉崎によるものだったから余計である。

「す、杉崎さ──」

「不甲斐ないだと。尻拭いだとう!」

 爆音のごとき彼の怒声が部屋に響いた。

「戦を知らねえこわっぱが、黙って聞いてりゃぐだぐだぐだぐだ……戯れ言を抜かすなッ。各戦地でみながどんな思いで戦ったか、仲間が死ぬ悔しさが、おのが身を裂く痛みが、おのが手で人を殺す恐怖が──どれほどのもんかなぞ、てめえにわかってたまるかッ!」

「ひ、ヒィ」

「勝利のために感情を捨てるだと? 感情があればこそ、俺たちはみな、この命を懸けて持ちうる力以上のものを注ぎ込んだ。もとより、恐怖で逃げ出したヤツなぞいるものかッ。知ったかぶりもいい加減にしろ!」

 さんざん叫んで、杉崎はかけていた眼鏡を恒明に向かって投げ捨てた。その瞳には反面、たっぷりと涙がたまっている。

 彼は、それを腕で乱暴にぬぐいとり、

「いいから吐け。パイロットはどこにいる。貴様はヤツになにをしたッ」

 となおも拳を振り上げた。

 恒明の身がヒッと縮こまる。こんどは菅野がその腕を抑える。私は足がすくんで動けなかった。──が、一瞬ののちにひきつったような笑い声が漏れてきた。

 出どころは恒明である。

 彼は縮こまりながらも、ヒッヒッと肩を揺らしてわらっていた。

 なにがおかしい、と菅野がどなる。

 すると恒明はゆっくりと身を起こして、情けない顔を歪めて「もう遅い」と部屋の隅へと後ずさった。

「も、もう遅いんだ。彼はここにはいないよ、せっかく足労いただいたのにわ、わるいけど」

「ここにいないならどこにいる。いったい貴様らはなにを企んでおるんだ!」

「貴様ら、なんて心外だな。ふふ、ふ。こ、これはぜんぶ彼が望んだことだよ、僕は協力しただけだ。ぼぼ僕はわるくない──」

「てめえが悪いかわるくねえかなぞどうでもいいんだよッ。パイロットが望んだことってのはなんなんだ、これ以上焦らしやがるとこっちにも考えがあるぜ。なあ杉さん」

 と、菅野は悪い顔をした。

 対する杉崎も、堅苦しいスーツを脱ぎ捨てて恒明にツカツカと歩み寄ると、彼の首根っこをつかみあげた。

「おうとも。生きて虜囚の辱しめを受けず──貴様に戦陣訓を説いたところで分からぬだろうが、捕虜となったらどうなるか、じっさいに体験してもらおうじゃねえか」

「な、なにをするんだやめろっ」

 恒明はもがく。

 が、杉崎は意にも介さず、捕虜となった恒明の身体を応接間の卓上に叩きつけて抑え込んだ。大きな体躯の杉崎に組み敷かれ、それだけでも恐怖であろうに、その背後からは、指の骨をポキポキ鳴らしながらぺろりとくちびるを舐める菅野が迫っていた。

「男の口を割らせるにゃ、手始めにここを潰すといいらしい」

 と、彼の手が恒明の股間に伸びる。

「いいか恒明とやら。貴様の口が戯言をひとつ漏らすたび、貴様の玉がひとつ潰れていくことになる。玉が潰れたらつぎは竿だ。和真」

「は、はいっ」

「手ごろなハサミを探してくれ。ハサミでなくとも、傷が付きゃなんでもいい。……」

「う、…………」

 本気だ。

 菅野と杉崎の目を見ればわかる。小田原にいたときにはいっさい見せなかった、残虐性を孕んだ瞳である。私はあわてて部屋中の引き出しをひっくり返しはじめた。

 が、それは徒労におわる。

 菅野の手が恒明の睾丸に伸びたとき、恒明が泣きわめいて意外にもあっさりと白状したからだ。

「やめ、やめろやめろっ。あ、あいつは島だ。島に行ったッ」

「……島?」

「研究の、せ、成果を確かめに行ったんだっ」

「その研究ってのはなんだ。先に言っておくが、俺たちがなんにも知らねえとおもって適当ぬかしやがったら玉と竿だけじゃあ済まねえぞ。切り取れるところはまだまだいっぱいあるからな」

「や、やめてくれッ。痛いのは嫌いなんだようっ」

「だったら話してもらおうか、研究の委細を」

「さい、細菌強化と母体移管だよっ」

 恒明は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でさけんだ。

「細菌強化と、」

「母体イカン──?」

 杉崎と菅野が顔を見合わせる。

 恒明はぐずぐずとしゃくりあげながら、一生懸命にことばをつむいだ。

「細菌強化は、だ、だから、これまで母体感染者からのに、二次感染だとかならず腐敗していたのを、抑えるためだよ。母体移管はこ、これまでの母体からあ、アイツに母体権限を移すための……」

「それをして」杉崎の手が恒明の襟首をつかんだ。

「なにがしたいんだ──貴様ら」

「こ、これまでの母体は戦意喪失状態だった。だから、だから正当な指揮系統のもとに作り上げたかったんだよっ。こ、こんどこそ本物の、」

 不死身の兵隊を、と。

 聞いた瞬間に応接間は凍り付いた。


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