第55話 続・聴取
「一文字家は近ごろ──私がこの島に赴任するすこし前から、一族不和が起きていました。経営方針の齟齬によるものか、夫婦喧嘩か、それは知りません。そう思ったのも雰囲気からです。こっちに赴任してからは本社の様子も見えないので、人事課長の佐々木に聞くくらいでしたが」
「ちなみに、恒明氏の息子さんがいなくなってからの一文字家はどうでした?」
「はあ、母親はだいぶ錯乱していました。私も何度か本社に呼ばれましたよ、居場所を知らないかって。でも父親の方は呑気なのか、あるいは居場所を知っているからなのか……ぼんやりしたものでした。もしかしたら彰さん失踪も、なにか関係していたのかもしれません」
「なるほど」
それから、と倉田はわずかに瞳を伏せ、ふたたび沢井を見据えた。
「島の警備強化のため、警備員配置の動きが出ました。これは会長からの指示です。で、たまたまロイくんが雇われた」
「相違は?」
「ありません」
ロイはきっぱりと言い切った。
沢井はうなずき、倉田に続きをうながす。
「まあそれで、直属の上司部下ってなったんで仲良くなりまして。たまたま──彼が前に勤めていた民宿に遊びに行ったんですけど、彼は高校卒業して以来、家族と連絡先すらも交換してない放蕩野郎でしてね。勤め先の情報を頼りに、自身の兄をさがしていたエマちゃんが宿にきた」
「ほう?」
「相違ありません」
沢井が聞く前に、エマは力強くうなずいた。一方のロイは気まずそうに瞳をそらす。
問題はそのとき、と倉田は眉をひそめた。
「エマちゃんがその疑わしい男と、宿前で会ったそうなんです。そのときに目をつけられたか──彼女が声をかけられた」
「その男の目的は?」
「知りませんよ。こっちが聞きたい」
「じゃあその、エマさんは男の『タマエをころした』という自白が、なぜ関係あることだとおもったんだ」
「その前に言ったから」
「言った?」
「倉田に伝えろ、って」
なぜ、という目を沢井は倉田に向けた。
倉田は「こっちが聞きたい」と肩をすくめた。
「…………」
タマエは死んだ、俺がころした。──
宿前をうろついていたことも、倉田に向けたことばを保坂エマに託したこともすべて、男の目的が不明瞭である。
こちらの常識から想像できる範囲ならば、いくらでも理由をあげつらうことは可能である。しかし得てしてそれは外れるものだ。
ぐう、と沢井は唸った。
「ちくしょう、もっと分からなくなっちまった」
「我々もね。エマちゃんの安全のためにも、男の居場所を探っていたんです。またエマちゃんがひとりでいるときに接触されたら、たまったもんじゃないでしょ」
「おっしゃる通りですな──」
頭を抱えて沢井がうなずく。
これまでの話を手早くメモしていた立花が「あのう」と声をあげた。
「じつは恒明がダミーで、この男の単独犯という可能性はないですか? 玉枝には個人的な恨みを募らせていたとか」
「それにしては恒明の動きが不審すぎる。だが、それを確定させるような動機も見えねえ」
「そんなものは」
と、突然別の方向から声がした。
響だ。
「あとからついてくる」
先ほどまで黙りこくっていた彼が、いまでは微かに笑んでこちらを見つめている。倉田とエマがギョッとした顔で彼を見た。
同時に沢井のなかで、妙な違和感と、ただ者ではない男が喋ったことへの興奮がわき上がる。
風邪は、と問うた声がふるえた。
「大丈夫なんですか」
「いや。……」
と、席を立つ。
管理人室を覗き、なかにいる管理人と二言交わすと、紙とペンを携えて無言のまま席に戻った。一呼吸置く間もなく躊躇なく筆をすべらせる手を見て、エマがアッと頬を染めた。
「そうだわ、銀也さんって絵が上手なの。それ、あの男の人ね!」
「ああ──なるほどね」
ロイもうなずいた。
寺田が無遠慮に手元を覗く。すばらしい描写力であった。エラの張った輪郭と太い鼻筋からくる健康的な印象とは対象的に、瞳は落ちくぼみ、薄いくちびるはニヒルに歪んでいる。
ものの十五分もせぬうちに、鬱々とした似顔絵を描きあげた男は、黙ってその絵を沢井に渡した。
「たしかにスゴい」
「響さんは彫刻の勉強をされていたんですよ。陰影の付け方なんか見事でしょ」なぜか倉田が得意気である。
沢井は首をかしげた。
「スゴいが──なぜ響さんが男の顔を知っているんです。声をかけられたのはエマさんでしょう」
「その場に響さんもいたからよ。その、いっしょにカレーをつくる約束をしていたから、お買い物に。ねっ」
「はあ、なるほど──」
「とにかく」
と、倉田は突然身を乗り出した。
「俺はこの男の居場所を、一文字恒明が知っていると踏んでます。なんとしても目的を問いたいんです。協力していただけませんか」
「もちろん、この男をしょっぴいて事件が解決するのなら、こちらこそ喉から手が出る思いですよ。しかし、……」
「なんですか」
という倉田の声が荒い。
似顔絵の男を探し出すことは、マストの課題だといえるだろう。しかしながら沢井のなかでは、いま目の前に座る彼らの関係性に対しても、なぜか違和感を覚えている。
これも刑事の勘、というやつか。
いや、と沢井は苦笑した。
「これは追々にします。取り急ぎ、恒明氏とこの男の関連性を洗ってみましょう。居場所が分かり次第ご連絡します」
「よろしく。……」
倉田は沈痛な面持ちで、頭を下げた。
────。
なんとかやりきった。
真司は海原を望んで深呼吸をする。警察は本土へ戻るべく、昼の定期便を待つべくロビーで待機するといった。
昨夜遅く、ぼたんから諸々の話を聞き終えてのち、膨大な量の着信に対してようやくレスポンスすることができた。その際、響から語られたのは真司になりきって話したという警察との会話であった。
聴取本番に備えて、一文字の軍事研究については一切触れず、しかし一文字への疑惑を深めさせるためにはどう説明をすればよいかと一晩悩んだが、先ほど話した警察の反応を見るかぎりでは、不審なところはなかったようだ。
小此木と彰、宮沢の三名は、現状警察に見つかったら説明がむずかしいため、旧棟のなかに隠してきた。警察が帰ったら迎えにいかなきゃな──などとぼんやりかんがえる。
ホ、とようやく肩から力が抜けた。
もうまもなく定期便の時間である。が、海の向こうから船が来るようすはない。いつもならば遠目からでも船影が見えてくるはずだ。
「……おかしいな」
定刻を二十分ほど過ぎたところで、定期便事務局へと電話をかけてみる。ふたコールののち事務局員の声がした。
『はい、東南東小島定期便』
「もしもし倉田です。──昼の定期便待ってんだけど、もう出た?」
『あれェ支部長、お疲れ様です。もう出てますよ。むしろ今日は予約のお客さんがいたんでいつもより早めに出ましたから、そっちで待機するって話だったんですけど──』
「客?」
真司は眉をひそめる。
この定期便は、島が夏季休暇の期間にかぎり、本土から乗る際に予約が必要であるという。今日は今朝方突然に予約が入り、その客を乗せて定刻より三十分も前にこちらへ向かったそうだ。
であれば、この船舶に止まっていなければおかしいのだが──。
それに、と電話口の声はつづけた。
『社長直々に休暇縮小の命令が出てるそうじゃないですか。もう帰省ラッシュに備えて、臨時便準備してるところですから』
「休暇縮小──?」
『もう少し待ってもらえたら、臨時便が行くのでそれに乗って戻ってきてください。あ、でもついでに、さっき出た便がどこでうろついてるか探してみてもらっていいですか。船が一艘ないだけでスケジュール変わっちゃうんで』
「あ、ああわかったよ。ちょっと探してみる。また連絡する」
電話を切る手がふるえる。
いやな予感が胸をよぎった。と、同時に肩を叩かれる。ロイだ。定刻を過ぎても真司が呼びに来ないためようすを見に来たのだという。
「なにかトラブった?」
「……ロイくん、ボート出してくれ」
「ボートって」
「旧棟の方だ。はやく!」
真っ青な顔でさけんだ真司に、ロイはワケも聞かず準備に走る。
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